◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

TOP BACK NEXT

 17. 妻は俺の家

 

 ついに大陸国と接触。空母艦内が緊迫する。
 翌朝、心優はブリッジセクションにあるミーティング室に呼ばれる。
 そこには警備隊の隊長である金原中佐と、副隊長である諸星少佐。そして心優の父が特訓をしたAチームに選抜されていた特攻警備班のメンバーが集められていた。
 もちろん、シドもいる。そこに艦長室護衛官であるハワード少佐と心優と光太も呼ばれた。
 金原隊長がいる正面、長机には装備するものが並べられていた。
「昨日、ついに雷神飛行隊が大陸国飛行隊と接触。空海飛行隊と同様の攻撃を受けた。前回も大陸国と接触したその時に、艦内に不審者を侵入させてしまった。今回はここからより一層の警備強化をしていこうと思う」
 金原隊長のアイコンタクトの合図に、諸星少佐が頷く。
「ここにいる全員、非番以外の時間は常に無線シーバーをつけてもらう」
 肩に装備する小さな無線シーバーだった。
「艦長付きの三人にもつけてもらう。今回は艦長を出せと名指しをされているとの報告を受けている。前回の不審者はこちらが救助した大陸国パイロットの暗殺を目的としていたようだが、あの時の男は艦長も殺せば手柄だと言い残している。特に御園艦長になんらかの利用価値を見出されている以上、今回はブリッジと艦長の警備を護衛を強化しようと思う。常にお側にいる護衛官の三人にも警備隊との連携を念頭にして頂きたい」
「もちろんです。二度と、艦長と接触はさせません」
 ハワード少佐の意志を強める眼差しに、心優と光太もおなじ気持ちで頷く。
 無線シーバーを受け取り、定められたチャンネルを設定する。いくつかチャンネルを指定されていて、その無線のメモも渡される。
「そして、これもだ……」
 金原隊長が神妙な面持ちで、A班メンバーと艦長護衛官にそれらを差し向けた。
 テーブルの上に、諸星少佐が厳かに、そして重々しい手つきでそれらを並べた。
 拳銃――だった。
「特攻班はこれを装備するように。信頼された警備隊員として海東司令、御園艦長から許可が出ている」
 今回は早々に拳銃を胸元に隠し持っての警備と護衛に踏み切ったようだった。
 警備隊員たちから受け取っていく。隊長から受け取る時、如何にその責任があるかを一人一人声をかけられ、そして彼等は必ず最後に敬礼をする。
 その拳銃は、ハワード少佐にも手渡される。
 そして心優の番。そこで金原隊長が初めて、手渡すのを躊躇う様子を見せた。
「できれば、園田と吉岡には渡したくない」
 まだ銃を扱うには訓練が足りない二人だということなのだろう。
「素手で任せてくださるのならば、警棒だけでも私は結構です」
「自分も隊長の判断ならば、園田中尉と同じ扱いで構いません」
 光太も自覚があるようで、男らしい顔つきで返答した。
「いや、そうではなく……」
 未熟だからという意味ではないと、金原隊長が申し訳ない顔になる。
「俺たち警備隊よりも、必要な気がしてならない」
 心優と光太は顔を見合わせた。おなじ気持ちでおなじことを考えていると通じた。
 今回は艦長が名指しで狙われている。もしなにかがあれば、不審者はまっすぐにブリッジを狙う。つまり御園艦長を目標にして接近してくると言うこと。
「だから……。もしこれを使うなら、園田と吉岡。おまえ達二人の確率が高いということだ」
 そこで金原隊長が『ちょっとした親心を出してしまった』と小さく呟いたのを聞いてしまう。心優も光太も気がつく。まだ任務の経験浅い若い二人に『射殺』という人殺しをさせたくないという心配をしてくれているのだと……。
 だが心優は間髪入れず、金原隊長を見上げ問う。
「使用する場合、即死は避けた方がよろしいですか。それとも艦長と乗員の安全優先でどうなっても構わない対処でもよろしいですか」
