◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 18. ソニックからは奪えない

 

 水平線に現れた太陽が昇りきった頃、警備隊の特攻チームが集合。
 光太もハワード少佐もシドもブリッジ指令室と艦長室から駆けつけていた。
 金原隊長と諸星少佐を正面に、チームが輪になってデスクを囲む。
 諸星少佐がざっと地図を広げた。
「本日未明、空が明るくなる頃だ。この位置で本国のコーストガードと不審船が近距離でぶつかり合ったそうだ」
 金原隊長がその位置に赤い×印をつけた。
「国籍は不明。まあ、おそらくこの緊迫状態から大陸国のものと予測されている」
 さらに金原隊長の説明がつづく。
「甲板にはロケットランチャーを所持している乗員が目視で確認されている。薄暗い夜明けに乗じてなにかあれば発射させる予定だったかもしれない」
「コーストガード側の被害は」
 シドがすぐさま質問した。
「大きな被害ではないが、船首とあちらの左舷が接触したそうだ。警告を繰り返し追跡をしていたそうだが、追いつく寸前に向こうが反撃するように接近してきて衝突したようだ。その後、南に逃走している。これは予測だが……」
 隊長の予測はなにか、皆がその返答に固唾を呑む。
「この艦を狙って向かってきていることも否めない」
 警備隊特攻班の男達の表情が険しくなる。自分たちのところに、武装をした兵隊がほんとうに向かってくる。そう覚悟したのだろう。
「空ではパイロットを浚っていくといい、海上でもこのように平穏ではない。しかも全て向こうから仕掛けてきている。なにか大きな作戦が行われるのではと考えている」
「同時多発的なものでしょうか」
 諸星少佐の質問に金原隊長は頷く。
「かもしれないな。なんとなく、こちらの防衛を崩す目的があるような気もする。その上で……」
 金原隊長が躊躇いを見せた。心優も黙って聞いていると、先日ハワード少佐が自分から言ったように『個人の憶測』になるから言えないなにかを隊長は予測しているのだと思えた。口にすると個人の憶測が、隊長としての見解と変化してしまうから迷っている。
 でも隊長はなにか見通しをつけている。それなら心優も知りたい。
 その躊躇いを払拭しようとしたのは、隊長の絶対的右腕である諸星少佐が促した。
「おっしゃってください。隊長。自分たちも一緒に判断しますし、考えますから」
 右腕の男に言われ、金原隊長が重い口を開ける。
「戦利品がいるのだろう」
 戦利品? 心優も、ここにいる男達も揃って首を傾げた。
「それが飛行隊、空では『ホワイト戦闘機とパイロット、或いは、御園艦長』なのだろう。もしくは、海上からもなにかを持ち帰ることで日本国に脅威を示そうとしているのかもしれない」
「それで御園艦長は狙われているということですか。なるほど」
「持って帰った部隊の手柄になるのかもしれない。海上からならば、侵入をして艦長を浚う。空ならば戦闘機とパイロットを浚う。先に手に入れた者が有利になる、あちらの国で有利な立場を得られる。そんな気がしている……」
 金原隊長がデスクに両手をついてうなだれる。そうなると『俺達、警備隊だけで阻止できるのか。それに見合う部隊が必要なのではないだろうか』と言いだした。
「ここにいるおまえ達は俺より若い者ばかりだから、知らない者も多いだろう。御園艦長は俺より少し先輩で年上だ。彼女が大佐に昇進したその頃、俺はまだ走り出しの隊員だった。ミセス准将が、マルセイユの航空管制基地がテロリストに占領された時の奪還作戦の功績者というのは誰もが知っていると思う。しかし、彼女の最大の功績は捕獲された隊員を全員救い出したこと。しかしその救出の過程で、彼女がテロリストにどのような扱いをされ人質にされたか知っている者はいるか?」
