11.笑顔の訳

 

 (はぁ……はぁ……はぁ……)

 

 自転車を夕暮れの中、無我夢中でこいでいる。

ガードレールの向こうにある水平線に

大きな太陽が沈もうとしていて真一の涙も出ない頬を照らしていた。

あのあと…気が遠くなりそうになって、何とか正気に戻ろうと

触った物を、元通りに戻すことだけに集中した。

葉月の『秘密の箱』。

ジュエリーボードに、母の日記と…新しく知った父親の写真を元に戻し。

時計は、葉月が並べていた通りに戻した。

『たぶん』…だった。

動揺していたから、何処まで冷静に葉月には、ばれないよう処理したか覚えていない。

(葉月ちゃん!!)

母の日記を読んで、葉月に抱きついて泣きたいほど…心が寒くなった。

しかし…知ってしまった『真実』がそれを許さなかった。

『昔…海で遊んでいて出来た傷』

一緒にお風呂に入った幼い日。

葉月が笑いながら教えてくれた左肩の傷は…。

(くっそー!母さんだけでなく…小さな葉月ちゃんに!!許せない!)

自転車は…寮の門を通りすぎて基地の警備口も過ぎて…

何処へとも行き先も決めていないのにただ走らせる。

葉月が軍人になった理由。

いつも、冷たい女中佐の顔。

それは…仕事で培われた物でなく、

10歳の『事件』の後から葉月をそうさせた物だと解ると

本当はあるはずだった『若叔母』の『優雅な姿』はいったいどんな物だったのだろう?

と…哀しくなってきた。

軍人である葉月が『ヴァイオリン』を弾くのは、

鎌倉で10歳まで育ったと言っていたから、

鎌倉の『風流芸術派・親子』である、京介とその息子の『右京』の影響と今までは思っていた。

『違った!』

葉月がつかむはずだった『夢』と『才能』は

第三者によって奪われた物。

葉月が軍人になったのは…『憎しみを払う』為…。

(もう…耐えられない!!)

自分の『出生の真実』も以外だったが…。

自分を騙した!と、一時は憤慨した大人達の『哀しみ』

大好きな大人達だけに…余計に哀しくなった。

そして…

(俺の本当の父さんは…俺を捨てた…。母さんのために俺を捨てた!)

日記にそこまでは書かれてはいなかったが…。

短く残された日記をすべて読み終わって

混乱する頭を整理するうちに一つのことが浮かび上がった。

『殺して!』

真一は…母と叔母を虐げた男達五人が生きているなら…そう思う。

ましてや…自分がお腹にいたときに襲ってきた奴らだ。

真一がそう思うのだから…

『父親』はそうしたかも知れない…。

五人はもういないと真一は思った。

もし生きていれば…葉月は隼人と付き合う余裕なんかないはずだ。

一生をかけて…その生き物『五人』を追っただろうし…

今ここで、輝かしい女性としての人生は迎えていないはずだ。

『黒猫のジュン』がいつもしている『黒手袋』

大人達が隠すわけ。

犯罪者の匂い…。

彼は…きっと…自殺する…と心に決めた皐月の恨みを返すために…

『五人』を殺したから…『犯罪者』になったから…

真一を捨てて…闇世界に足を入れた。

そこまで解って余計に混乱した。

『あの人が殺したのなら…それは罪じゃないよ!!』

それでも…法的には裁かれるのだろう。

御園の家名に傷が付くのを恐れた母の『意志』

それは、日記に記されていた。

警察沙汰にならないよう、大人達が母を襲った事件は伏せたようで

被害者である母がそれを一番に望んでいたようだった。

だから…『五人』は法的に裁かれることなく表に引きずり出されることは

すぐにはなかったようだった。

きっと…母は真一がお腹にいなかったら…

『赤ちゃんがいなかったら…私が殺している』と…記していた。

しかし最後に彼女が選んだのは…誇りを守っての『自害』だった。

体が弱くなって真一を産んだせいで『死んだ』訳じゃない!

真一を…産んで…彼女は『ジュン兄』に息子を託して

『私は消える』と日記に書いていた…!!

だから…『父・純一』は、母が出来なかった『復讐』を代わって行ったのでは…?

『五人』を殺したのでは…?

真一にはそう思えてきた。

父と母がそろって…生まれた自分をお構いなしに置いていった。

だから…弟で…皐月を兄と共に愛した『真』が真一を一生懸命育てた。

置いて行かれた『寂しさ』に本当の両親に対して『怒り』もあるが

それを通り越して、誇りを守った母の気持ちも…

母を思って世の中を捨てる覚悟をした父の意志も…

真一には批判が出来なかった。

『意志』が強い両親だった…それは僅かながら…『息子として誇り』を感じるが…

今は『怒り』『哀しみ』『驚き』『戸惑い』

すべてが高速の光のように心の壁の中を行き交い跳ね返っているだけだ。

もう一つ、ショックだったのは…『汚れて生まれた』かも…知れないことだ。

母が犯された道を通って生まれてきたことぐらい16歳の真一には解る。

女性の清い道を…生まれる前に汚された。

(俺はそこを通ってきたのか!)

