◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 16. ラスボスはひっこんでろ

 

 白い飛行隊を出せ。大陸国飛行隊の挑発、希望どおりに、ついに白い飛行隊『雷神』が彼等の前に出現。
 彼等の希望に応えた。大陸国はこれからどう出る?
 雅臣が眺めているレーダーに、機影が一機二機、三機四機と見えた。
 こちら領空に迫ってきている機影は二機、あとの二機は防空識別圏の外。後ろに控えたようにして前方二機とは距離がある。
 こちらからは、リーダー機である雷神1号スコーピオンと2号機ドラゴンフライのエレメントのみ。
 前回はここで現実的に国と国が戦闘機で接することに震えた心優だったが、今回は落ち着いて見ていられる。あちらが四機で来ようと、たとえ十機で来ようとも、こちらの対応は決まっている。『通常の措置をすること』。
 指揮を任された雅臣もわかっているから、あちらが四機で来ようと落ち着いていた。
「こっちが艦でギリギリのところを通過すると嫌がるくせに。そっちは空のラインは平気で越える。今回はどこまで寄せてくるつもりだ」
 じっと近づいてくる機影を見つめているだけ。
 ついに雅臣の手元にあるモニター、スコーピオンとドラゴンフライにつけているガンカメラの映像に、スホーイが映った。
 灰色の機体に赤と白のペイント。明らかに一機だけ、こちらに堂々と近づいてくる。
 官制室長がちらりと肩越しに振り返る、一段上の指揮台にいる雅臣へと落ち着いた目線で告げる。
「あちらから通信が、いま届けます」
 御園准将と御園大佐も顔を見合わせる。特に御園准将の表情が強ばる。御園大佐がさっと動き、雅臣が耳にできる無線音声と同じものが聞けるようにしたヘッドセットを三つ用意する。
「園田も聞いておけ」
 ヘッドセットを渡され、心優も頭につける。
 雅臣の目線が艦長へ。そして彼女が聞ける準備ができたことを確認し、無言で頷いた。
 雅臣が前方を見据え告げる。
「管制、繋いでくれ。自分が応答する」
「イエッサー」
 国際緊急チャンネル、繋ぎます。
 担当官制員の一声に、そこにいる誰もが緊張し姿勢を強ばらせているのが心優にもわかる。
『……彼女を出せ、聞こえているんだろ』
 そんな英語が聞こえてきた。あちらはこのチャンネルの合わせ、ずっと問いかけている様子だった。
 心優は夫の雅臣の背を見つめる。飛行隊についてはもうほぼ彼が引き継いだも同然。もう艦長同様の対応を彼が行うことに。
「こちらは日本国、……」
 艦隊名を告げる。雅臣のその応対が始まった途端だった。
『やっときたな。彼女と代われ』
 心優の耳にもはっきりと男の声が聞こえる。先日、空海が緊急発進した時に聴かせてもらった男の声と同じだと感じる。隣にいる眼鏡の大佐もじっと管制の窓を見据え、遠い水平線へと目線を馳せているが鋭い眼差しで黙っている。御園艦長は愕然とした顔だった。
 きっと彼女も思ったのだろう。『王子に間違いない』と。
 御園艦長の代理とも言える、その指揮を担っている夫がどうするのか、心優は固唾を呑む。
「彼女とは、どの者を指しているいるのだろう」
 慌てず落ち着いた返答だった。雅臣の目線はガンカメラが映し出す映像から離れない。そこにはもう、1号機スコーピオンが捉えたスホーイが見える。
『その艦隊を指揮している艦長だ』
 その戦闘機が徐々に徐々にスコーピオンとドラゴンフライのエレメントと距離を縮めているのがわかる。ADIZ(防空識別圏)に完全に入っている状態、だから出動した。今度は、こっちに入ってきそうになっている。いつもならここで対空措置が行われるのだが……。
「いまここの指揮を任されているのは私だ」
 雅臣の返答にも淀みがない。去年の任務航海では、まだ復帰したばかりで葉月さんの顔色に言動をいちいち気にして戸惑ってばかりいた新人大佐殿ではなくなっている。
 ここは俺が責任を持つ。あちらの思うとおりにはさせない。葉月さんの立ち位置をではどうすればいいのか。如何に時間をかけて雅臣自身が咀嚼し、心構えを整えてきたがわかるものだった。
『そんなはずはない。そんなすぐに交代ができるはずはない』
 いますぐ出せ!!
