9.捜索開始

 

 医療センターの裏側。

 林の中にまるでペンションのような作りの建物──。

 それが『医学校生』の寮だった。

 

真一の部屋は『一階』

エリックと二人部屋だった。

エリックと一緒にいつもの『スポーツニュース』を見る。

消灯は23時だ。

その後はこっそりテレビを見ることもできるが、

真一とエリックはどちらかというと消灯通り…早寝のほう…。

だから、葉月の家に遊びに行くとつい気がゆるんで、夜更かしをしてしまう。

だけれども…この晩…。真一は寝付くことが出来なかった。

『はぁ。桜が咲いても、黒猫さんはこないか…。もう…今度の誕生日までこないのかな?』

いつの間にか…『猫デジ時計』を待ちわびていた。

何が『高級品』かは解る歳になっていたが…。

そんなことは昔から関係なかった。

銀色の時計の裏盤にはフランス語での刻印。

『○○歳。記念』

そして…まるで人をちゃかしたような、コミカルな黒猫のデジタル。

そんな物…高級な時計に仕込むなよ…と思うのだが。

それを楽しみにしていたのだ。

葉月に赤ちゃんが出来て流して…

達也が去って落胆していたときは、泣いている猫デジ。

疑問に悶える真一をすかすように鼻ちょうちんを出して眠っている猫デジ。

12歳のあの命日の日から…去年までに3つ…。欠かさず秋には届いていた。

なのに…『真実』を知った途端に時計は届かなくなった。

(俺が…黒猫さんの正体知ってしまったから…怖じ気づいて現れないって事!?)

そう思うと…無性に腹が立った。

秋からずっと…この繰り返し。

唯一の救いは…

葉月と隼人が幸せに暮らしていて、真一も大切に可愛がってくれるから

『家庭愛』というものに…少しでも触れていられるから

だから…我慢している。

(隼人兄ちゃんに感謝しろよな!)

真一は春が来ても、毎年のお楽しみを届けに来ない『黒猫』に

そんな捨て文句を心で吐いて枕を抱えて眠ろうとした。

(今夜あたり…。隼人兄ちゃん…激しかったりして)

無邪気な子供と思っていたら大間違い。

そんなことも真一は既にお見通しだ。

隼人も勿論…そんな真一の『本性』は見抜いているようだった。

『葉月。ピルやめないんだ。どう思う?』

ある日。林側の書斎で自宅雑務をしている隼人の側で

邪魔をしないように本を読んでいると急にそんなことを言い出したのだ。

最初はビックリ…。

(子供の俺にそんなこと聞くなよ。)と躊躇した。

『真一だから言うけど?流産を二回しているって…

やっぱり女性にとっては、酷なことなんだろうな。

だから。やめろとは言えないんだけど…何時になったら俺を受け入れてくれるかな?』

葉月がそこまで隼人に過去を話していたことにも驚いた。

それと同時に…眼鏡の奥から真一に注がれる視線は

真一を子供扱いしていない『一人の男』かどうか探るような瞳で

真一は怖じ気づいてしまったぐらいだ。

『………。もう少し…待ってあげたら?