 周りの男達の息が引いたのがわかってしまう。心優だって考えたくない。でももう新人でもなければ、心優は護衛官としてするべきことをしたいと思っている。
 それには父にあれだけ厳しく教えられたこと、見送ってもらえたこと、艦長を託してもらえたこと全てに応えたいと思っているから。
 やっと金原隊長が心優へと拳銃を差し出した。
「艦長を護り抜くことが優先だ。射殺も厭わず頼む。ただし、できれば潜入した動機などの原因究明のため制圧確保が最善と考えて欲しい」
「イエッサー。了解しました、隊長」
 凍った心優の表情をみた男達が『ミセスに似てきた』と囁いたのが聞こえてしまった。心優にとっては最高の褒め言葉だった。
 確固たる決意で心優も拳銃を手に取る。
「吉岡、おまえはなるべく使うな。ただし自分を護る、艦長を護る。これのために使用しろ」
「わかりました、隊長」
「吉岡には特に言いたい。逃げるのは恥ではない。逃げて助けを求めること、救援を取り付ける役を全うしろ。園田を助けたいなら体術ではない、援護要請の連絡だ。そして……、初任務で母親を泣かせるな」
「はい、……ありがとうございます」
 光太も硬い面持ちで銃を受け取った。
 そこで解散となり、各所担当警備へと散っていく。全員が部屋を出てから護衛三人も出て行こうとした。最後に金原隊長と諸星少佐が出て行こうとしていたのに、そこで隊長が立ち止まった。
「諸星、後を頼む。例のこと、艦長護衛には伝えておきたい」
「承知しました。……決められたのですね」
「シドも呼び戻してくれ」
「イエッサー」
 先に散っていく警備隊員の後をついていくシドを呼び戻しに、諸星少佐が掛けていく。
 金原隊長はそのままミーティング室の中へもう一度入ってきて、ドアを閉めた。その後すぐにシドも『どうかされましたか』とドアを開けて戻ってきた。
「艦長護衛の三人、そしてシド。こっちへ来てくれるか」
 いつも以上に険しい表情に固まっている金原隊長が、部屋の奥へと残した護衛官とシドを促す。
「シーバーがオンの状態なら、オフにしてもらいたい」
 心優はまだチャンネルを設定しただけだったからオフになっている。シドはオンからオフに切り替えたようだった。
 警備隊の黒い戦闘服、特別に許された戦闘用のがっしりとした装備をしている金原隊長が背を向けている。
 どうしたのだろう。心優と光太はいつもどおりに顔を見合わせ首を傾げる。ハワード少佐とも目があったが、彼もわからないと首を振っている。シドは落ち着いて隊長をみつめていた。
 金原隊長が振り返った。
「私と諸星だけで話していることがある。それを艦長のおそばにいる貴方がたと、ブリッジ配属のシドには伝えておこうと思う」
 隊長としていつも堂々としている金原隊長の迷うその顔に、心優は不安を覚える。その隊長が短く、そして小さな声で言った。
「今回は内部に内通者がいると想定して、警備を強化しようと思っている」
 心優は驚き、目を見開く。すぐに見てしまったのはシドだった。でもシドは予測していたせいか、やっぱりね……と当たり前のような顔をしていて驚いていない。
 それどころかハワード少佐もシドと同じ落ち着きようだった。
「隊長もそう予測されているのですか」
「ハワード少佐もおなじようであって安心した。さすが、ミセスの信頼を得ているだけある」
「前回、あのようにいとも簡単に潜入されたことが、未だに腑に落ちないでいます。あの頃から手引きした者がいたのでは……。ただ、個人の憶測なので胸にしまっていました」
 ここでも心優はさらに衝撃を受ける。シドだけではない。ここにいる『プロの男達』は、個人であっても予測ができてたこと。若輩であるシドはその男達と同じ思考をすでに持ち合わせているということになる。
 まだ一年目の護衛の女の子。シドにあのように喩えられて当たり前だった! 悔しさが心優の中に瞬時に広がっていく。