 若い隊員達が顔を見合わせる。『作戦の内部までは知らされない』そういうものだから、若い隊員達は『彼女の功績はこのような実績があったから』は知っていても、『実績を得た任務の詳細、過程』は極秘にされることもよくあるので知るはずもなかったのだ。しかし心優は……。それを知るかのように、金原隊長が心優を見た。
「園田も知らないか」
「いいえ。御園准将の護衛となった後、ボスの経歴は隈無く知りたいと思い、ラングラー中佐の許可を得て確認をしたことがあります」
「では、その時、御園准将は捕らわれた隊員の代わりに、たった一人、引き替えに人質となった。犯人はなぜそれを了承したか知っているな」
 心優は『はい』と頷き、資料通りに告げる。
「当時、マルセイユの岬管制基地が占領され、その奪還救出作戦の責任者であった司令、御園元中将の娘だったから。そしてご実家が資産家であることから、人質として金銭的な要求ができると目論んだから、です」
 その通りだ――と金原隊長も頷いた。そこにいる若い隊員達がゾッとした顔を揃えた。
 彼等が口々に話し始める。
「人質になったということは聞いたことがあります」
「わざと盾になって、海野准将が犯人を撃ちやすいように前に出たというのも聞きました」
「大佐に昇進できたのも、その勇敢さと判断と、突入し捕獲された隊員も全て救出成功した功績からだと聞いています」
「ですが……。犯人がどうして御園准将を複数人の隊員と引き替えにたった一人人質として容認したのか……、理由までは知りませんでした」
 おおまかな経緯は語り継がれても、犯行と経緯の詳細までは伝わらない。そんなものだった。
 そこで隊員の誰もが『もうわかった』という表情になっている。心優も同じくだった。
「つまり。今回も同じ事だ。御園准将を人質にすれば利用価値がある。二十年前は父親が司令という利用価値があった。現在は、フロリダ本部のフランク大将と親戚のような関係。それを大陸国の幹部が知れば、その関係を逆手に取るとことも思いつくと思わないか?」
 心優もようやっとゾッとしてきた。
 あの王子め。こちらが助けてやった恩を仇で返すのか。あんなに品良く、おぼっちゃまとお嬢様という雰囲気で和やかに会話をしていたのに。いや……。心優は首を振る。そうだった。葉月さんも言っていた。『その国で生きていくための正義があるのだ』と。そうせねば生きていけない場所にいるのかもしれない。心優もまだ王子のことは信じたい……。
 だがここでシドが割って入り、冷たく言いきった。
「父は……、いえ、フランク大将は、もしミセス准将が人質にされるようなことがあれば、もうそこで御園准将を切ると思います」
 息子であるシドの発言に、皆がギョッとした。しかし金原隊長と諸星少佐は暗い顔で溜め息をついていた。
「きっとそうだろうな。あれほどの責任ある立場になられたら、妹分であっても手は差し伸べないだろう」
 大将としての立場を貫き、お兄様としての感情は決して持たない判断をする。そうでなければ大将は務まらない。心優もそれは理解できる。
「御園准将ご自身も、そのような状況に陥ったなら『自分のことは切れ』とおっしゃるでしょう。ですから。自分たちで絶対に艦長を護らねばなりません。絶対に敵方の男達に渡してはいけない」
 シドのアクアマリンの瞳がいつも以上に光った気がした。シドにしてみれば、父親の妹分、幼い頃から親しんできたおば様でもあるのだから、その気持ちは人一倍なのかもしれない。
「シドが言うとおりだ。あちらが艦長を名指しで欲している以上、司令部の方針通りに所在は明かさないよう護衛する。いいな」
 イエッサー! 男達が敬礼を揃えた。心優も同じく。今から自分はなによりも御園艦長の護衛官になる。
 もう還るまで、城戸心優にはならない。園田心優という護衛官を貫く。そう誓った。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 警備隊特攻班のメンバーと艦長護衛官で意思の疎通を図り、確認し、解散となった。