葉月ちゃんにとっても、隼人兄ちゃんみたいに『やめろ』っていう男性は初めてで…。

それで…うんと…えっと…。初めてだから戸惑っているかも知れないし。』

『………。そうかもね。俺だけかもね。こだわっているのは…。』

『俺にそんな事つっかかてきた大人の男も隼人兄ちゃんが初めてだよ。』

『だろうね。』

隼人はそれだけ真一から聞き出すとまたシラっとして

デスクの上にあるノートパソコンに向き合ってしまった。

『なに?隼人兄ちゃん…もしかして子供が欲しいわけ?』

『今は…別に?というか・葉月の方が警戒心強いんじゃないの?』

『葉月ちゃんが…ピルをやめたら…どうしたいわけ?』

すると…隼人がまた…眼鏡の奥から神妙な眼差しを真一に向けてくる。

『やめないだろうな。ちょっとやそっとじゃ…。そう思っているよ。

もし…葉月がやめたら。俺は覚悟するよ。』

そんなこと…具体的に口にした大人の男も隼人が初めてだった。

葉月が戸惑うどころではない。

真一の方が戸惑ってしまった。

『………。ピルだって…学校で習ったけど…完全じゃないらしいジャン…』

『はは。16歳になるとそうゆう事もちゃんと知っているんだな。』

隼人のからかい笑い。

でも…真一は別に『恥ずかしい』とは思わない。

医学生にとっては当たり前の予備知識だ。

『医学生なら皆・知っているよ。』

『完全じゃないなら…その包囲網を突破したときは…俺も考えるよ。

なんたって…『愛しているから』手放すつもりはないしね。』

『その言葉。葉月ちゃんに言ってやったら?俺に言われても…。』

『うーん。言葉じゃ信じてくれない何かがアイツにはある。』

(良く解っているなぁ…)

既に真実を知っていた真一は、

葉月がそう簡単には男に心をゆだねないことを理解していた。

この時点で…葉月が『トラウマ』の事は隼人には喋っていると確信した。

葉月と一緒に暮らし始めても、隼人は油断しない男だった。

常に、葉月を側に引き寄せる『注意力』を持っているのを真一は感じていた。

その気遣いも、距離の置き方も…

葉月にとっては『心地が良い』…。だから、二人がここまで一緒になったのだろう。

そうゆう真一も。

子供として扱うところと、『一人の男』として扱ってくれる隼人の

絶妙なツボ押さえにまんまとはまっていると思うときがある。

子供の話もピルの話も平気でしてくる。

『愛している』は、葉月には普段言わないし、真剣な『男話』に挟む『茶化し文句』

それで…14歳も歳が違う少年との『同性話』のバランスを隼人は操る。

後になって気が付いて…

(もう…。適わないなぁ…。あんな男の人初めてだよ!)