「ハワード少佐、ミセスから少しでもなにか聞いていることがあれば教えて欲しい」
「いいえ、なにも。あの方もそうと決めれば、たった一人でそこまで事を運ぼうとする方です。奥の手の作戦は直前になるまで明かさないでしょうが、とっくに内部のリスクも察知していたと思います」
「園田は、なにも聞いていないか」
「いいえ。なにも……。そのようなほのめかしも様子も見せたことはありません」
「吉岡は」
「とんでもない。自分はただの男の子ですから」
 ただの男の子と真顔で返答したせいか、金原隊長が少しだけ笑った。ほんとうに光太にはこういう和みがある。
「シドも気がついていたか」
「はい。前回、自分たちは空母への侵入を許してしまいました。なので、こちら空母側は今回は外からの侵入に対しては警備を強化すると敵方に予測され、それならば内部に協力者を置くことで敵方も動きやすくなるよう画策するのではと予測していました」
「さすが、大将のご子息だな」
 シドがちょっと照れてうつむいたのを心優は見てしまう。
「打ち合わせ済みだが、次のスクランブル指令が出たら、警備隊も厳戒態勢に入る。よろしく頼む」
 ラジャーと、艦長室付きの護衛官とシドが揃って敬礼をする。
「特に園田。艦長になにかあればすぐに俺か諸星を呼ぶように。なるべくブリッジの側にいる」
「かしこまりました。すぐにお呼びします」
「吉岡もだ。園田が不審者と対峙して余裕がなさそうだったら、すぐに俺と諸星に連絡だ。いいな」
「イエッサー」
 いよいよ、警備隊も厳戒態勢に入る。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 そして、艦長はというと。
「そろそろ是枝さんのティータイムの時間だと思うけれど、今日は何かしらね」
 文庫本片手に、艦長室のソファーでゆったりくつろぎ中。
 いつもは絶対に艦長デスクから離れようとはしないのに、いつもは……航空機の映像を見たり、記録を読み込んだりしているのに……。今回は上手な息抜きができてるようだけれど、まさかのソファーでゆったり寝そべっての読書。
 この落差なに……と、心優も反応に困っている。
 様子見で冷たいお水をベッドルームに持っていくと、その状態だった。
 ソファーとテーブルというリビングのような部屋は艦長ベッドルームならでは。そこで丸窓を開けて、青空と爽やかな風が入ってくる状態でくつろいでいた。
 波の音も風の音も聞こえ、さらに潮の匂い。甲板からの燃料の匂いさえなければ、この部屋は南ヨーロッパのコテージかと思えてしまうほど。何故、南ヨーロッパと想像してしまうのかといえば、栗毛のクウォーターなミセスが優雅にクッションにもたれて、文庫本を読んでいるから。
「なにを読まれているのですか」
「んー、杏奈が最近読んでいるもの。フランスの少女小説みたいなものね」
「少女小説ですか……!」
「ママも読んでみてーと言われたのよ」
 どんなお話ですかと覗き込んでみると、横書きのフランス語だった。
「夏休みに杏奈ちゃんが読んでいたものですか」
「そう。けっこう、面白いの。あ、そうか。私、こういう女の子らしさを通らずに来ちゃったからかもと思っていたの」
 この歳になってもけっこう読めると、穏やかな微笑みを見せてくれた。
「わたしも読まなかったですね……」
 自分も練習の日々で、試合遠征や寮生活に追われる十代だったと思い出す。
「でも、杏奈はもうこれでは物足りないみたいね。昔からおませさんよ。これを読み終わって私に読んで欲しいと置いていったけれど、今度は右京兄様が持っていた大人の文庫本を持っていたわ」
「えー、あの貴公子のようなお兄様が読んでいたものですか?」
 従妹である葉月さんの目の前ではっきりは言えないが、『モテモテの美男子、遊び人』だったと聞いている。そんな方が読まれる文庫本て大人の恋愛もの?