あまりの悔しさにブレーキを握りつぶすと、自転車は当然止まり

ペダルを踏む足だけは、前へ進もうとして…『ガシャン!!』と自転車は倒れた。

基地を遠ざかった海辺は静かだった。

夕暮れだけが真一を見ている。

「う…。うう…。あああ!!」

転んだまま…コンクリートに拳をぶつけると、やっと涙が出てきた。

砂埃で汚れた手に…白っぽく埃まみれの手に涙がボトボト…落ちて埃を落としていく。

さざ波の音が…渚の音が…真一の声をかき消すほど

真一は、くぐもる声で一人唇を噛みしめていた。

 

 

 『はぁ』

その夕暮れの日のことを思い出すと…今でもため息が出る。

春が来て。桜が咲いて…。

隼人と葉月が幸せに暮らしていて…。

だいぶ落ち着いた。

それも…葉月のお陰かも知れない。

彼女だけが『真一の様子を把握して、上手にほのめかすから』だ。

灯りが消えた寮の二人部屋は静かで、隣のベットではエリックがスヤスヤ眠っている。

(今日は…。妙に眠れないなぁ)

明日。雨でも降るのだろうか??

春の気だるい空気が湿気を帯びて部屋の空気を重たくしているように感じた。

枕を抱えなおして、真一は天井を見上げる。

『葉月ちゃん…俺って八ヶ月で早産だったのでしょう?』

自分が未熟児で生まれたことは昔から大人達の話で知っていた。

試験の成績が落ちて葉月が甥っ子にばれた…とやっと感づいた秋の夕暮れ。

あの…隼人が『もずく』を食べさせてくれて…

真一のために初めて料理の腕前を披露してくれたあの日曜日の夕方のことだ。

葉月はそんな質問をする真一の『意図』をしっかり捕らえていた。

真剣な目つきでジッと甥っ子を見つめる。

彼女に『どう答えようか??』という戸惑いは一切なかったようだ。

だから…落ち着いた…まるで仕事をしている

『中佐』の様な目つきですぐに返事が返ってきた。

『シンちゃんはね。確かに八ヶ月で生まれたわよ。

姉様に産む力がなかったから…帝王切開でお腹を開けて取り上げたの。』

(だから、あなたは汚れていない)

葉月のそんな声が聞こえたような気がした。

葉月はそれだけ言うと…なんだか気分悪そうに部屋に入ってしまった。

(ごめんね。葉月ちゃん…。イヤなこと思い出しちゃったんだね?)

だけれども…。自分は汚れているとこの話を聞くまでは覚悟をしていた。

真一は周りの友達が首を傾げるくらいに寮の入浴場で

バカみたいに石鹸をいっぱい付けて同じ所を何度も洗っていた。

『真一。どうしたんだよ?もう充分…綺麗になっているだろう??』

エリックが周りの視線を気にして真一を止めるまで…。

エリックに止められてやっと…洗う手を止めていた。

葉月にイヤな思いをさせてはしまったが…

彼女がそう教えてくれたので安心した。

自分は汚れていない。

おそらく…誇り高い母が真一と自分のために『切開』を望んだと解った。

(母さん…有り難う…)

自分は何とか救われた。

でも…葉月は一生救われない。

そんな葉月を眺めて隼人は戸惑っている。

距離を置いて、葉月が嫌がらないように戸惑っている。

『いつまで葉月ちゃんを一人にして置くんだよ!!』

基地にいるだけで、葉月に手を出そうとするよこしまな男はいっぱいいる。

真一の側にいない父親が、どんなに葉月に贈り物をしたって

葉月の側には…絶対にいない。

葉月はやっぱり一人で頑張ってゆくしかない。

だから…隼人の『他人行儀』な距離の置き方に急に腹が立った。

自分の側にも来ない父親など。

義理妹の葉月にとっても、頼りにならない。

だけれども葉月を守るには真一はまだまだ『子供』

何もできない子供。

初めて…叔母を守りたいという気持ちが芽生えた。

今の葉月に『闇の男』は似合わない。

父はそれを良く解っているのだろう。

だけれども…『時計』ぐらい…いつも通りに届けてくれたっていいじゃないか??

何故。今年は来ない??

自分が父親だとばれてしまったことぐらい

『マジックが専売特許』の彼は解っているに違いない。

父親としての不甲斐なさを感じているのだろうか??

あの余裕いっぱいの彼にそれも似合わないような気がした。

(もしかして…くたばっているとか言うなよ?)