 男の恫喝が心優の耳にも響く。精悍な青年パイロットではあったが、王子には品格があった。御曹司という空気を纏っていた。その彼をここまで荒々しくさせ、叫ばせ、あちらの国はなにを彼に背負わせているのか。しかし、彼の声に危機感がある。心優はまずそう感じた。
『そこに彼女がいるのはわかっている。彼女を出せ!! おまえはただの指揮官だろ! 艦長を出せ』
「私が用件を聞く。ここにいなくとも、私が彼女がいるところまで伝えよう」
『それが飛行隊指揮官としての返答というわけだな。わかった』
 以後、彼の声が届かなくなる。すぐになにかを感じ取ったのは、元パイロットのふたり。
「雅臣、気をつけて」
「もちろんです。二機を下げます」
 スコーピオンとドラゴンフライの二機をいま大陸国機が肉眼で見える目の前から退避させようとしている。雅臣がヘッドセットのマイクをつまんだ。
「スコーピオン、ドラゴンフライ、さが……」
 下がっていい。雅臣の口元がそう動き書けた時。
 スコーピオンのガンカメラには一気に接近してくるスホーイの映像。雅臣がギョッとしたのがわかる。その瞬間だった。
 ガンカメラに丸い玉が飛んでくる映像が見える。後ろでモニターを見守っていた心優の心臓が一気に固まる。
『撃ってきた!』
 スコーピオン、ウィラード中佐の声。
「撃ってきました!」
 管制員の声。
「二機とも退避せよ!」
「圏外にいた二機も接近中、ADIZ(防空識別圏)に侵入」
 背後に控えていた二機もこちらの国に迫ってくる。
「3号ゴリラと、5号マックスも出してくれ」
 迷わぬ雅臣の指示に、官制員もすぐに従い、さらなる出撃指令が下される。
 その間、後ろに控えているミセス艦長は腕を組んだまま、微動だにせず。すべてを委ねたようにして、雅臣の決断に口を挟む様子はない。
「再度、攻撃を受けています!」
 管制の報告に、雅臣とミセス艦長がモニターに釘付けになる。
「副艦長、また呼びかけています」
 雅臣がヘッドセットに集中する横顔。心優もヘッドセットから聞こえる声に耳を傾ける。
『彼女を出せ。出さねば、こんな脅しでしか使えないような機関砲では済まなくなるぞ』
 それはロックオンにて照準を定め、ミサイルを撃つという予告でもあった。
「ゴリラ、マックス。離艦です」
 ブリッジ窓から上空へと一気に飛んでいく白い戦闘機が二機。国境へと向かっていく。
「ゴリラ、マックス。到着したら援護せよ。マックス、撮影を頼む」
『ラジャー、キャプテン』
「いま機関砲で撃たれている。まだ着弾はしていはいないが、気をつけろ」
 雅臣の報告に、3号機ゴリラと5号機マックスからの返答が聞こえない。おそらく驚き戸惑っているのだろう。
「大丈夫だ。空海との訓練を思い出せ。あのとおりにやればいいんだ」
『イエッサー。スコーピオンとドラゴンフライを必ず連れて帰ります』
『ラジャー、キャプテン。かならず隊長とドラゴンフライと共に帰還します』
「行ってこい。俺達はトップフライトの雷神だ。自信を持て」
 ラジャー!