「うん。私も昔、借りて読んだことあるけれど、意外とどろっとしていなくて、青林檎みたいに初々しくて、でも胸が痛くなるようなものを好んでいたみたい。だから、まあ、いいんじゃないの、杏奈が読んでも――ということになったのよ」
「感受性が強そうですよね。杏奈ちゃん」
「おませで困ってる」
 そこはどうしてか、真顔に、母の顔になったように見えて心優はお喋りを止めてしまう。
 いいか。杏奈と英太兄さん話題を出すなよ――シドに釘を刺されたのを思い出した。
 おませな杏奈ちゃんが好意を抱いているパイロットのお兄さん。そのお兄さんがもうすぐ最前線へ行く指令を受けて空に挑む。
 ミセス准将のその真顔、丸窓の向こうにある水平線に馳せる目線の先で案じているものはなにか。心優にはまだ読みとれない。
「たぶん、数日は王子君も来ないわよ。確実に私と通信が取れる準備を整えられるよう日数をくれたと思う。準備なんてしないけどね〜」
 確実に準備をしておけ。これだけ日数をあげたんだからできるよな。そういう意味で、しばらくはこっちに来ないと艦長は予測しているようだった。
 そのとおりで、しばらく静かで、空母もこの位置に停泊が決まり、ここを拠点として攻防することになっている。
 だから、葉月さんはゆったり過ごしているんだとわかる。
「お昼寝をされるなら、窓を閉めましょうか。是枝シェフにおやつは何かも聞いてきますね」
「窓はそのままで、おやつもそろそろだから聞かなくてもいいわよ。あ、今夜は雅臣と一緒に食事をしてきたら?」
「え、」
「夜も一緒でいいわよ。目をつむってあげる」
 栗毛の艦長がソファーにごろっと寝ころんで、文庫本で顔を隠した。
「あの、でも」
「人目につかないよう、副艦長を招いてあげないさいよ」
 あ、ありがとう、ございます……。
 それ以上は『本当にいいのですか、でも私の部屋に夫を副艦長を誘うだなんて……』と聞き返しそうになったけれど『そこまで言うな、聞けば止めなくてはならない、聞かなければ許す』と言ってくれているのだとわかって、それしか伝えられなかった。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 雅臣はどうしているかと管制室をそっと覗くと、御園大佐と一緒に椅子に座って指揮カウンターのレーダー前で談話をしているところだった。
 後にしようかと思った時、目ざとい御園大佐に気がつかれてしまう。
「どうした園田」
「いえ……、なんでもありません」
 私用だから遠慮しようと思ったのに。眼鏡の大佐が意味深な笑みを見せ、雅臣の耳元になにかを囁いて、彼を椅子から突き飛ばした。
 おっととよろめいた雅臣が、ちょっと照れたようにして頭をかきながらこちらにやってくる。
「二人で散歩してこいって言われた」
 奥様も旦那様もそれぞれ気を遣ってくれるのは、先日、心優が気遣ったせいなのだろう。
 コンビニまで行ってみようかと雅臣から前を歩き出した。後ろをついていくと、ブリッジの人通りがなくなる通路で雅臣が振り返る。
「また、そういう装備になってしまったんだな。護衛というよりもう警備隊員そのものじゃないか」
 夫の後をついてくる妻は、肩には無線シーバーを、腰には警棒を、そしてジャケットの下にはホルスターを装着し銃を密かに携帯していた。
「もう厳戒態勢に入ることにしたみたい。副艦長だから知ってるよね」
「うん。心優も携帯する一人に選ばれていたこともな……」
 そこでやっと雅臣が立ち止まった。同じブリッジ指揮官セクションにいる者としての紺色の訓練服を着ている背中を心優は見上げる。雅臣ややっとこちらを向いた。
 同じ紺色指揮官服姿なのに、雅臣の胸には立派な大佐殿のバッジがついているのに対し、心優は身体中に警備の装備をずっしりとまとっている。
「俺より華奢な妻がそんな姿だなんて、なんだか胸が痛いよ」
「華奢かもしれないけれど、旦那さんよりも戦闘能力は高いと思うよ。地上ではね」
 雅臣が心から心配してくれているのが伝わってきてしまったから、心優からおどけてみた。
 空気が沈まない内に心優から告げる。
「葉月さんが……、今夜は一緒に食事をしてきなさいって」
「わかった。隼人さんにも同じことを言われた。夕食の時間帯は御園大佐が管制室に入ってくれると。葉月さんも待機してくれるって」
「わたしの……艦長付きのお部屋で……一緒に休んでいいって……」
 『え』、さすがに雅臣が驚き固まった。見上げるとお猿さんの頬がちょっと赤くなっている。