 夜が明け、艦長室は朝支度の時間となる。
 艦長のお目覚めのお水を準備したり、朝食の受け入れ準備、朝食が終わったら指令室艦長室合同のミーティング。
「心優、休憩してきていいわよ」
 基地でいうところの業務開始時刻に、朝の支度お疲れ様という気遣いで休憩の許可が出た。
 光太は仮眠に入っているので、午前一杯は艦長に付いてなくてはならない。なのでここで一度ひといき入れておこうと素直に頷いて、艦長室の外に出た。
 休憩ブースが簡易的に設置されている場所で、心優はレモネードを二本買う。二本の内もう一本はもちろん葉月さんのぶん。
「うえ、なんだいたのか」
 おなじく休憩ブースに入ってきた黒い戦闘服の男、シドだった。
「お疲れ様です。フランク大尉。では、失礼いたします」
 ほんとうはそこに座ってひとりゆっくりするつもりだったけれど、シドがあからさまに嫌味な顔をしたのと、心優もいまはもう同僚の馴れ合いやいつもの気易い口喧嘩みたいなものもする気持ちがなくて、去ることにした。
「お疲れ、じゃあな」
 それはシドも同じ? 心優をあっさり見送って、ひとりきりになったブースのベンチにどっかりと座った。
 座ったまますぐそばにある自販機で、カップコーヒーのボタンを押している。
 でも、心優は去る前に『フランク大尉』にひとこと。
「ありがとうございました。絶対に、御園准将を守るとおっしゃってくださって」
「そりゃ、俺の最大の使命だからな。護れなかったら俺の実力も疑われるし……。帰還してから『あっちの家族』からめっちゃ説教されるわ、また未熟者扱いされるわで、面倒だからな」
 豆挽きからやってくれるカップコーヒー自販機、コーヒーが出来上がるまでのその間も、シドは心優を見ないで黙っていた。
 お礼だけ言いたかったので、心優も背を向けようとしたその時。
「初めて会った時。九歳か十歳だったと思う。瀬川アルドという男に胸を刺されたばかりで、車椅子に乗っていた」
 瀬川アルドという名を聞けば、心優もそこを去れなくなる。そしてボスの前では決して言えない男の名が出てきたから心優は振り返った。
「車椅子って……。シド、その時の葉月さんの姿を知っているの?」
「うん。御園家総動員でさ、うちの母親も仲間のおっちゃんたちも日本に大集合だったんだよ。俺も連れて行かれた。東京のホテルに閉じこめられて、せっかく憧れの日本に来たのにちっとも遊びに連れて行ってもらえなかった。それもそうか。瀬川アルドを追いつめる最後の決戦で大人達は神経を尖らせていたからな。いまなら理解できる」
 子供の頃の話なんて滅多にしてくれないから、心優はそのままシドの隣に座ってしまう。
「刺されたばかりの葉月さんがいる病院で会ったということなの?」
「やっと外に連れ出してくれたのが、葉月さんが療養していた病院内の一軒家だった。人目がつかない場所で療養を望む著名人のために用意された一軒家で、そういう金持ち相手の経営をしている病院だった。その一軒家で葉月さんは療養していて、御園家配下の護衛が警護していたんだ。俺が暴れて我が侭いってホテルでイタズラをするようになったんで、母親の同僚のおっちゃんが業を煮やして彼等を指揮しているオジキが滞在しているその一軒家に連れて行ってくれた」
 ホテルでイタズラ我が侭て……心優は眉をひそめたが、でも十歳の子供が母親から引き離されて、ホテルに閉じこめられていたらそれは耐えられないと思う。しかし、そこでなんとかしてやろうと策を巡らせ実行するのが素晴らしいと心優は思ってしまった。
「その一軒家でも俺、いうことを聞かないでおっちゃんたちの監視から逃れて外に飛び出したんだ。その庭に、いた。車椅子の葉月さんが……」
「それがシドと葉月さんの出会い?」
