10.衝撃

 

 葉月が留守の間。丘のマンション中くまなく捜した。

でも…何も見つからない…。

『シンちゃん?お利口さんにしている?今週末に帰国するからね?』

(え!?予定より早いジャン!!)

葉月が帰って来るという嬉しさと、もう何も探せなくなると言う焦り…。

そんな複雑な心境だったが…。

ひとりぼっちのお留守番が終わって、葉月が帰ってくる方が嬉しかった。

葉月もなんだかガックリ気力抜けしたように帰ってきた。

その時『サワムラ』と言う男のメールが届いたので

今度はその事の方が気になってしまったのだ。

そんなうちに、隼人が第四中隊に転属してきて

葉月と向き合って、なんだかんだとしているのを眺めている方に気が向いてしまった。

隼人がことごとく、夕方丘のマンションにやってくるので

葉月の留守中に、マンションの中を家捜しすることもできなくなってしまった。

(今年…時計届かないな。)

隼人が来たときには、自分の誕生日も、母の命日も過ぎていた。

時計が来れば…なんだか気持ちが落ち着くような気がしたが、

そんなときに限って『黒猫さん』はやってこない。

彼がいつもの贈り物を届けに来ないので余計に気になり始めた。

葉月と隼人が中隊で何かあったらしく。

二人が空軍管理のことで、ジッと話し合っているのを耳にして

(今は忙しそうだな。)と確信した。

隼人は試験勉強で夕方は必ず丘のマンションに来る。

それならば…学校が終わって隼人が帰ってくるまでの、短い時間を利用するしかない。

(もう…いろいろ捜したモンなぁ。物証みたいな物はないのかな?)

真一は葉月と隼人が仕事をまだしている夕方。

ジッと葉月の部屋を眺めた。

 

 

 どうしても気になるのは『時計』だった。

きっと…義理妹に贈っただろう時計。

真一が持っている時計以外に『黒猫のジュン』の匂いがする物だった。

もう一度…葉月のジュエリーボードを開ける。

(いいか?相手は海軍中佐の叔母だぞ?俺が逆だったらどうする?)

真一はズラリと並んでいる時計を眺めてジッと考えた。

ビューローの机も。ジュエリーボードも。クローゼットも書斎の本棚も…。

隼人がまだ入ったことない葉月が滅多に使わない『スタジオ』も…。

真一が捜したところはすべて『捜されて当たり前』って事なのだ。

(くっそー。鎌倉にも何もなかったしなぁ)

真一がここの所、週末の度に鎌倉に帰っていたのも捜索のためだった。

真父の机からも…右京がお出かけ中の彼の部屋からも…。

鎌倉おじいちゃんの書斎からも何にも出てこない。

鎌倉は大人達の目がありすぎるので思い切っては探せない。

(やっぱり…鎌倉に何かあるのかな??)

あるとしたら『谷村家』が出てきそうだが…。

倉庫に重ねてあるアルバムからも何も出てこない。

真一はそう思いため息をつきながら、時計が並ぶ引き出しを閉じようとした。

その時…。『がさ』っと…敷いてあるビロードが

引き出しと収納ケースの枠に挟まって閉まらなくなった。

(ん?ビロードがずれているのかな??)

夏休みにここを触ったときは『スッ』と閉まったのに…。

(!!)

真一はふとひらめいて。そっと…敷いてある青いビロードをつまんでみた。

(はがれる!?)

ちょっとつまんだだけで、ビロードは時計を持ち上げてスルスルとはがれるのだ。

真一は『灯台もと暗し!』と驚いて、葉月が大切にしてる時計を傷つけないよう…

そっと・そっと…一個・一個丁寧にハンカチでつまんで外に出す。

ビロードは、葉月が全面的にはがしているようで

時計をのけるとスッと簡単に退いてしまった。

そこで目にした物!

『………!おじさんだ!』

ジップ式の透明な袋が二つ。

その一つの袋に男が写っている写真が何枚か出てきた。

『やっぱり!!』

真一は袋を開けずとも一番上にある写真を見て息を呑んだ!