 二機が雲間に消えた。
 ここにいると空で激しい攻防戦が、あの雲の向こうの高度上空で繰り広げられているだなんてわからないほど静か。
 いまブリッジから見える西南の海は綺麗なアクアマリン色で、凪いでいる。夜も明けて、爽やかな晴天。しかしブリッジ管制室は緊迫した空気で張り詰めている。
「いま、ゴリラとマックスが向かった。そのまま侵犯措置の対応はできるか?」
『回避しながらやっていますが、機体の距離が狭まると撃ってきます』
「では、スコーピオンを前に砲撃を引きつけ、2号ドラゴンフライ、撮影と侵犯措置をつづけてくれ、もうすぐにゴリラとマックスが到着する」
 だが二機から『ラジャー』という返答がない。
『射程照準ロックオンされかけています』
 スコーピオンからの唐突な報告に、管制室がざわめいた。心優も血の気が引く思い、すうっと背中が寒くなってくる。
 きっといまコックピットではピーピーと警戒音で騒々しいはず。
 いつも見てきた『からかいのお遊び、これがご挨拶』という空気ではなかった。
 そこで初めて、ミセス艦長が前に出た。雅臣の隣に並ぶ。
「落ち着いて。いつものご挨拶を思い出しなさい」
「イエス、マム。しかし」
『本気だ。ミセスを出せ』
 あちら側から初めて『ミセス』と名指しをした。
 雅臣に『落ち着いて』と言っていたミセス艦長だったのに、彼女は自分の頭に着けていたヘッドセットを外し、雅臣が頭にセットしているものを無理矢理取ろうとした。
「か、艦長――、待ってください」
「いいから、貸しなさい」
 王子と直接話すことが出来るヘッドセットは雅臣が頭につけているものだけ。それを奪おうとしている。
 もしかして。ご挨拶とか落ち着きなさいとか、微動だにせずじっとしていたアイスドールの顔をしていたミセス准将こそいま焦っている? 心優もどうしたらよいのか後ろでおろおろするだけ。
 ついにミセス艦長が雅臣からヘッドセットを取ってしまう。
『ロックする。出さねば撃つ』
 王子の鬼気迫る通告に、なにかしらの決意を心優は感じ取る。そこまで『やれ』と言われているのは何故? 撃つのが目的ではない。撃とうとしているのはミセス艦長とコンタクトができないための報復。ミセス艦長となにを話したい? 何が目的?
 ミセス艦長がヘッドセットを頭につけようよしていた。
 しかし、それがセットされる前に、男の手が彼女の手を止めた。
「やめろ」
 こちらも後ろでじっと黙って控えていた眼鏡の大佐殿。彼の大きな手が、妻の手をぎゅっと握っていた。
「あなた」
 御園大佐の目、鋭いホークアイの目がぎらっと漲ったのを心優は見る。
「貸せ、俺が出る」
 そのひとことに、管制室にいる誰もが驚き、指揮台へと振り返ったほど。
 雅臣も何も言えずにたたずんでいる。だかミセス艦長も『なにいっているの』と言いたげに、夫に向かって反抗する目を光らせる。
「やめて、あなたはしゃしゃりでないで」
「うるさい! おまえは恐怖の魔女で、ラスボス。ラスボスはやすやす出て行くもんじゃない、ひっこんでろ!」
 上官であるはずの妻を、御園大佐は男の力でどんと押し返し、心優がいる後方まで突き飛ばした。
「ま、魔女、ですって……?」
 あのアイスドールが真っ赤になって怒っている顔に。心優はひやひやしたが、雅臣が心優を見て『葉月さんを抑えろ』という目線になっていることに気が付いた。
 つまり雅臣も『まだ艦長には表にはでてほしくない。ここは御園大佐に任せたい』という意志だとわかった。
 御園大佐の頭にヘッドセットが装着される。
「繋いでくれ。俺が話す」
 管制長が頷き、通信担当の官制員とアイコンタクトの指示をする。
 御園大佐が雅臣の横に並んだ。
「こちら日本国、艦隊……」
 御園大佐が艦隊名を告げた。
 その後ろで葉月さんもやっと大人しくなる。ただ悔しそうにしている。本当は自分が前にでて阻止したいし交渉したいその気持ちを夫で部下である大佐に潰されたショックもあるようだった。
「艦長、お水です。一度、御園大佐の交渉でどうなるか様子見をしてみてはいかがでしょう。その後、艦長が出ていけば……」
 生意気を言っているようでドキドキしながら、心優は指揮カウンターに備えてあったクーラーから冷えたペットボトルを取りだし、ミセス艦長に差し出す。
 彼女もまだ怒りに燃えている目をしていたが、もう止められないとばかりに諦め、冷えたペットボトルをひとまず手に取ってくれた。
『また男か。彼女を出さない意志はよくわかった。そこにいるとわかっている。残念だ。国際的に批判をされようがこれも任務、遂行させてもらう』
「スコーピオン、ロックオンされています」
 管制の報告に雅臣も落ち着かずにいる。しかしいま通信を担当しているのは御園大佐。
『残念だ』
 大陸国パイロットのそのひと言に緊張が走る。きっと王子が持つ操縦桿そこにある発射ボタンに触れているところ!?
