38.秘密任務騒動

夜が明け始めた空母甲板に、小型の輸送機が潮風の中着艦した。

オレンジのジャケットを着込んだ航空員達が、輸送機の気流に仰がれながら

せわしくタラップを降りてきた男を迎え入れようとしていた。

『将軍! お疲れ様です!!』

「……うむ……」

黒髪の将軍は、礼儀正しく『敬礼』にて迎え入れてくれた航空員に

何故かバツが悪そうにして、唇を少し歪める。

「細川中将……お願いです……私も、空母艦で彼女を待ちます!」

輸送機のタラップを降りようとする細川の後ろを、

紺のコートをなびかせた山中がひっついて降りてくる。

「将軍! 私も!!」

今度はデイブがどうしても細川の後を付いてくる。

「もう、よい……お前達に責任はない。マルセイユに戻って

次の指示が出るまでゆっくり休養を取れ……。

嬢のことは、私に任せなさい……」

そう……葉月が勝手に飛び出すことを易々許してしまった細川は

空母艦に戻りたいからと輸送機を、急遽、空母艦にUターンさせたのだ。

一人で戻ると言っているのに、山中とデイブが『お供します』と、その言う事を聞こうとしない。

細川にも、この二人の男の『気持ち』は、痛いほど解っている。

自分と……同じ気持ちだからだ。

あれだけ……側にいて。

あれだけ……細心の注意を払って男達で『じゃじゃ馬』を見守ってきたのに……

いや……葉月に言わせれば『監視され、押さえつけられた』になるのだろうが、

そんな事は、葉月の勝手な所で、

彼女をいかに心配して見守っていたか……

その男達の『抜け目、油断』をするりと……あの小娘は抜けていってしまったのだ。

『迂闊、悔しさ、情けなさ、心配、不安、腹立たしさ』

そんないくつもの複雑な気持ちを抑えきれない『嬢』の親しき者の『驚き』と『痛み』

細川は唇を噛みしめながら、山中とデイブの心配そうでそれでいて……

『男のプライド』を引き裂かれた複雑な表情に同情せざる得ない……。

細川が『帰れ』と何度言っても、山中とデイブは引こうとしなかった。

「好きにしろ」

細川が、やっとそう一言漏らすと……山中とデイブが揃って笑顔をこぼした。

『リュウ! スミス!! 後は頼んだぞ! 俺が帰るまで皆をまとめてくれ!!』

『でも……キャプテン! 俺達も嬢が帰るの待ちたいよ!!』

『いいから……俺が後で報告するから……待っていろ

大勢で空母艦に残っては迷惑だから……』

『……オーライ……』

デイブ=コリンズのキャプテンらしい指示を背中で聞きながら

細川は急ぎ足で甲板から艦内入り口を目指す。

山中がその後をつきてきながら、指示を残すデイブが早く来ないかと

輸送機に振り向いていた。

デイブがタラップを降りると……再びコリンズチームを乗せた輸送機が

入り口を閉ざして、甲板から飛び立とうとしている。

細川は、それを見送るデイブと山中を振り返って眺めた。

『葉月め! この男達にこんな苦汁をなめさせて! 許さん!!』

急に腹立たしさが込み上げてくる!!

荒い鼻息を付いきながら、再び艦内入り口に視線を戻すと……

黒髪のマイク=ジャッジがそっと頭を下げながら、迎えで待ちかまえているのが見えたのだ……。

『葉月──!!』

大人しくしていた親友の娘が、細川の厳しい監視もいとも簡単にすり抜けて

大空へと身を投じた後……。

しばし……そこにいた男達は言葉も発せずに『茫然』としていた……。

輸送機の貨物室には冷たい朝の気流が激しい音を立てて入り込んでくるだけ……。

『父様に伝えて! 『秘密任務実行する』と!』

『おじ様……父様に、コートの左のポケットを見て……と伝えて……』

そんな葉月の言い残しが、急に細川の脳裏に響いて、ハッと我に返る!