最近ふと。そんな風に悪く考えてしまうこともあった。

何処かで何かの仕事を闇でしていて…

いついなくなってもおかしくない仕事をしているに違いない。

『俺も何時くたばるとも解らないし…』

彼が記した葉月への手紙。

(そんなこと…そんな風になるなよ。バカヤロウ…)

側にはいないが…彼は真一の本当の父親。

そう知ってから、まだ一度も『彼の新しい匂い』=『贈り物』はこない。

でも?

彼がいなくなったら…葉月に何らかの様子変化があるはず。

葉月と彼だけが、真一に『真実』への『ほのめかし』を与えてくれたのだ。

ロイは『絶対真一には知られたくない派』だと解ったのだ。

『姉様とロイ兄様は昔婚約していたのよ。』

葉月のあのわけの解らない話も『ほのめかし』だったのだ。

真一が真実を知ったときに『整理』がしやすいように…。

『婚約していたが、母は純一を選んだ。』

あの話があったから…ロイが何故真一を本当に可愛がってくれるかが

今となって良く解るようになった。

真がそうして真一を本当の子供のように愛した女の子どもを育てたように…。

ロイも皐月に振られたとはいえ…真一のことは愛した女性の子供として

彼女が残した形見と思って接してくれているのだ。

一つ。葉月とロイが違うのは…。

『葉月はジュンの親戚』

『ロイは親戚じゃない』と…言うことだ。

葉月は『義理妹』だから純一のことを想って真一を近づけようとする。

ロイはそうじゃないから…愛した女性の子供を捨てた男には真一は近づけられない。

そこで。あの二人がこの事に関してだけは『対立』しているのじゃないかと。

その間に右京が挟まって、一番の親友としてまとめている。

そんな風に…この半年で真一の中では整理が出来た。

ここまで。まとめると…。

自分のこともそうだが、もっと前からいる大人達の方が、

『事件』をきっかけにいかに彷徨ってきたかだった。

だから…みんな苦しんでいるから。

自分だけ『不幸』とひねくれるのもバカのような気がしてきた。

だいたいにして。

一番おぞましい経験をしたのは『葉月』じゃないか。

真一は聞いた話、知らない話で間接的にショックを受けただけ。

葉月は『おぞましい光景』を実写で経験した当事者。

あの葉月が…人一倍軍人として精進しているのに。

何とかして隼人と暮らそうと今までの型を破って

つつがなく暮らしているのに。笑っているのに。

真一を見守ってくれているのに。

ここでひねくれてどうする??

葉月に余計な事を思い出させるだけ。

『重荷』になるだけ。

だから…今まで優しくしてくれた彼女のために

真一は『今まで通り』を選んだ。

これからは…大人になるに連れて葉月を守る男にならなくてはならない。

きっと…真父が生きていたら…そう言うに違いないし…。

『お姉ちゃまが…私に残してくれた宝物』

そういって真一を必要としてくれる彼女は真一が喜ぶと一緒に喜んでくれた。

葉月が泣けば、真一も哀しい。

だから…葉月のために自分は置いてかれたのかも知れない。

葉月はいつも真一のために頑張ってくれる。

夢と、姉と…仲の良い兄たちを引き裂いた事件。

優雅な将来を約束されたはずの御園家の末娘。

その娘の為に…彼女が『養母』と言う使命で頑張れるように…

その為に真一は彼女の側に行くことを大人達が勧めたのかも知れない。

だから…。

それなら…やっぱり『笑っている』べきなのだろう。

葉月が笑っている限りは…大人達が真一を支えてくれたように

真一も笑って彼女を支えるべきなのだろう。

そう…思えてきたから…『今まで通り』なのだ。

それにしても…。

(ほんとう…無責任なやっちゃな。葉月ちゃんも俺が真実を知ったと知って

かなり動揺していたみたいだし…。親父は俺を勝手においていって

表の世界でみんなが慌てていても知らぬ振りかよ。いいタマしてんな!)

『真一の成績が落ちて彼女がどれだけ悩んだか知っているのか?』

部外者の隼人がそう言うのだから…

葉月は隼人の前ではかなり動揺して彼を困らせたのだろう…。

それでも…黒猫のジュンは冬が来ても。年が明けても素知らぬ振り。

真一はまた。無性に腹が立ってきて…

気だるい空気の中もう一つため息…。

今度こそ。眠ろうとシーツを肩まで引き寄せてうずくまった。

外から雨の音…

(やっぱり降ってきたかぁ)

雨の音は心地がよい。

心が落ち着いた。

そんなうちにやっと…真一は眠れることが出来たようだ。

春が来て…それなりに真一は落ち着いている。

まだ知らぬ事はいっぱいあるだろうとは思うのだが…。