「私は彼女の夫だ」
『夫? 彼女の……?』
「そうだ。今回はこの艦隊の指令室に配属された大佐だ」
 御園大佐が告げたことにも、管制室が騒然とした。自分の任務配置に、個人の情報を告げることはほとんどない。
 もちろん、心優の横で冷たい水を一口飲んでやっと落ち着いた御園艦長も呆然としている。
「な、なにいってるの。あなた!」
 ヘッドセットをしてモニターがあるそこに立っている御園大佐が肩越しにちらりと目線だけ向けてくる。
「中尉、頼む」
 心優に妻を抑えろと言ってきた。心優の上官はミセス准将、そしていま心優に指示をした大佐はわたしのボスより格下。本来なら憤るミセス艦長の味方をしなくてはならない。
 でも!
「准将、ここは大佐にお任せしましょう。やはりそう簡単に貴女が出てはいけないとわたしも思います!」
 飛び出そうとするミセス艦長の背中に飛びつき、ぎゅっと両手で囲って前進を阻止する。
「心優! 放して!」
「いいえ。ラングラー中佐ならこうすると思います!」
 それも本当の気持ちだった。そう聞いた途端、ミセス准将も信頼している部下を思い出したのか急に力を抜いた。
 そんな心優を見て、雅臣も頷いてくれる。雅臣も既に御園大佐に委ねたのか、ミセス艦長より落ち着いていた。
『夫なんて、そう言えば誰でも夫になれる』
「信じる信じないはそちらに任せる」
『彼女の夫ならば、さぬきうどんをどう料理するかだな』
「は?」
 今度は逆に御園大佐が眉をひそめた。
 だが、葉月さんと心優はそこでハッとして顔を見合わせる。
 雅臣もだった。こちらの女ふたりを見ている。
 あの時、居合わせた者だけが思い出す『会話』があるから……。
『彼女の夫は料理をするそうだ。さぬきうどんはどう食べるか』
「……、オリーブオイルに、トマトソース……だが……」
『ふ、そうか。わかった』
 あちらの男が笑った。
「ロックオン回避」
「領空線付近の二機、後退していきます」
 管制の報告に、雅臣がほっとした横顔を見せた。
「返すよ」
 眼鏡の大佐がヘッドセットを雅臣に返した。表情は変わらず、落ち着いていた。
「まったく、御園大佐にも驚かされますね」
「あーあ、海東司令に怒られるなこれは。俺が更迭になったりして」
 御園大佐がそこでやっとおどけて笑ったが、心優から見ても『更迭になってもなんらかまわない』という覚悟を見せられた気もした。
 あれはあれで、御園大佐は奥様が矢面に立つのをひとまず防いだことになる。
 だが危機はまだ去っていなかった。
「副艦長、まだあちらから呼びかけがあります」
 レーダーからは大陸国戦闘機四機がどんどん離れて後退していくのが見えるのに、まだあちらが呼びかけをしているという。
「もう一度、俺が出よう」
 再度、御園大佐がヘッドセットを雅臣から受け取った。
『旦那さん』
 気易い呼びかけに、御園大佐が顔をしかめた。
「旦那さんだ」
 何故か管制室の隊員達が笑いを堪えている。
 あの御園大佐が国際緊急チャンネルで、旦那さんだと名乗るのがおかしかったのだろう。
『今回は旦那さんが出てきてくれたので撤退するが、夫だというのならば彼女に間違えなく伝えろ』
「わかった。伝えよう」
『次回の呼びかけには彼女を必ず出せ。そこにいないというのなら、そこに連れてくるか、通信手段を準備して待っていろ』
 御園大佐はそれにわかったという承知の返答はしない。黙り込んでいる。
『次回彼女が出てこなかった場合は、白い戦闘機を一機、こちらに連れ込んで我が国へ浚っていく。人質というわけだ。そちらご自慢の開発機も拝めるようになる。それでもいいのか検討しろ。いいな』
 旦那さんという呼びかけで一瞬和んだかのような室内がまた凍った空気に変貌したのを心優は感じ取る。
「伝えておこう」
 御園大佐はそうするとも返答せず、ただ聞いたことは伝えるに留めたようだった。