「悪いが……コックピットに行かせてくれ!」

細川は、すぐに貨物室から動き出す。

『ウィ! 将軍!』

細川がいつも通りにキビキビと動き出すと、貨物室で茫然としていた他の男達も動き出した。

パイロットの後を付いて、細川はコックピットに入り込む。

山中とデイブには聞かれたくないことがあるため、コックピットには入らないよう閉め出した。

機長であるパイロットは、何が起きたのか解らないような表情で操縦中……。

副機長の若いパイロットが将軍を連れてコックピットに戻ってきたので顔色を変えていた。

「迷惑をかけて申し訳ない。後部ハッチを閉めてくれ」

細川の一言に、機長はすぐに頷いて後部ハッチを閉める操作を……。

若い副機長のパイロットはすぐに空母艦と交信をとってくれた。

将軍である細川からの通信で、母艦側もすぐに亮介に繋いでくれたようだった。

細川はインカムヘッドホンを頭に装着して亮介と繋がるのを待つ。

『良和!? どうした??』

滞りなく任務から去った親友が連絡をよこしたことで、

亮介も並々ならぬ『予感』があったのか慌てたような声で返信をしてきた。

細川は……申し訳なくなって……暫く言葉を返せなかったが……

周りは『外人』ばかりであるのを良いことに、日本語で返事を返す。

「……亮介……すまない……葉月がダイビングで外に出た」

『えええ!?』

そりゃ……当然の反応だと細川はうつむいたが、いつもの如く静かに言葉を続ける。

「葉月が……お前のコートの左ポケットに何かを残していったようだが、気が付いているのか?」

『コートのポケット??』

気が付いていれば、親友がこんなに驚くわけはないと細川も解ってはいたが、

親友がそこでごそごそとポケットを探っていて……何が残されたのか細川は待ちかまえた。

『あ! アイツめ! それで……!!』

何かを見つけて……亮介がそこで怒っていたが……

そう……いつになく娘が父親に甘えるように抱きついてきた……。

その時……葉月は父親のポケットに『銀書簡』を忍ばせていったのだ。

『……』

「何が残されているのだ?」

黙っている母艦側の親友に尋ねてみる。

『わかった……悪いが、良和……こっちに戻ってこれるかな?』

「言われなくても……そのつもりだ。お前に土下座の一つでも……」

『そんな事はしなくていいから……手伝ってくれ』

「何を?」

『秘密任務さ』

「!?」

娘が残した『伝言』をみるなり、父親の彼までそう言いだした!

(本当にそんな言いつけが……葉月だけにあったのだろうか??)