初めて見た彼の素顔。

『真父さんと似ている!』

写っていたのは…黒髪の兄弟。

緑色の軍医制服を着た父親と葉月と同じ制服を着た『ジュン』だった。

サングラスをしていなくても解る。背格好も輪郭も谷村の祖父にそっくり。

でも。兄弟は二人とも母親似。由子に似ていた。

真は優しい次男の雰囲気で。彼はしっかり者の長男。

そんな感じで二人が写っていた。

真一はその袋を開けて汚さないよう丁寧にめくる。

右京と彼。真と三人で写っている物もある。

驚いたのは…白い正装服を着た母と同じ正装をした『彼』が

威風堂々…輝かしい姿で並んでいる姿だった。

もっと驚いたのは…。その白い正装服の彼に頭を撫でられて一緒に写っている…

栗毛で水色のワンピースを着た少女…。

小さい葉月と背が高い大人の彼が写っていたことだった。

写真を見ただけで解った。

『近所付き合いが昔から長かったんだ!』

だったら…皆して何故・彼の存在を隠す?

真一が一番驚いたのは彼が『軍人』だったことだ。

『軍人』の雰囲気は持っていた。

でも…驚いたのは母と同じ『大尉』の肩章を付けている

紛れもない…葉月や母と同じ『連合軍』の軍人だったことだ。

なのに…彼は今・身を隠すように、全く違う事をしている様子。

『何故!?』

真一は写真を葉月のベッドに放り投げてまで…

下にあるもう一つの袋を手に取る。

『………?』

何枚か重ねて折り畳んである紙とは別の便箋が

ひらりと真一の手から落ちた。

カーペットに落ちたその便箋を拾い上げる。

流れるような細い文字が並んでいる。

『葉月。いずればれてしまうこともあると思うが、お前に預けておく。

真と右京と相談した上でのことだ。お前には酷な皐月の日記だが、

鎌倉において置くより良いだろうし、亮介オジキや登貴子おばさんには

これ以上、心痛は重ねてほしくない。真も死ぬ前にその事を気にしていた。

真が大事に保管していたがこれからは妹のお前が管理しろ。

俺が持っていても良いが俺はいつくたばるとも解らないし、

身元が解るような物は側には置かない主義だ。頼んだぞ。

あとな。真が死んだからとガッカリせずに、ヴァイオリンの調律は怠るなよ。』

(なに!?これ!?)

葉月に酷な『母の日記』

父親の真が大切に保管していて…彼の命が短いだろうから男三人で相談して、

妹の葉月に今度は任す…父親の亮介や母親の登貴子にも見せたくない物!?

それも…ジュンは『身元は隠したい』とか!

その一枚の便箋を見ただけで真一の額に汗が浮かんだ。

右京と真と彼の三人で管理していて

それが…管理していた真が死んで、15歳になった葉月の手にゆだねられた物…。

それって何!?

真一は重ねて折り畳んである『母の日記』だろう物を広げてみた。

「うわぁ!!!!」

真一は…殴り書いたような母の乱暴な字を見て…

最初の一枚を読んだだけでその紙の束を、バラバラとベットに放り投げた。

気が遠くなりそうな、めまいを起こした。

それ以上先は…読めない!!

ママがそんな目にあっていたなんて!

俺が…お腹にいたとき。俺をかばって…妹の葉月をかばって!

(嘘だ!!こんな日記嘘に決まっている!!)

嘘じゃなければ…俺は鬼になる。

自分がお腹にいるとき俺まで殺そうとした生物がいた!

(生きているのか!?そいつら!!)

そうだとしたら…絶対許せない!!

真一の眉間に深いしわが寄る。

だが…ジュエリーボードのガラス戸に写っている見たことない自分の顔に驚いて

スッと…その形相を何とか引っ込めた。

(見なかったことにしよう…そうだ。見なかったから…何にもなかったんだ!)

真一は自分が半狂乱になっていると確信しながらも

なんとか…葉月に解らないようにしようと、日記を拾い集めた。

拾い集める手も震えていた。

涙が…こぼれそうなのに。実際には瞳は乾ききっていた。

震える手で何枚かの、母の日記を拾い集めると…

一枚だけ。殴ったような文字ではない、切れ端が一枚。目に付いた。

『母さんの本当の字?』

それだけ見て…少しだけ心が『リセット』された気になって見つめてみる。

ジュンの流れるような字と違って母は女性だというのに豪快な文字だった。

『ジュン兄と私の赤ちゃん。この子が生まれたら…すべてが終わる。

傷つけてしまった葉月もきっと…喜んでくれるから。もう少し頑張る。』

真一はその紙を暫くジッと眺めていた。

(え??)