 だが御園大佐もそれだけで終えなかった。
「どうして彼女に拘る。それは教えてくれないのか」
 それ以後、パイロットからの返答はなかった。
 数分後、御園大佐から呼びかけても返答はなし。官制員の『レーダーから消えました』の報告に大佐も諦めてヘッドセットを取った。
 雅臣がそれを受け取ると『着艦だ』と、雷神の出撃した四機を呼び戻す指示。
 御園大佐が奥様の目の前に戻ってくる。
 やはりミセス艦長は夫を睨んでいた。
「誰が魔女よ」
「魔女になってくれなければ困る」
「前回までは、雅臣でもなく、貴方でもなく、私がそこに立っていた。今回もそこに立っていたならば、私が直接、最初から彼と話していたのよ。あんな危険な駆け引きなどしなくて済んだでしょう。なにが違うの!」
 奥様は憤っていたが、御園大佐はホークアイの冷ややかな目を眼鏡の奥から見せ、奥様を見下ろしている。
「今回の彼等の目的が、女艦長のおまえ自身だからだ。戦闘機パイロットを人質にしてまでおまえとなんらかの交渉を目的としている。もしおまえが先ほど、直接会話ができてしまったら、おまえわけのわからない交渉をもちかけられていたかもしれないんだぞ。今回は前に出るな」
 おまえが目的。そう断言され、ミセス艦長が黙った。
「私が目的……」
 なにか思いあぐねているその横顔に、心優は不安を覚える。
 急にミセス艦長が弱気になったように見えてしまったから……。
 ラスボスの魔女艦長。その彼女を奥に据え、彼等の目的を推察して行かねばならない。それが御園大佐が言いたいことのようだった。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

「やっぱり納得できない」
 緊迫した初戦接戦を終え、この日の午前はその整理で追われた。
 ミセス艦長はデスクでずっとむくれたままだった。
「俺、またスクランブルの時に仮眠だったってわけですかっ」
 光太がまた緊迫した管制室での出来事を、心優から報告されるだけで話を聞かされるだけと情けない顔になっていた。
「しかたがないじゃない。それに、次はきっと吉岡君も目の当たりにすると思うよ」
「それで。ご主人の御園大佐に、ラスボス魔女はひっこんでろと言われて拗ねているのですか」
「しかも御園大佐が相手の通信で『夫だ』と名乗ってしまったからね。心配もされているのよ」
 あのあと海東司令からの確認のための衛星通信があった。御園大佐の咄嗟の判断、自分が夫だと名乗ったことには注意はされたが、厳重な懲罰があるという話はなかった。
 むしろ『今回は仕方があるまい。御園大佐が夫だと名乗ったことで撃墜は免れ、時間稼ぎをもらえた』とその判断を労われたほどだった。
 しかも海東司令の指示は、御園大佐の方針と同じだった。『御園准将は、いっさい通信には応じないように』――とのことだった。
 だからなおさらに、ミセス艦長は『納得できない』と午前中いっぱいご機嫌斜めだった。
 是枝シェフも気遣ったのか、その日は少し華やかな彩りのランチが出てきた。
 光太も気遣ったのか女だけのランチにしようと指令室の男性陣と共にカフェテリアへ、心優はいつもどおり女ふたり、艦長室でランチをとった。
「私、部屋で休んでいるわ。ちょっと気持ちを落ち着けてくる」
 ランチを終えると、またいつになく疲れた顔をしてミセス准将が艦長デスク室を退室した。
 心優ひとりで艦長室の留守を守る午後となる。
 一時間半ほど、事務処理に勤しんでいると、御園大佐が訪ねてくる。
「あれ、艦長は」
「ランチ後、お休みになっております」
「ああ、そうなんだ……」
 心優が淡々とした返答をしても、御園大佐は退室せず、手持ち無沙汰のようにしてまだそこにいる。
「どうかされましたか」