「ええっと……それは……」
「目をつむってくれるって……」
 心優も恥ずかしい。おかしいおなじ官舎の自宅で暮らしている夫妻なのに。ここが職場だから? まるで恋人に戻ったみたいだった。
「う、嬉しいけどさ……。俺、その、きっと、我慢……できな、」
 あんなに凛々しい飛行隊指揮官の大佐殿、副艦長だったのに。心優が大好きな三枚目のお猿さんに崩れてしまっている。そうなると愛おしくてたまらなくなってしまうから、心優も困ってしまう。
「わたしも、だよ。だから……どうしよう……」
 個室で二人一緒になったら我慢できない。新婚なんだから。でも心優はいま警戒態勢に入った装備に固められた『護衛官』だった。
「でも。やっぱり心優と二人になりたい。そんなこと目的ではなくて。そんな姿で気を張っている奥さんのそばに少しでも一緒にいてあげたいよ」
 嬉しくて涙が滲みそうだった。女身で気が張っているのは確か。そんな時に大好きなお猿さんの大きな胸に抱きしめてもらえるだけでも元気になれると思うから。
「うん。わたしも二人きりになりたい」
「じゃあ、19時に食事に行こう。艦長室前で待っている。飯を食べた後も俺は管制監視が残っている。御園大佐が交代してくれるのが23時だ。その時、どうやって」
「艦長室に来てくれればいいと思う。人目につかないよう招き入れなさいよと言われているから、そこはなんとかする」
「わ、わかった……」
「わたし、艦長室に戻るね」
「あ、ああ、んじゃ、19時に」
 凛々しかった副艦長の夫が、ぎくしゃくしたお猿さんになっているので、逆に心優はほっとしてしまう。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 19時、中央にあるいちばん大きなカフェテリアへ行くと、副艦長夫妻が一緒にいると乗員達の注目を集めてしまう。
 それどころか、甲板要員やパイロット達と親しい雅臣だけあって、あっという間に彼の周りに顔見知りの男達が集まってしまった。
 ひさしぶりに見るフロリダから来た女性甲板要員とも心優は再会、こちらも『ご結婚、おめでとうございます。前回の任務の時のプロポーズ、素敵でしたもんね!』なんて思い出話も出されてしまい、前回はクルーではなかった男達が『なになに』と興味津々に聞き返すと、彼女達が『夕暮れのプロポーズ、官制員たちにブーツを投げられて……』と話してしまう。
 でもそこで、『ソニックが真っ赤になって照れている』と散々からかわれ、雅臣を真ん中にして賑やかに笑いが絶えなくて、やっぱりみんな大好きソニックの輪が出来上がっていくのを見て、心優は満足だった。
 これからもきっと、雅臣の隣にいる妻としてこんなふうに隊員達に囲まれていく。そんな気がしているから。
「はあ、まさかあんなに囲まれるとは思わなかった」
「副艦長以上に、ソニックだもの。それは集まるよ。わたしも、今回はなかなかブリッジから出られなくて、この前、ランドリーで仲良くなった彼女達と再会できて嬉しかった」
 そして、隊員達からの改めての祝福。『ご結婚、おめでとうございます』、『お似合いですね』、『お幸せに』との数々の言葉の贈り物が嬉しかった。
 食後、コンビニに寄って、ふたりでソフトクリームを一緒に食べる。海が見える窓辺の休憩ブースでは、コンビニで買った軽食を食べる隊員達がちらほらいる。
 窓際のベンチに座って、一緒に潮風を楽しんでいた。もうそれだけで幸せ。
 その後、夜の勤務へと別れる。
 約束の時間は23時。本日は艦長はのんびりモードで本日の事務処理を終えるとまたベッドルームへ早々と退室。
 今夜は光太が夜間の艦長室を担当してくれる。
「心優さん、もういいですよ。俺がここにいますから」
「そう? それなら、頼みがあるんだけれど」
 なんすか? 光太がいつもの純朴な男の子の顔で首を傾げている。でも身体の装備は心優と一緒で重々しいもの。
 そんな彼に心優は躊躇わずに言う。
「城戸大佐が来たら、わたしが部屋で待っていると伝えて」
「わかりました」
 あっさりとにっこりと返され、逆に心優のほうが唖然としてしまう。
「あのね、」
「大丈夫です。ご夫妻なんだからいいじゃないっすか。俺、知りません」
 自分が艦長ご夫妻にしたような気遣いを、今度は新人の後輩にされてしまう。
「ありがとう。もしかして葉月さんから?」
「いいえ。でも……新婚の、自分より若い奥さんがそんな姿になったら、俺だったら心配で堪らないですよ」