「うん。でもさ『あいつか、せっかく日本に来たのに俺が自由になれないのは遊べないのは大人達が相手にしてくれないのは、こいつか』という怒りがまず最初」
 心優は苦笑いを浮かべてしまう。子供の気持ちだからわかるけれど、まず怒りというそのやんちゃさがシドらしくて……。
「車椅子を蹴ってやろうかと思ってさ」
「はあ!? なにそれ、そんなに悪ガキだったの?」
「そりゃ、母親が放っていることが多かったんで、俺、シッター達を滅茶苦茶困らせる悪ガキだったんだよな」
「うわ……。でも目に浮かんじゃう。っていうか、ほんとに車椅子蹴ったの?」
「ああ、蹴りに行った。でも蹴りが当たったの、車椅子じゃなくて隼人さんだった」
「え、隼人さん?」
 うんとシドが頷く。
「葉月さんが一人で車椅子の散歩をしているかと思っていたんだけれど、遠くから隼人さんが見守っていたみたいなんだ。で、俺が近づいてきたもんだから、隼人さんが気がついて奥さんのところまで守りにきたってやつ」
「そばにいなかったの」
「たぶん『一人で車椅子で動けるように手を出さない』だったんだと思う。そんなかんじだろ。隼人さんって」
 そうだ。心優もそんな旦那さんの遠いようで近い見守りをよく感じている。結婚したその頃から、その前から隼人さんのスタンスは変わっていないということらしい。
「それで怒られたの?」
「あの隼人さんが怒ると思うか? いまだってさ、へらっと笑って余裕で流す人だろ。あの頃からだよ」
 その隼人さんが『やんちゃだな』と笑って、逆にシドを抱きしめてくれたという。そんなことあったんだと心優もふと微笑んでしまう。
「で、葉月さんもお嬢様ぽい柔らかさで笑ってたんだよ。くっそ、幸せそうだな。でも……、胸痛そうだな、辛そうだな。それがわかったから、蹴るのやめた」
「なんなのよ、もう〜小さい頃からほんとやんちゃだったんだね」
「その後、庭を車椅子で散歩している葉月さんがこっそり俺を手招きして呼んでくれて、こっそり菓子分けてくれたりした。別に菓子もらってよろこぶ俺じゃなかったんだけど、」
 嘘だ、うれしかったくせに。と、心優はそっと心の中でほくそ笑む。
「でも。どうしておっちゃん達が、御園とか葉月お嬢様お嬢様て手厚い介護と護衛をしているか、子供の俺でもわかった出来事があってさ」
 どんなこと? 問い返すと、そこでシドはやっと既に出来上がっていたカップコーヒーを自販機から取り出した。そして後ろにある丸窓から見える海へと振り返ってしばらく……。
 その時、なにがあったのだろう。なんとなく心優もその静かな空気に心を硬くする。
「いつもどおり、庭を車椅子で散歩している葉月さんを、キッチンでお茶の準備をしていたおっちゃんの横で眺めていたんだよ。その頃、俺、わりかし出入り許されていたんで。でも葉月お姉さんや隼人お兄さんには話しかけないって条件でさ。ちょっとした買い物にも連れて行ってもらえるようになったし、御園のおじ様とおば様も気遣ってくれて子供が喜ぶような場所にもおっちゃんたちが連れていってくれるようになった。それで、その日はたまたま、療養の家にいたんだよ。そうしたら、若い女が庭の柵を越えて、車椅子の葉月さんを襲った。頭にボーガンを突きつけて、近づくなと叫んでいた」
「え、なに……それ……。そんなことあったの? どうなったの?」
「そのまま浚われていったよ」
 ええ!? 心優はびっくり仰天して言葉を失った。
 そして、今回の状況とやっと重なる。葉月さんは利用価値がある、浚う意味がある。それはその頃も? シドがどうしてこの話をしたのかだんだんわかってくる。
「葉月さんを襲撃して浚っていったのは、瀬川アルドの娘だった」
 それにも心優は驚かされる。そこまでの詳細は心優も知らなかったから。