一瞬……将軍である自分ですらそう思ってしまうほどだった。

いろいろと亮介に問いただしたいところだが

『黒猫』が一枚噛んでいることは、他の部下隊員には聞かれたくないところ。

それを心得て親友の亮介が、細川を頼りに母艦に呼び戻そうとしているのが解ったから……

それに……細川も『真意』を知りたいところ……

「悪いが……事態が急変したようだ。総監の申し出だ……

母艦に今一度、戻ってくれないか?」

細川の英語を理解した機長が頷いて……急遽、進路変更……。

輸送機は再び母艦に引き返したのだ。

その間……細川は動揺しているコリンズチームに上手く言い含めなくてはならない。

『御園が飛び出したのは深いわけがあるようなので……

フランク連隊長に確認するまで口外するな』と……。

葉月が『秘密任務』と口走っていた事は『はったり』ととっていたチームメイト達だったが

細川のその言葉で『秘密任務』の言葉に『真実味』がかかってくる。

『本当に秘密任務だったのか?』

『たしかに……お嬢だけチームから外れて動かぬ指揮側に置かれているのは

おかしいと思った……このためだったのかな??』

そんな事が囁かれ始めているのが細川の耳にも入ってくる。

半信半疑のようだったが、細川が総監の御園中将と連絡を取った後……

静かに落ち着いているのを見て、部下達は徐々にその言葉を信じ始めるような雰囲気が……。

『まったく……葉月を叱るべきか……純一を叱るべきか……!!』

細川は腕を組み、落ち着いて座席に落ち着いてはいたが……

面倒な『尻拭い』に巻き込まれ始めたことに腹の中は煮えたぎっていたのだった。

そして……細川はその経緯で、再び空母艦に戻ってきたのだ。

同じ紺のコートを翻している山中と、飛行服のデイブを従えて、

艦内入り口で待ちかまえているマイク=ジャッジ中佐の前に辿り着く……。

すると、意外にもマイクは落ち着いているようで『ニッコリ』……細川に微笑みかける。

「ついにこんな事になってしまいましたね」

本当なら、『苦笑い』でもしたいところ……

亮介に何かを言い含められているのか、マイクはそうして始終落ち着いていた。

ところが……

「奥の手でした……お嬢様が突入すると言う事は……」

「なんだと?」

本当に……『秘密任務』があったのかどうか?? 細川は疑いたくなったが……

解っていた……。

葉月が言い残していった『はったり』を『事実』として作り上げる『作戦』は既に実行されていると。

マイクは『元々あった秘密の作戦』として、細川でなく……

山中とデイブにそう思わせるために、もう……『嘘』をつくよう命じられていると。

だから……細川もそれとなく合わせなくてはならない。……が。

葉月が飛び出した時点で『差し止めようとした』のだから……

『細川中将は知らなかった』という風にして、マイクの言葉に一応……驚かなくてはならない。

勿論……落ち着いたマイクの言葉に……

やっと、山中とデイブが納得したような顔をしていたのだ。

でも……

『そんな重要なこと……四中補佐である俺に黙っているなんて……』

『サワムラは知っていたのだろうか??』

……などと、二人でヒソヒソと囁き合っていて

細川も『どうこいつらを納得させるのか??』とマイクにしかめ面で訴えた。

勿論……マイクも苦笑い。首を振った。

(やはり……こいつらは、マルセイユに戻らせるべきだったかな……)

男として……そして、いつも葉月を気遣う兄貴心に『同情』したことを

細川は少しばかり後悔したのだが……

無理に返すと余計に葉月の『はったりは真実ではない』と納得しないかっただろう。

彼等の目の前で『はったり』を真実に作り上げてこそ……

彼等が『証人』となってくれると思って、『お供』を許した部分もあったのだ。

細川は……

『また一仕事増えた……今からが一番の大忙しだな』と……

額に指を当てて、痛む頭を抱えながらマイクのエスコートに従って艦内に入った。

そして……

「悪いね〜……良和……。戻ってきてもらって……」

作戦室の前に来ると……相も変わらず緊張感のない顔をした親友が待ちかまえていた。

「ちょっと……官僚室にでも行こうか? 任務の説明するよ

あ……悪いけど、山中君とコリンズ君は後ほど……作戦室は今緊迫しているから

アルマン大佐が控えている管制室で待っていてくれるかい?」

穏やかに微笑む『お嬢のパパ』が、娘が飛び出しても落ち着いているのが

信じられないと言うか……やはり、解りきって外に出させたのか……と、

若い二人の中佐は亮介の余裕に頷くほかなかったようで

素直に管制室へと待機するため細川の背中から離れて、去っていった。

その二人が去った途端に……

「また、やられたよ……とんでもない娘だ!」

亮介が苦い表情を灯して、怒っているのをやっと……細川は確認。

「すまない……今回は嫌に素直だったのを信じ切ったのがいけなかった」

細川は親友に心から詫びるために頭を下げたのだが……

「父親の私も同じように『油断』していたのだから……良和のせいじゃないさ」

いつものように呑気に笑って許してくれたのだが……

やっぱり細川はフランスまでわざわざ無理を言ってこの作戦に割り込んだのに

なんの役にも立たなかった自分を呪いたくなったぐらいだった。

でも……

「良和がいて良かった……こんな事になっては今の私は動きにくいから……助かったよ」

やっぱり……この男は『穏やか』なのだな……と……細川はそっと微笑んで救われた気になる。

官僚室に入ると……亮介がコートのポケットから取りだした物を、細川に差し出した。

「これか? 葉月がお前に残した物は?」

「ああ……まぁ、読んで見ろよ。まったく……」

亮介は呆れたため息をついて……銀アルミの蓋付き筒を細川に渡す。

「……」

細川は指でアルミの蓋を開けて……中に入っている手紙を広げてみる。

「…………まったく……純一の奴め……

亮介……お前の婿はとんでもない男だな!」

「……ていうかぁ……」

とぼけた顔をして落ち着いている親友の顔が意外で……

「おい? 何が言いたい?? 亮介……娘が危険な前線に

義理兄にそそのかされて行ってしまったのだぞ!?」

「諦めた」

「は!? お前! 心配じゃないのか!!!」

細川は、今だってあの小さな栗毛の娘が危険な目にあってやしないかとハラハラしているのに

父親である目の前の男はキッパリ『諦めた』などと言うではないか!?