 これは男の気持ちです――と、言われてしまった。
 この後輩はまだ新人なんだけれど、やはり男として頼もしいところがある。だから女性護衛官である心優がどうしても補えないことは彼がこれから補ってくれるのだろう。
「吉岡君、この借りはいつか返すからね」
 あなたに恋人ができた時。応援するからね。そんな気持ちだった。
「頼りにしていますよ、心優さん」
「なにかあったら、すぐに連絡してね」
 肩にあるシーバーを指さし、心優は艦長室を退室する。
 ドアを開けて、二部屋とバスルーム、ランドリールームが並んでいる通路に入る。心優の小部屋はドアから五歩程度。すぐそこにある。
 部屋にはいると、丸窓には星空。満天の夜。
 ベッドに腰を下ろし、シーバーをオフにする。肩から外そうかどうか悩んだ時、いま部屋に入ったばかりなのにドアからノックの音。ドアへ向かい開けると、雅臣だった。
「いらっしゃい」
「お疲れ、じゃまするな」
 いつもの心優が知っている旦那さんの顔だった。
「吉岡が一人でいて、どうしようかと思ったけれど。奥さんはいまお部屋に入ったばかり、行ってあげてください。あ、俺はコーヒーを飲みたくなったから指令室へ行きます……なんて慌てて隣の部屋に行っちゃったよ。気を遣ってくれたんだな、あれ」
「お願いしたの、臣さんが来たら通してあげてと」
「そっか。吉岡はわかっていて……か」
「それもあるけれど。結婚したばかりなのに、妻のわたしがこんな物々しい装備をしているから、旦那さんだったら心配しているでしょうと言ってくれたの」
「へえ……。心優が気に入っていただけあって、いいヤツだな」
 そこでやっと雅臣がベッドに腰を掛けた。
 ほんとうに、久しぶりにふたりきり。誰の目も気にしなくていい。本当にふたりだけ。
「心優、どうした」
 先に腰を下ろしている雅臣が、なかなかそばに来ない心優の手を握った。
 雅臣が心優を見上げている。紺の戦闘服に肩には無線小型シーバー、腰には警棒、そしてジャケットの下にはホルスターに拳銃を隠している。
 それでも雅臣がぐっと心優の手を握って、自分がいるベッドへと引っ張る。
 夫の目の前へと心優も歩み寄る。
「やっぱり落ち着かないね」
「わかってる。でも、俺のそばにおいで」
 手を引かれるまま、心優は雅臣の膝の上に座った。
 心優の腰に手を添えて、彼が心優をじっと見つめてくれる。
「ちゃんと心優の匂いがする」
「ほんと? わたしも……臣さんの匂い久しぶり」
「もっと感じたい。もっと、心優の本当の、俺だけが知っている……」
 心優の頬を撫でながら、雅臣の瞳に男の色が灯る。
 紺色戦闘服の襟元、雅臣がそこにあるボタンを抓んだ。ひとつふたつ外されていく。心優も念のため、シーバーをオフにする。でも肩にいろいろな装備のベルトをつけているので、どうしてもジャケットは脱がせられない。襟元だけが開かれる。その下は今日は白いタックトップ。でも衿が開けば、心優の胸の膨らみが現れる。
 それを確かめた雅臣がそこに頬を埋める。そして忍ばせた大きな男の手が、その丸みを包みこんだ。
「あー、すげえ久しぶり」
 男の熱い息がタンクトップの薄い生地の上からも感じてしまい、心優もふっと身体の芯が熱くなるのを知る。
 男の手も渇望を現している。心優の胸の膨らみを物欲しそうな眼差しで、ゆっくりと揉んでいる。そうされると心優も素肌の時に、この夫にどう愛されているかを思い出してしまい、それだけで思わず濡れた息を吐いてしまう。
 それどころか、雅臣は心優の胸の膨らみ、きっとそこだろうというところにキスをしてくれる。そのうえ、生地の上なのに、でもその下ではつんとしてしまった尖端をわかっているかのようにして、そこに歯を立てた。
「あ、わかるな……」
 しかもそこを当てられて、かぷっと甘噛みをされた。生地の上でも、下着の上でも、夫の歯を、愛撫を心優は感じてしまう。
「いや、……だめ……」
「心優……」
 タンクトップの裾をとうとう捲られ、心優の素肌に雅臣の熱い手が上へと這っていく。彼の指先がランジェリーの下に当たり、そこを潜っていく。
 ついに夫の指先が、つんと尖っている乳房の胸先に当たった。
「臣さん……」
 もう我慢できない。装備を解いて、戦闘服も脱いで、全部脱いで……! あなたの指先、舌先で、好きなようにして。わたしをめちゃくちゃに愛撫して、狂わせて……! 最後に、最後に逞しい貴方に貫かれて愛しぬかれたい。とろけるような微睡みで眠って、気怠く貴方と一緒に目覚めたい!