「さすがに悪童の俺も、キッチンの窓から見えたその緊迫した状況には恐ろしくて震えていた。ボーガンを頭に突きつけられているお嬢様、じりじりと襲撃した女へと輪を縮めていく御園護衛のおっちゃんたち。みんな、俺がみたことない怖ええ顔していた。ジュールのオジキが一番後ろで冷たい顔で指揮をしているのも聞いていた」
「それで、どうなったの」
「そのまま浚われていった。オジキたちおっちゃんたちがなにも手出しもせず、行かせてしまったんだ」
 そして心優はここでハッとして目を見開く。『行かせてしまった、凄腕の男達の失態』? 違う、心優にはもうわかる。
「葉月さん……、自分から行ったの。もしかして」
「そうだ。オジキとおっちゃんとボスのおっちゃんが言っていた。『私を行かせて、この娘を追え』という目をしていたとわかった。だから行かせたって。その後の追跡する迅速さも目の前で見ていた。あのお姉さんはここにいる男達を巻き込んで動かす力を備えている。そう見えた、俺にも」
 その『戦う大人達の一部始終をその時初めて見た』とシドは溜め息をついた。
「初めて、葉月さんが軍人だと感じたんだ。子供心に。たとえ身体が瀕死の状態でも、戦う指標に対して心も目も死んでいない。お嬢様の優しい微笑みは夫のため、家族のため。俺はいまでもあの時の、お嬢様の姿で車椅子なのに、でも葉月さんのあの目が忘れられない。その目を、俺はこの艦で基地で何度も見た。だから俺は……」
 いつかおっちゃん達のようになりたいと思ってここまできた。
 シドが消え入りそうな声で言った。心優にも聞こえた。そしてシドが案じていることもわかった。
「あの人は、あのおば様は、自分がそれで利用価値があるならと受け入れて、自分から行けてしまう人なんだ。ただし、俺達男達のバックアップを信じてやってくれるんだ。だから、今回も、もしそうなったら、あの人は行ってしまうかもしれない」
「そんな……、そんなこと……、だって艦の……」
 艦の中だと言いたかった。しかし心優は首を振る。そう、艦が安全でないことは前回のことで痛感している。油断はできない。
「しかし、どんな時も完全に拉致される前に阻止している。マルセイユの岬管制基地でも最後は葉月さんは取り返せたし、瀬川アルドの娘は葉月さんとただ父親について話したかっただけで居場所もすぐに特定して戻してもらった。しかし今度は異国に連れて行かれたらやっかいだ。すぐに救助はできない。できたとしても日数がかかる。日数がかかるとしたら、その間になにをされるかわからない。だから、こそ」
 だからこそ、絶対に阻止をする。誰にもボスは渡さない。それがシドの信念と心優も改めて知る。
「わかった。わたしも絶対に阻止する」
「そうじゃなくて、葉月さんだよ。あの人、マジでなにするかわからない。おっちゃん達も『お嬢様があんなことを考えるだなんて』と真っ青になっていたもんな。そういう人だよ。あのミセス准将は」
 だから嫌な予感がする。シドの危機センサーがそうしてずっと警告音を鳴らし続けているようだった。
「あ、そうだ。俺、臣さんにもずっと前に一度会っているんだよ」
「え、臣さんと初めて会った時のこと? 入隊してからなんでしょ」
「いや、まだ十八でフランクのお父様の養子になる少し前な。やっぱり母親とおっちゃん達に連れられて日本に来た時。猫のおっちゃんが横須賀基地の航空祭に連れていってくれたんだ」
「臣さんが、スワローだった時? もしかして」
「あちこちで航空祭は見てきたけどさ。あれは凄かった。たぶん、臣さんがスワローに配属されて間もなかったんだと思う。一緒に見学していたマニアの兄ちゃんにおっちゃん達がさ、臣さんの演目を見てすげえざわざわしてたんだよ」
 急にシドのアクアマリンの瞳が明るく煌めいた。いつも少年のような純粋な気持ちを見せる時の彼の目。そして心優も昂揚する。心優が見たこともない、夫のマリンスワロー飛行隊時代のアクロバットショーの時の姿をシドが見ていた!