「いや、前回、葉月が王子と会話をした時の記録をもう一度確認したかったんだ」
「ああ、さぬきうどんのことですか」
「そう、あんな会話、報告書にあったか?」
 心優は首を振る。
「中央司令で保管している報告書には、城戸大佐がICレコーダーで録音したものと共に、一句も漏らしていない報告書が保管されていると聞いています。ですが、ほかの指揮官への報告書では私的な会話については省略されていました。私もあのような会話は指揮官達にいちいち報告するものではないと思いましたので、司令部がそこは省いたのだと思っています」
「だったら、園田は聞いていたわけだ。さぬきうどん云々のくだりを」
「はい。聴取が一通り終えた後、何を食べたいかと艦長が彼を安心させるように問いかけた時に、彼は『せっかく日本に来てしまったから、日本食を』と望みました。なのに艦長は、私のオススメはママのパンケーキだと言いました」
「ママのパンケーキ。ま、確かになあ。あいつのおふくろの味だもんな。それを是枝さんは見事に再現してくれている」
「ですが王子は、パンケーキは日本料理ではないし、自分の国でも食べられるといいました。そこで葉月さんが、ご主人の讃岐うどんもオススメと言いました」
「あ〜、まさか。冗談で、トマトソースで食べるとか言ったんじゃないだろうな」
 心優は『そうです』と答えると、御園大佐ががっくりとうなだれた。
「それで俺が、彼女がその時話したとおりの返答をしたので夫だと信じてくれたわけか」
「ということは……。彼も夫と名乗る大佐が急に出てきても咄嗟にあの質問ができたわけですから、王子で確定ということですよね?」
「そうだな……。そういうことだったのか。まあ、信じてもらえたのなら。これからも俺が交渉相手として認めてくれるかもな」
 やはり、奥様の前に立ちはだかって守ろうとしているんだと心優は思った。
「部屋にこもってどれくらいになる? 拗ねているんだろ」
「一時間半経ちます」
「長いな……」
 御園大佐が眼鏡の顔で、艦長デスクではなく、妻が休むベッドルームへ行くドアを見ている。
 いま光太は指令室でお手伝いをしていてここにいない。心優しかいない。だから心優から言ってみる。
「ここには、大好きな芝土手もないし、お気に入りの自販機もありません。あの部屋だけがいまの葉月さんのサボタージュできる場所です」
「でも、お気に入りのレモネードを販売しているメーカーの自販機と商品はわざわざ搬入させただろ。メーカーさんがミセスのおかげで空母で販売できると喜んでいたけどな」
「そうではなくてですね……。ベッドルームは、艦長のプライベートの場所です。ご主人様なら大丈夫でしょう。行ってあげてください」
 若い心優からの進言に、御園大佐の眼鏡の奥の目が大きく見開き、固まっていた。
「いやいや、ほらな……。その……」
「行ってあげてください。わたしは知りません」
「昼間、なんだけれどなあー」
 昼間なんだけれどなーと迷うその心情の裏で、彼が思っていることがなにか心優もわかってしまう。でも素知らぬふりを決め込む。そこでなにをしようがそれは夫妻の勝手。心優は笑みも見せない真顔で、そのまま書類へと顔を伏せた。
 その瞬間だった。心優が目線を外してすぐ、眼鏡の大佐は姿を消していた。ベッドルームに向かうドアがぱたりと閉まった音、彼の姿はない。
 上官と部下、妻と夫、官制員の目の前で「あなた、おまえ」と自然なやりとりをしていた。しかも旦那さんは、奥さんを守るために、部下にはあるまじき激しさで、上官の妻を叱咤していた。
「まあ、ラングラー中佐もやり方は違うけれど、葉月さんにも手厳しかったものね」
 でも妻と夫だから勝手が違う。
 どんな仲直りをするのか心優にはわかっている。女同士、そういうことをあからさまに口にしなくても、そうして仲直りをした翌日の女の顔を見せ合ってきたのだから。