 心優の脇の下で、黒い拳銃ががちゃりと揺れる音。
 心優も我に返る、そして、雅臣も心優の脇の下をじっと見つめていた。
 そっと、夫の手が胸元から遠ざかっていく。また彼の頭が心優の胸元に。
「だめだ。やっぱできない……。もうなんでもいいから、一瞬でもいいから、すぐに終わるから。なんとしてでも心優と……そんな気持ちできたけれど、だめだ」
 雅臣のその気持ちも心優にもわかる。妻の胸元に頬を寄せてぎゅっと抱きついている夫を、心優も抱き返した。
「わたしも。全部装備を解いて、裸になりたいって……思った」
 でも、夫妻ともに思い止まった。そこにはいま解いてはいけない銃がある。一瞬でも解いて、一瞬だけだから許された時間だから、お互いに裸になって愛しあう。ほんとうにそれは許されたこと?
 もちろん、それでもいいと思えればいいのだと思う。しかし、わたしの夫『大佐』と妻のわたしは一緒に思い止まった。
 裸で抱き合ってなにもかも忘れて愛しあっているその時に、もし……。
 乱れた装備で飛び出したとしても、そこで自分の責務を果たせるのか。
「ここは、俺と心優が愛しあう場所ではないな」
「うん。やっぱりちゃんと愛されたい。帰りたいね、小笠原に」
「でも。俺は、こうしているだけで、俺の家に帰ってきた気分になれる」
 心優が俺の家だ。久しぶりにシャーマナイトの目が心優だけを見つめてくれている。
 心優も雅臣の首元に抱きついた。
 やっと目があって、ちゅっと一緒にキスをする。またお互いを見つめて、今度は一緒にふっと笑う。そしてまたキス。今度は長くて深くて、熱く。そしてお互いを確かめ合うように、戦闘服や指揮官服の上からでもお互い身体を撫でて抱きしめ合った。
「でも、今夜はここで俺も休むな」
「うん……」
 最後に鼻先と鼻先をくっつけて微笑みあった。
「じゃあ、臣さんもここでくつろいでいて。わたしも福留さんのコーヒーをもらってくるね」
「そうだな。少しゆっくり話そうか」
「うん」
 少しだけ乱れた上着の裾をなおして、心優も装備をつけたまま部屋を出た。
 指令室からコーヒーをもらって、心優はまた小部屋に戻る。
 いつも心優がつかっているベッドに雅臣がもうブーツを脱いで横になっていて、丸窓の星を見上げていた。
「おまたせ、臣さん」
「お、サンキュ。心優」
 カップをお互いに手にとって、ひとくち。そしてやっぱりどちらの視線も星空へ向かう。
「いい部屋だな。小さくても静かで落ち着く」
「うん。けっこうお気に入り。この窓の空模様に励まされるかな」
 ベッドヘッドに枕を置いて、ふたりで一緒に背をもたれ並んで空を見上げている。
「航海をしていると、おなじ海の景色ばかりでどこにいるのかわからなくなったり、ほんとうにこの任務が終わるのか、いつ終わるのか不安になることもある。決まった曜日のカレーが出てきてもな。でも空の色は、空模様は毎日の変化を教えてくれる」
「やっぱりパイロットなんだね。空模様で変化を感じるって」
「あとは、心優の匂いさえあればいい」
 一緒に足を投げ出して座っている隣の夫に肩を抱き寄せられる。心優もそのまま彼の肩に頬を預ける。
 コーヒーを飲んで、数日思ったことやこれから心配なこと、久しぶりに仕事以外の話をしてひとしきり笑いあった。
 狭いベッドでも二人で寄り添って微睡んだ。
 心優も同じ。雅臣の匂いがあれば、服越しでも夫の肌の熱を感じられたらそれでいい。
 すぐに眠りについたのだと……思う。

 

 心優、心優。起きられる?