「これが登貴子さんの耳に入ってみろ!! また、取り乱すぞ!!」

細川は、もう少しで親友の襟首を掴みそうになったが……

この事態に発展する事を止められなかった自分を情けなく思い……堪えた。

「良和……私は、父親として充分葉月を引き留めたよ。

勿論……最後の最後に葉月に隙を見せて……やられてしまったけどね。

でも……だからこそ……娘が父親の隙をついて飛び出したからこそ……

今度は……じゃぁ……そんなに軍人として女としてそこまでやりたいなら……

それを行かせてやり……無事に帰るようにさせるのも『親』じゃないかと思えるんだ」

「しかし! 葉月は『女』だぞ! ミャンマーの時のように

無法な男に捕まれば、どんなに傷つくかお前はその苦渋を良く知っているはずだ!」

「確かに……そうだけど……

私じゃなくて、あの時。一番苦汁をなめた葉月がまた……同じように出ていったんだ。

止められないさ……それで……」

気が抜けているのか、疲れているのか……弱々しい表情の親友が

何かを躊躇っていたのだが……

「それで??」と、細川は問い返してみる。

「なんだかね……やっぱり、私と葉月は軍人として繋がっているというか

『バカモノ父娘』かもね……ちょっと思いついてしまって」

「なにを? 思いついた??」

「ジュン坊が、どうして葉月を連れ出したか解るか? 良和」

「いや……」

そう言いながら、細川は純一が残した葉月を指示する手紙をもう一度読み返した。

手紙には……

『お前の男はまだ頑張っていると思うから、来る気があるなら来い。無理強いはしない』

と、言う事と……

『輸送機の後部貨物室に準備を施してある。待ち合わせは飛行時間15分の海上』

それから……

『誰かに見つかった場合は『秘密任務』と称してそれらしく出てくること

この手紙は、亮介オジキにそれとなく残していくこと……

後はオヤジさんが手を打ってくれるだろう……』

と、いう……何とも勝手な純一の指示が書かれているだけ……。

その内容からは……亮介が何を言いたいのか……細川にはまだ解らない。

すると……それを見かねたのか亮介がある一説を指さしたのだ。

『お前の中隊はこれで終わるのか』

の……部分だった。

そこで……細川もやっと理解した。

「二陣が活躍する前に、第一陣が生き残っているなら……

それを成功に導こうって事みたいだな。

つまり……葉月が事を『ひっくり返して成功させる』事を純一はさせようとしているのだよ

これで……葉月がいつものじゃじゃ馬台風で引っかき回して成功して見ろ?

さぞや……今回の作戦で『御園の失態』を待ち望んでいる本部の奴らは

ビックリするだろうねーー♪」

親友の余裕の笑顔に……今度こそ細川は凍りついた!

そう……この男はいつも呑気に微笑んでいるが

心の奥底ではとんでもなく大胆で恐ろしいことを考えている『余裕の微笑み、呑気さ』

だから……『御園の血筋』は『恐ろしい』のだ!