「失礼します」
 一人でいると、今度は雅臣が入室してきた。
「あれ、艦長は」
「お休みになっております」
「へえ、そっか。隼人さんも見当たらないんだよなー。さっきまで管制室にいたのに。ほんとあの人もふらふらしているっていうか、掴みどころがないよな」
「奥様とご一緒です」
 またさらっと心優が報告したのに、雅臣も目を見開いて黙ってしまった。
 指令室からのドアを閉め、雅臣も艦長室に入ってくる。
「いま、一緒にいるのか」
 片手に持っていた書類を、艦長デスクに置くと、心優がいるデスクへと雅臣もやってくる。
「うん。葉月さん、気持ちが落ち着かないようだったから、そばにいてあげてと隼人さんに言ってみたの。そうしたら、迷わずに行っちゃった」
「そっか。隼人さんも意地悪い態度を取っていても、やっぱり死ぬほど心配なんだな。俺も一緒だよ。あんな交渉に本人を立たせたくない」
 雅臣が隣にある光太のデスクの椅子を引いて、隣に座ってしまった。
 今度は心優がドキドキしてくる。それどころか雅臣は光太のデスクに頬杖を付いて、なんだか居座るように腰を落ち着けてしまっている。
「わたしも、臣さんの気持ち通じてきたよ。葉月さんを表に立たせるつもりはないから、側近の心優が抑えろって目だったよね」
「通じていたんだ。俺も心優には通じているとわかったよ」
 なんていいながら、隣にいる雅臣が柔らかに微笑みながら、心優へと手を伸ばしてくる。その手が、心優の頬にかかる黒髪毛先を抓んだ。
「えっと、大佐、業務中……なんですけど……」
 それでも雅臣は心優の黒髪を抓んで、やがて心優の黒髪の頭を撫でてくる。
「心優、俺もおまえを抱きたいよ。心優の肌が恋しい。それだけで勇気も元気も出てくるのにな」
「俺もって……」
 あちらの奥にいるご夫妻がしていることを見透かしながら、大佐殿が熱い眼差しで羨ましがるので、心優もきゅんとしてしまった。
 わたしも、キスぐらい……したい。
「そろそろ一緒に夕飯しないか。葉月さんに許可を取っておいてくれよ」
 雅臣が大きな手で心優の頭を優しく撫でてくれた。
「うん。楽しみ……といいたいけど」
「それぐらいの気分転換は心優にも俺にも必要だよ。じゃあな」
 一瞬だけ、雅臣から座っている心優の口元まで身をかがめ、ちゅっとキスをしてくれた。
 心優はびっくりして一気に頬が熱くなる。雅臣がそのまま背を見せて指令室へと消えてしまう。
「もう……、誰かに見られちゃったら知らないから」
 でも、頬が緩んでしまう。新婚なのに二ヶ月も夜の触れあい皆無のお仕事中。
 部下は我慢して、上司は……。でも心優はそれでも必要なことならばと思って、夫を妻のところへ行かせた。
 あのミセス艦長が『私が目的』と一瞬青ざめたような顔をしたのが気になっていたのだ。
 彼女は男の脅威に怯えることがある。それに勝ちたいから自分も強くなろうと軍人でいるのだと心優は思っている。
 まだ今回は出ていない。彼女が過呼吸を起こし、薬を飲むような自体にはなっていない。そうならないために、海東司令が、特効薬として夫を同じ任務に着任させたのだ。
 心優はその繋ぎをしただけ。側近とし彼女の護衛官として……。
「それにしても。葉月さんとなにを話したいのだろう」
 戦闘機のコックピットと空母のブリッジという距離感で、どんな有利になるものを獲得しようとしているのか。
 まったくわからない。それこそ、雷神のパイロットごと、最新開発機であるネイビーホワイト戦闘機を浚ってしまったほうが、得する情報を得られるのではないのか。
 まさか。御園葉月を欲しいという大陸国の者でもいるのだろうか。