と、思っているのだ。

それが…真一も『心地よい』から…彼のことを益々好きになる。

だから…待ちわびている『黒猫』が来なくたって

何とか平穏に過ごしているのだ。

でも…隼人がなんだか葉月とお互いに距離をおいていた時期。

この時に『真実』を知ったので、その頃は『セルフコントロール』にまいりそうだった。

葉月は中隊管理のことで頭が一杯だったようだし。

隼人も『島環境』に慣れていなくて、その上試験勉強。

男と女として向き合い始め、二人の間をいかに繋げ合うか…。

隼人と葉月が一番、お互いの相手に順応する事に必死だった頃だ。

二人が自分の様子に気が付いたのは、試験の結果が出てからだ。

まぁ…。真一も『真実』は、ここ数年あの手、この手で捜した。

知りたかった真実を探し出すのに、

葉月と隼人の注意力が『仕事と恋人』に傾いていた『隙』をついたのだから。

だから…二人が気にかけてくれなかったことに不満はない。

だけれども…知ってしまった『真実』

知ってしまって葉月に助けて欲しいのに

一番。頼ってはいけない人と知ってしまった。

だから…だから…。

『彼』を待っている。

『ロイ』には相談したくない。

ロイは本当に真一を『息子』の様に可愛がってくれて

彼が『黒猫』を『敵視』する気持ちと『理由』も痛いほど解る。

解るから…相談したいけど…

ロイに相談すると真一が望んでいない方へ連れて行かれるような気がした。

じゃぁ…『右京』に相談を…と思った。

でも…彼が、なんだかんだ…従妹の葉月に厳しく当たっていながらも

一番葉月と共鳴している『大人』だと解ったから…

葉月と同じ対応だろうと諦めた。

なんと言っても…『右京と黒猫のジュン』が親しいと言うことも知ってしまったのだ。

右京は黒猫のジュンの為なら、彼の味方になりそうだった。

黒猫のジュンが真一に会いたくないと思っているなら右京は彼に合わせる。

そんな気がした…。

葉月は少し違うようだった。

黒猫と真一の関係でどちらの味方になると言ったら…

真一側のような気がした。

だって…葉月だけがほのめかしてくれた…。

それは『真実』への扉に向かう、きっかけだったが…。

葉月は『覚悟の上』。真一とジュンの接触を望んだたった一人の人間だ。

母の死を知ったことは…仕方がない。

これも自分の運命と…時間がかかったが割り切れるようになった。

だから…もう一つの真実は…葉月が教えてくれたような物だ。

こんな事…知らずして一生を終えるようなことになったら

きっと葉月も…周りの大人も恨んだだろう。

真一にとっては…母の死も吹き飛ばすぐらいの『事実』があったのだ!

葉月のマンションに…隼人が通い始めてすぐのこと。

やっと見つけた…『捜し物』

真一は…もう何ヶ月も前になる秋の夕暮れを、枕を抱えながら、ふと思い出していた。

 

 

 『シンちゃん。ゴメンね?夏休みの間、フランスにお仕事に行かなくちゃいけないの……』

 

 去年の六月…。

葉月がそんなことを言いだして…真一はガッカリ!!

何時も側にいる葉月。

任務で怪我をして帰ってきても真一は気が狂いそうだったのに…。

葉月が二ヶ月も自分をほったらかしにして仕事に行くなんて『とんでもない!!』

それが…最初の気持ちだった。

訓練生になって初めての『夏休み』

『保護者が今年からはいらないだろ?俺達、給与ももらえるようになったし

何処か旅行に行こうぜ!』

そう…訓練生になるとわずかながらの『給与』が国から支給されるのだ。

それは、米軍の…自衛隊の…訓練生と一緒だ。

そんな開放感で友達がざわめきあっていても真一は気が乗らない。

『葉月さん…フランスだって?』

『うん…』

『ご機嫌斜めだな』

エリックがそんな真一を見かねて『鎌倉行きたい♪』と言い出した。

エリックを初めて鎌倉に連れていき『谷村家』に泊めて

夏休みの間、二人で湘南で泳いだり…横浜に買い物に行ったり…

気の良い右京が、良いおじさん気取りでいろいろと遊びに連れていってくれた。

エリックの嬉しそうな顔を見ているうちに気も紛れた。

それなりに楽しい夏休みだった。

葉月という甘えたい相手から離れるには良い期間だった。

友達と親睦を深める良い時間を逆に得たと思っている。

そんな余裕が出て『盆』が終わった頃エリックと『帰島』

その途端に…気が抜けた。

葉月のマンションに上がり込んでも、ひとりぼっち。

今度はエリックの実家に遊びに行ったりしたが…。

ひとりぼっち。

葉月がいないと…真一には誰も帰りを待ってくれる人は…この離島にはいない。

そんな・ささくれた気持ちが湧いたとき…。

ふと…ひらめいた。

『………。この広い部屋に…もしかして。』

何年もかけて膨れ上がった疑問はひとりぼっちになると

浮き彫りにされたようにクッキリ…浮かび上がる。

真一は『これは丁度いいかも…』と…。

初めて葉月に背くような…ヒヤッとした気持ちを抱えながらも

彼女の部屋に入る。

まずは…葉月が今はあまり使わない

『ビューロー式のアンティーク机』の引き出しを探った。

出てきたのは…母皐月と父・真の写真。

フロリダの祖父母、亮介将軍の正装と登貴子の写真。

後は日常、お土産で貰った小物とか、葉書とかそんなものしか出てこなかった。

『ここじゃ…ありきたりか』

次に探ったのはタンスの様な『ジュエリー棚』

葉月が持っている家具で一番大きな物だ。

それもそのはず…。

彼女はやはり『資産家の一人娘』

付けもしない『高級貴金属』をそこに保管しているのだ。

小さい頃は珍しくて良く葉月にねだってキラキラするアクセサリーを見せて貰った。

今となっては『女性の宝物』

男が触る物ではないと、見る興味もなくなっていたのだ。

しかし…真一はそこを開けて『仰天』した!