「……だろうな……これで、葉月が事をひっくり返したら……

御園の安泰は間違いないだろう……葉月は文句の付けようがない立派な中隊長になる」

「だから……娘と思うことは『諦めた』ということだ。

今からは……御園を背負って飛び出した『息子』を見守る気持ちになることにした。

それに……ジュン坊がサポートしているなら間違いないだろう……。

きっと……右京と示し合わせたんだろうな。

押さえたってオチビは飛び出す……。

ミャンマーの時のように事が起こってからでは遅い。

葉月が飛び出すなら……その下準備はしておこう……ってね……。

どうやら……間違っていたのは私達かも知れないよ……良和……。

押さえつけることばかり……結局、葉月は出ていってしまったのだから……

保守的に進むようになったとは……私も年でお爺さんの始まりかな?」

栗毛の親友が……そっと官僚室の窓に見える明けようとしている空を

清々しい眼差しで見上げた。

細川も……同感になってくる。

そっと……親友の肩を叩くと、亮介は割り切った笑顔を返してくる。

「と……言う事は……私が亮介の代わりに今から出来ることは……『ロイ』への手配だな」

「怒るだろうねぇ……ロイも……

こうゆう時のために『絶対権力』を手に入れたのじゃないと……

それから……『やっぱり純一は勝手だから嫌いだ』とでも言いそうだねぇ」

笑う亮介を見て……細川も笑ってしまった。

「いや……惚れた女の妹が可愛いという男だ。

葉月のためなら……『でっち上げ』の一つや二つは軽くこなしてくれるだろうさ

では……それとなく、ここに通信機でもセットできるか? 総監殿?」

「はいはい♪ こうゆう時の『絶対権力』 マイクに持ってくるよう、言い付けましょう♪」

亮介のいつものおちゃらけを見て、細川もまた笑ってしまっていた。

「しかしな〜……葉月が怪我でもして帰ってきたら……

私は登貴子さんにかなり……どやされるなぁ」

「そうだね〜怖いね〜……

私のレイチェルママもすごい女性だったけど……

あのママが認めた嫁だからね……『登貴子』は……

まぁ、その娘、孫娘の葉月も皐月も

やっぱりとんでもない女として生まれたのは血筋だね……

参ったよ……ママから嫁から娘から……こんなスリルある人生を

いつまで経っても御園の男は振り回されるんだから!」

二人の男は……そっと脳裏に『御園のママ』を思い浮かべる……。

「確かにお前のおふくろさんはすごい女性だった……」

細川も思うところあるのか苦笑いを浮かべる。

「せめて……葉月には可愛いママになって欲しいね……無理かな」

「さぁなぁ……無理じゃないのか? 空中ダイビングを躊躇うことなくする娘だ」

『あははは!!』

と、二人の同期生は揃って大笑い。

『まだまだ若い者の新鋭的な行動に負けてなるものか!』……と

二人は揃って『秘密任務』を事実にするために動き出す……。

『へっくしゅん!!』

夜が明け始めた甲板でくしゃみ一つ……。

純一は首を傾げながら、鼻を指でこすって甲板に義妹が脱ぎ捨てた飛行服を拾ってみる。

「ん?」

ポケットに何か忘れ物でもないかと、探っていると……

胸ポケットから『キャンディー』が一つ。

「なんだ……アイツ……相変わらずこんな物好んでいるのか?」

昔……小さかった義妹が良く口にしていた『ストロベリーミルクキャンディー』

それを手に転がしながら純一はそっと微笑んだ。

だが……よく見ると日本産の物ではない……。

「日本の絵柄の物ではないですね……アメリカデザインのようですが?