 心優にも嫌な予感が膨らんでくる。わかっているのは、あちらの大陸国にとって、御園葉月という女艦長はぎりぎりのラインを航行するやっかいな艦隊指揮官だということ。邪魔者であるのは違いない。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 その夜になって、ようやっと謹慎処分で軟禁されていたパイロット二人が開放される。
 身なりを整え、艦長室へ来るようにと雅臣が指示をし、少佐二人がこざっぱりした顔で艦長室へとやってくる。
「ご苦労様、クライトン少佐、鈴木少佐」
 アイスドールの落ち着きを取り戻したミセス艦長が、いつもの冷ややかな面差しでデスクから二人の少佐を見上げる。
 その横には御園大佐と雅臣も控えていた。
「もう大丈夫そうね。すぐに空へいけるわね。喧嘩はもうお終いにしてよ」
 二人の少佐が顔を見合わせ頷く。
「承知しております、ご迷惑をおかけしました」
 優等生のクライトン少佐が頭を下げる。
「自分も二度と、このような大人げないことはいたしません」
 悪ガキらしい謝罪に、大佐の二人が揃って微笑んでいるのを心優は見る。
「気になっていたでしょう。朝のスクランブル」
 鈴木少佐が思いあまって謹慎部屋を出そうになったことを心優は思い出す。そして『俺も出撃できるよう葉月さんに頼んでくれ。雷神の先輩だけで足りなくなったらどうするんだ』と叫んでいたことも。
「自分の感覚では、四機、離艦したと感じました」
 クライトン少佐も案じている顔は同じ。あの部屋で何が起きているのか知りたくて堪らなかったに違いない。
 心優もあのあと報告に来ますと伝えたが、艦長から『謹慎がとけるまで余計なことは言わなくていい』と釘を刺され、報告に行くことを止められていた。
「偵察と措置するためのエレメントだけではどうにもならなかったことが起きたということですよね」
 鈴木少佐が落ち着きをなくす前に、クライトン少佐から確認の質問をする。
「あとで城戸大佐から本日の詳細と今日のガンカメラの映像を見せてもらいなさい。今後のことだけれど、予定通りに貴方達を最前線のエレメントとして出撃させます」
「もちろんです。覚悟はできています」
「自分もクライトンと同じです。いつでも出撃できます」
 さらに御園艦長が淡々と告げる。
「鈴木少佐。貴方に最も前に出てもらいます」
 クライトン少佐の息が引き、鈴木少佐は驚いて固まっている。
 だがそれは鈴木少佐が望んでいたこと。
「御園准将の期待に応えられるようにします」
 鈴木少佐は大人の顔になる。彼が一流の男気を見せる時の表情だった。
 だが、御園艦長はそんな望みが叶ったかのような弟分に容赦なく告げる。
「あちらはね。次回、私と通信で会話ができなければ、雷神の戦闘機を一機、囲い込んで大陸国へ浚っていく、人質にすると言っているの」
 また少佐が二人とてつもなく驚いた表情で息づかいを止めた。
「いったい……、今朝、なにがあったのですか」
 クライトン少佐は逆に不安になったよう。しかし鈴木少佐は楽しそうに笑っている。
「へえ、俺にぴったりの対戦じゃねえかよ。囲い込んで一機、浚っていくって? こっちは先輩9機とへとへとのコンバットを何年もやってきたんだからな」
 面白い。やり返してやる!
 バレットの闘志に火がついた。もう彼も飛んでいくだけの弾丸になってしまいそうだった。
「葉月さん、あっちが言うとおりに通信に応えることねえよ。俺にやらせてくれ」
 エースの余裕の笑み。彼もきっと後で姉貴が狙われていると知って、さらなる闘志を燃やすことだろう。
 次回、また大陸国からのコンタクトがあった時。今度は真打ちのエースが登場、でも、彼等が望みのミセス艦長の所在は明かさない。その方針が決まる。さらなる決戦が近づいてきている。

 

 

 

 

Update/2017.7.20
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