「一緒に付き添ってきてくれたおっちゃんも『凄い注目されているパイロットがいるみたいだ』と教えてくれた。臣さんのスワロー機が滑走路から発進するだろ。その後の、低空鋭角の一気上昇のハイレートクライム。それを見た男達のざわめきが凄かった。『スゲエ、どこまで行くんだ』とか『あの高度、あの角度でむちゃしやがる! でもすげえ!』って男達が口々に。俺も同じ。母親がジェット機を操縦できるパイロットだからさ。ああいうことができるパイロットは希だってわかったんだよな」
「そんなに……? 臣さんがスワローにいた頃の映像はなんども見てきたけれど。見物客の声までは……」
「だろ。あのざわめきだよ。飛行機に焦がれる男達をざわつかせるパイロットだったんだよ。もう俺もさ、すげえ興奮して」
 えー、わたしも見たかった、感じたかった――と心優は悔しくなってしまう。でもやはり夫はすごいパイロットだった。本当に男達に誉れるみんなのソニック、この頃からずっと。
「だから、シド……。臣さんのこと、好きなんだね……。わたしより先に好きだったんだね」
「そうだよ。その後の、パイロットとの握手会も凄かったんだからな。ソニックの列が長蛇。男ばっかり。でもそのパイロットが男前だとわかると、女の子も並んだりしてさ」
「え、まさか……。シド、並んだの? その時、臣さんと……」
 初めて雅臣を知ったのは飛んでいるソニック機を見ただけなのだと思っていた。でも違った。シドも懐かしそうに、やっぱり邪気のない素直な眼差しで丸窓の空を見上げている。
「そう、そんとき握手している。臣さんは大勢のファンのうちの一人で覚えていないだろうけどさ。でも話しかけてくれたんだ。『国はどこ?』と、俺ちゃんと日本語で『フランスから』と言えた。臣さんも俺が日本語を話せるから喜んでくれて『見に来てくれてありがとう。また会おうな』と握手してくれた。スワローの浅葱色のフライトスーツ姿で、いまよりずっと若かったけれど、いまと変わらないあの笑顔のまんま。買ったグッズにサインしてくれたよ。それ、いまも大事に持ってる」
 また心優は驚いて言葉を失った。そして次に心優の胸に迫るものが……。
「そ、そんなにソニックのファンだったなんて……知らなくて……」
「だろ。言いたくなかった。まさかさ、惚れた女が惚れている男が、俺も惚れているソニックだなんてさ……。でも、いまでも思う。おまえの想い人が臣さんだと知らなかった時、あの夜……」
 あの夜――。そのひと言だけで心優にも通じる。『なあ、俺の部屋に来るか』とさりげなく誘ってくれたあの夜のことだと。
「いまでも思う。あの夜、おまえに思い人がいても迷っているなら、強引に俺の部屋に連れ込んで、俺のものにすれば良かったと。その後でもし、俺が好きなソニックがライバルだってわかっても絶対に絶対に心優を渡さなかったと思う」
 心優は驚いてシドを見る。わかっていたつもりでも、ソニックとの結婚を受け入れてくれた時点で、シドは心優への思いを噛み砕いて、いまは友情に見せてそばにいてくれると思っていたからだ。
 いま彼が口にしたのは、思いっきり、未練。本心だった。
「もちろん、あの時、わたしも嬉しかったよ。最初は意地悪だったシドがわたしのために訓練に付き合ってくれて、一緒にダイナーで食事したりして、慣れていない小笠原での生活の中、心強かったよ」
 でもシドはそこで組んだ両手の拳を額にあて、うなだれている。なんだかいつものシドでなくなってきて心優も困惑している。
「自信がなかったんだ。臣さんが相手と知っていなくても、あの夜、ほんっとにおまえを俺のものにして、おまえを置いていくなんてことになったら申し訳ないと思って……。一時的でもほしかった、でもできなかった。俺なんか、空で光っていたソニックみたいじゃない、闇の……」
「ど、どうしちゃったのシド」
 いまにも泣きそうになっていてますます心優は驚かされる。いつもの自信に溢れている王子のシドではない。
「べつに。なんでもねえよ。だからさ、おまえ、無茶して臣さんを哀しませるなってことだよ。なんかまだ不安なんだよな。おまえ、甘いつうかさあ」
 飲みかけのコーヒーカップを片手に彼が立ち上がってしまう。
「俺は絶対にこの艦を護る」
 それだけはっきりと告げるとさっと行ってしまった。
 心優は呆然としてその背を見送った。
「え、え……。どうしちゃったの……?」
 感傷的になっている。あのシドが任務中に。彼をあんな風にしてしまうものはなに?
 心優の胸に迫るものがある。この緊張感が引き寄せる感傷。
 わたしが甘い? それはあるかもしれない。だからシドが心配してくれている? まだよくわからない。

 次話(19話)も更新済みです

 

 

 

 

Update/2017.8.22
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