『ジュン兄と私の赤ちゃん』

手から…ヒラリと…その一枚の紙が落ちてゆく。

最後の一行。

『私の最高の勝利は、大好きだった純一兄に愛してもらえたこと。

赤ちゃんが産まれてくること。彼を愛せたこと。』

頭が今度こそ真っ白になった。

暫くは…今まで疑問だった『線が繋がったのに』

その線が繋がったために今まであった『線』が分離してゆくことに混乱していた。

(俺に…生きている父親がいるって事…?…?)

真一の頭の中に、今までに見た『黒猫のジュン』との場面が繰り返し駆けめぐった。

その次に駆けめぐったのは『大好きだったパパ・真』との少ない想い出。

(…………)

一瞬・世の中すべてに騙された!!と、怒りがこみ上げてきた。

真は…本当は『叔父』。黒猫のジュンは『父親』

真が優しく育ててくれたのはいったい何だった??

黒猫のジュンはどうして、自分を捨てた??

葉月は何故黙っている??

大人達が『嘘』ばっかりついている!!

真一は生まれたときから『騙されている!!』

葉月のベッドに倒れ込んで真一は大泣きをした。

(嘘だよ!全部嘘に決まっている!!)

泣くだけ泣いた。どれだけ時間が経ったかは解らない。

葉月のミコノス調の青い部屋に…夕陽が柔らかく入り込んで来るのだけが解った。

少し。涙が止まった頃。

やっと…何かが自分を元の自分に戻そうとしていた。

(俺に…生きている父親がいた)

それも…あの毎年待ちわびている『黒猫のジュン』

彼が十歳の時に初めて現れた。

『兄様。シンちゃんに逢ってあげて!』

葉月のそんな声が聞こえてきそうだ。

あのころ。葉月に電話をしては駄々をこねていた。

それを見かねた葉月は、真がいなくなった真一を不憫に思って

義理兄の…真一の本当の父親に『逢って!』とせっついたのかも知れない。

彼が初めてくれた時計。

それを貰って、真一は『元気』が出た。

『ふてくされずに…頑張れよ』

そうとは知らずに…あれが『父親』からもらった初めての言葉だったのだ。

妙な暖かさは…無表情な彼から感じたのは

『父と息子』だったからだろうか??

時計を2度目に持ってきてくれたあの夏の日。

『マジックだ。』

おどけて、簡単なマジックを見せてくれた彼。

『俺なんかが、何百本と持ってきても、息子の一本にはいつまでも及ばないさ。』

彼の哀しい声。

『古い知り合いだ』

知り合いどころか…愛し合った仲じゃないか…。

母の墓石に口づけをして『当たり前の男』だったのだ…。

なのに彼は…真一の前では『父親』のそぶりは一つもしなかった。

(なんで?俺が可愛くないのかよ?)

そんはずはない…。

だって…彼は毎年真一に時計をくれる。

(じゃぁ…。真父さんの方が?…本当は母さんに振られた方って事??)

真・父の皐月への熱い想いは昔から知っている。

(だから?甥っ子で…愛した女の子供を育てることが出来たって事??)

彼の愛情が『嘘』には思えない。

本当に…叱ってもくれたし、可愛がってもくれた。

紛れもない…信じて疑うこともない『真の愛情』だった。

(じゃぁ。母さんは…どうして死んだの?父さんは何で俺を捨てたの?)

真一は葉月のベッドから起きあがって…

読み切れなかった母の日記を…勇気を振り絞って読む決心を固める。

『これが真実だ。目を逸らすな!』

自分を守ってくれた母が勝ち得た勝利は『自分』を生むこと。

その母が立ち向かった『憎しみ』は、受け入れなくてはならない。

逃げているだけでは…何も真実はつかめない。

『母さん。俺を見守って…。真父さん!!』

真一は…。

震える手で束ねた日記帳の切れ端をもう一度広げた。

深呼吸。

時間はない。隼人がもうすぐ帰ってくる時間だ。

葉月の部屋がオレンジ色に染まった、秋の夕暮れ…。