お父様から頂いたのでしょうかね?」

側で眺めていたジュールがそう呟いた。

『…………』

純一は思うところがあって……その潮にまみれているキャンディーを

自分の胸ポケットにしまい込んだ。

「さて……俺達もそろそろ……」

葉月達を見送った純一は、長いコートを脱ぎさる……。

その純一の目の前をジュールがシラっとコートをなびかせて

操縦席に入ってしまった。

「なんだ。ご機嫌斜めだな?」

操縦室入り口の壁に純一は拳を当てて彼をニヤリ……と見つめる。

「別に? 何もありませんよ」

いつもの如く、弟分のジュールは落ち着いた素振りで

クルーザーを動かし始めた。

「……エドが葉月と一緒に出かけたのが気に入らないのか?」

「エドの『潜入』なら……間違いないでしょ?」

「別に……お前でも良かったのだが……」

「急がないと……お嬢様とラムが接触してしまいますよ」

ジュールは黙々と舵を取るだけ……。

純一はため息をついて……少しだけ深呼吸……。

「ハッキリ言うとなぁ……エドの方が『冷静に対処する』と思ってな」

「失礼な。私だって冷静ですよ」

「……いや。お前は葉月が危ない目にあったらなりふり構わずに助けに

『外』に出てしまうだろうな? エドなら感情移入が葉月に対してない。

葉月が『軍人』として危ない目にあっても冷静に見届けてくるだろう。

お前は違うだろ? 葉月を……女……」

「うるさいですよ」

純一がもう少しで痛いところを突こうとするので、ジュールはそこでキッパリ言葉を切った。

純一がそこでまた……ため息。

「お前なら……俺なんかよりずっと葉月には『釣り合うはず』なのだがな」

「……私など……一度地に落ちて『泥』をすすった男……釣り合うはずありませんよ」

「その事を言うなら、義妹も同じだ……アイツも地に落ちてすすっている……

お前はそんな葉月の気持ちが良く解っていそうだな……

持って生まれた品格も俺なんかじゃ足元にも及ばない男だ……」

純一がいつになくそう言ってジュールの機嫌をなだめようとしている。

「そうだろ? 『殿下』」

純一が真顔でジュールにそう言った……。

その言葉は、ジュールに対して彼が滅多に言わない言葉。

ジュールは、舵から手を離して、レーダーに『ガ!』と拳を打ち付けた!

「それを言うなって! 何度言ったら解るのですか!?

俺は……殿下じゃない! 俺が生まれた国はもうないのだから!!

そうだろ!? 『谷村大尉』!!」

ジュールが久振りに『素』になったのだが……純一も解っていて言い出したこと。

しかし、冷静な弟分がムキになるとはまだ何かが心の中で片づいていない証拠と……

純一は哀しい目で弟分を見つめると、

そんな兄貴分に気まずいのかジュールはサッと視線を逸らしてしまった。

純一も、またひとため息……。

「小さな共和国に嫁いだフランス人だった母親を亡くして

フランスに引き取られそして孤児院で低い扱いを受けてたらい回し。

父親は独裁者願望のクーデター首謀軍人に殺され王室は崩壊。

現在は、たしか……民主化されて他の共和国に統合されたんだったよな?

殿下の称号は虚しく、厳しくお前を翻弄して……弾圧され……流れ着いたのが

『レイチェルばあや』の所だったって聞かされている」

「だから……それがなんなのですか? 今は闇の男

むしろ……窮屈な称号をもった身分より自由奔放に生きている今の方がマシですよ」

「はあやの為に葉月に『恩返し』をしたいというお前の気持ちは良く解るが……

今から岬に潜入してもよけいな手出しはするなよ……ジュール」

「……勿論です。ただ……」

「ただ?」

「ラムは絶対に始末します……葉月様云々抜きで。

ヤツの祖国を思う気持ちなど、ただの『自己満足転換』

国なんてヤツは誰の物でもなく『歴史と時代』が動かす物ですからね……

それも解らずに……己の欲望のみで世界を動かそうと言う輩が

私には一番許せない!」

生まれ故郷に『執着』しているわけではなく……

そもそもの人間の隠れた『欲望』を敵視しているのが解って純一はホッとしたのだ。

そこ、『望郷』について……今回犯行を及んだ『林』と『ジュール』が重なって見えたりもして

純一は、ふと心配はしていたので再確認をしたのだが……。

どうやら……弟分はあの『輩』とは全く違う信条だったので純一は安堵する。

「……解っていればいい……済まなかったな……昔のこと……言い過ぎた」

純一がそう言って操縦室から去ろうとしているので

「いえ……本名でお呼びした私も……言いすぎました。

それに……葉月様のお供も捨て難かったですが……

ボスのお供にエドより、私を側に置いてくださったことを喜ぶことにしますよ」

舵を取り始めたジュールの横顔は、いつもの凍てつくような冷静な表情に戻っていた。

純一はそれを確かめてやっと微笑む。

「潜入隊が持ち込んだ銃器と同じ物をだな……」

「もう調査済み、準備いたしました。そう沢山は担いでいけませんから……弾丸を」

「……さすがだな」

年を追う事に『成長』していった弟分の手際良い準備に純一も満足……。

エドと義妹が突き進んで行った岬基地はもう目の前……。

『黒猫クルーザー』は、人が来ないような岩肌の空洞に隠す……。

黒髪と金髪の男、二人……長いコートを脱ぎ去り、黒い戦闘服。

その上にウェットスーツを着込んで、静かに海中に姿を消した……。