 ドアからノックの音? そして女性の声。
『緊急招集をする。聞こえた者からブリッジミーティング室に集合』
 耳の下、肩先にある隊長の声で、心優ははっと目を開ける。
 がばっと起きあがる。そしてシーバーの音声を届けるボタンを押す。
「園田です。いま行きます」
 ベッドから半身起きあがった状態、すぐ隣ではまだ雅臣が寝そべっているまま。でも彼も目を開けていた。
「どうした」
「警備隊から緊急招集です」
『心優、起きて。心優』
 ドアのノックも気のせいではなかった。大きな夫の身体を越えて、心優はベッドを降りる。雅臣も起きあがった。
 すぐにドアを開けると、ちょっと申し訳なさそうな顔でうつむいている御園准将がいた。
「ごめんなさい。ゆっくりしなさいとこちらから言っておいて」
「いいえ、ゆっくり話せて一緒にくつろぐことができました。城戸大佐も目を覚ましています」
 乱れた姿だった場合を考慮してくれたのか顔を背けていた艦長だったが、心優がしっかりと装備を纏って毅然とした目覚めだったせいか、やっとこちらを見てくれた。
 心優の後ろに雅臣も姿を現す。
「葉月さん、お気遣いありがとうございました。おかげさまで妻といろいろと話せました。もう気遣いは無用ですから」
「そう。それならいいのだけれど」
「なにかあったのですか」
 心優よりも副艦長である雅臣が先に問うた。お姉さんのような顔をしていた葉月さんが、みるみるまにいつものミセス艦長の凍った顔になっていく。
「夜明けに、すこし離れているけれど、奄美諸島沖の海域でコーストガードが不審船と小競り合いをしたようなの。それでこちらに南下してきて警備を強化しているらしい」
「不審船ですか。まあ、でも、ままあることですよね」
「それがどうやら軍的装備を持ち合わせていたらしいの。しかも、逃がしたとの報告。逃走方角がこちら南だったそうよ」
「ほんとうですか」
「ロケットランチャーを持っている乗員が数名、甲板にいたとの報告らしいわね」
 雅臣が黙り込んだ。顔色も変わった。しかし、もう大佐殿の凛々しい男の顔。
「心優、警備隊が緊急招集をしているでしょう。いってらっしゃい」
「はい」
 そのまま自分の部屋を飛び出した。艦長室へのドアを開けようとしたその時、心優はふと振り返る。
 ゆうべの甘い空気を、夫の熱さを一瞬だけ惜しく思って……。振り返って夫の姿をもうひと目と。
「雅臣、こちらも空の配備を検討しなおすわよ」
「そうですね。まさかこの艦まで近づいてこないですよね」
「そこはコーストガードの仕事よ。でも、これであちらコーストガードの情報ももらえるようになったわ。コーストガードと共に護衛艦も同海域に配備することになったらしいわ」
「海上は阻止してもらわねばなりませんが、こちらも空は死守します」
 そこには、もう艦と空を護ることにまっしぐらのアイスドールとソニックしかいなかった。
 還るまで、夫とはもう会えない。そんな気がしてしまっても、心優も前へと走り出す。
『園田。まだか』
 金原隊長も危機を募らせている声。シーバーに返答する。
「いま艦長室を出ます」

 

 

 

 

Update/2017.8.11
TOP BACK NEXT
Copyright (c) 2017 marie morii All rights reserved.