『いつの間に!こんなにあったけ!?』

子供の頃眺めさせてもらった時よりかなりの高級品がそろっていた。

小さなダイヤのペンダント。ピアスにブレスレットに時計。そして…指輪。

良く思い返せば…

『葉月ちゃん』 『葉月』 『葉月』と…

葉月は真一と同じように歳が離れた従兄姉やロイや美穂などの義理兄姉…。

そして、鎌倉の叔父に…谷村の祖父母。

そして…フロリダの…離れて暮らしている両親からも

本当に気にかけられていて可愛がられている。

『そうか…。葉月ちゃんは軍人第一だモンな…』

みんなが『女の子らしくしたら』と葉月に…誕生日の度に贈っていたのを思い出す。

その積み重ねで…葉月が付ける気がなくても貯まった物だと

目にして初めて『実感』した。

その中でも…真一がふと・気になったのは…『時計』だった。

一番素晴らしいのは時計盤の周りに

小粒のダイヤが三連にもなって並べられている赤い時計だった。

『ウヒャー!絶対…ウン千万は行っていそう!!』

フロリダの葉月の父親…『亮介』ならいとも簡単に買えそうだと真一は思った。

しかし…葉月が付けもしない時計は妙に…他の貴金属品と違って

豪勢に…綺麗に揃えて並べてあった。

他の統一感がないアクセサリー。

葉月が自分で選んだのなら自ずと彼女の好みで統一感が出るはずだから…。

統一感がないのは選んだ人がまちまちだからだろう…。

でも…その時計の『列』には何処か統一感があった。

『もしかして?』

真一は…葉月も『時計』を自分と同じように

『義理兄・ジュン』から貰っているのではないかと思って

そっと…時計盤の裏を覗いてみることに…。

黒猫のマークなどは何処にも付いていなかったのでガッカリした。

でも…

(これ?フランス語かな??)

読めない外国文字が並んでいたので書斎から辞書を引っぱり出して、調べてみる…。

『緑の葉っぱ嬢?』

葉月の名前そのまんま…でも葉っぱ嬢と、フランス語で表現するなんて…

フロリダの『武道おじいちゃん』の感性では考えられない。

こんな表現を使うなら『鎌倉の茶道おじいちゃん』のほうだ。

しかし…父親を差し置いて叔父が姪っ子にこんなに時計を揃えるだろうか?

葉月を心では可愛がっている『右京』が買うには…まだ財力権利がなさ過ぎる。

(あのイカツイ…黒猫のジュンがこんな表現持っているかな??)

共通点は、真一の時計と同じく『フランス語』を用いていることだけ…。

(まぁ…俺が貰っているくらいだモン…葉月ちゃんも貰っているんだろうなぁ)

黒猫のジュンからの贈り物は…おそらくこの中にもあると真一は確信していた。

それが…この時計かどうかは解らない。

でも…ダイヤの赤い時計。

あんな時計を買える『男』と思うと…また・空恐ろしくなってきた。

真一はなんだか…目がクラクラしてきて

見慣れない葉月の『使わない宝物』を閉まってこの時はそばを離れた。

ベッドの下を今度は探る。

『あれ?ヴァイオリンがない!?』

葉月が『仕事』にヴァイオリンを持ってゆくなど初めてのことだった。

(どうして!?)

何かが繋がったように感じた。

『フランスに出張に行く隊員がいたので…取り寄せてもらいました。』

一番最初の時計を貰った時、葉月が言っていた言葉。

時計の裏盤は『フランス語』

そして…葉月はフランスに行くに当たって…。

滅多に出さない『ヴァイオリン』を仕事だというのに持っていった。

(黒猫さんは…『フランス』にいるって事!?)

そこまで解って…真一はもう一度ジュエリーボックスに振り返った。

あの時計は…絶対…『ジュン』から貰った物だ!

そう確信した。

もう一度、ジュエリーボックスを探った。

ひとりぼっちの夏休み。お留守番中。

この時は何も見つからなかった。