33.豪快男

この日は山中と食事を終えて隼人は訓練から帰ってくる葉月を

午後の事務作業をしながら待ちかまえていた。

13時をやや過ぎて葉月が何か買い物袋を下げて帰ってきた。

「お帰り。天気も良くて絶好のフライトだった?」

隼人はこのところ、毎日外に出て空を飛んでいる葉月のことを

少しずつ…羨ましそうにそう尋ねるようになってきた。

「絶好のフライト日和だけど…肩が凝るわよ。上空の風がキツイのは秋らしいわよね。」

「なるほど…。空の雲は『鰯雲』。気流がキツイ季節だモンなぁ。

それより…なに?カフェで買い物?」

隊長席に葉月がそっと置いたビニール袋に隼人は関心を示す。

「そうそう…。今日の中休み。隼人さん、ジョイとお茶には行かないでここにいてくれる?」

「いいけど…。どうして?」

すると葉月が買い物袋の中身を取り出して、机の上に並べた。

「第一中隊の源中佐が来るの。側近としてお茶を入れてもらおうと思って…」

「え!?源中佐が!!」

葉月が机に並べたのはコーヒー豆と小さな容器に入った生クリームだった。

「カフェで分けてもらったの。」

「お・俺にできるかな??」

「できるわよ。私より美味しいカフェオレ入れるじゃない?」

いよいよ…『側近』としてあのリッキーのような『おもてなし役』が巡ってきた!と隼人はおののいた。

その、戸惑いの中葉月がさらに続けた。

「源中佐は『甘党』なの。ミルクたっぷり。お砂糖は大盛り2杯にしてね?

そうそう。もしかしたら…ブロイ中佐も来るかもしれないわ。

ブロイ中佐は解っているわよね?同じフランス基地出身ですもの…。

ただし…ブロイ中佐は、ノンシュガーのカフェオレよ。

あ。コリンズ中佐も来るの。コリンズ中佐は『甘党じゃない』から…

濃いコーヒーをホットで…シュガーは少な目一杯でね。よろしくね♪」

葉月の細かい個人趣向調査に隼人はビックリ…。

「そんなこと…。いつ調べたんだよ!?」

「何言ってるの?側近としては当たり前よ。私は遠野大佐の側近だったとき

散々お茶入れには厳しく鍛えられたの。元より…亡くなったお祖父様から…

フロリダの父…そうそう、今一番うるさいのは鎌倉の叔父様ね。

内勤軍人ならここまで気を配らないとダメだって…。

父なんか…プライベートでお茶入れても「入れ直せ」って厳しいの何の…。

隼人さんは来たばかりだから…『ヒント』は教えたけど。これからは自分で色々開発してね♪」

隼人は初めて『側近』のなんたるかをしって絶句していた。

「わ。わかった。やってみる…。それでも…。何で急に?

そんなに大物が訪ねて来るんだよ…。」

隼人にとっては、源もブロイも大先輩。

コリンズにしたって康夫が熱烈に憧れている豪腕パイロット。

その男達をもてなす役をいきなり言いつけられて緊張感が急に高まった。

「大物って…その内にもっとすごい将軍とか訪ねてくるわよ?

細川中将も時々くるのよ?ロイ兄様と一緒に…。私もジョイも散々叱られているんだから。

隼人さんも覚悟して腕磨いておいた方がいいわよ?私の父も時々来るし…頑張ってね♪」

隼人は『ウヒャー』と冷や汗を流しそうになった。

「さすが。将軍の娘だよなぁ。こりゃただの『隊長室』じゃなさそうだ。」

解ってはいたが…こうなってくると隼人もリッキーのような『自覚』を持たざる得なくなってくる。

それにしても…。

「いままで…そうやって…色々な人の好みは気を使って調べてきたの?」

「え?まぁ、そうよね…。訓練中にさり気なく好みを聞いたりとかね。

ジョイも営業先でちょっとした会話から聞き出してメモ取っているみたいだし。

山中のお兄さんもジョイのメモを教えてもらったりとか…私に聞きに来るときもあるし…。

隼人さんも知りたいなら…私が教えるけど?一番好みがうるさいのは『細川中将』ね。

お茶の濃さはお菓子に合わせて決めろ!ってぐらいだし…。

洋菓子でも、ドーナツなら渋いアールグレイだとかケーキなら砂糖なしのダージリンとか様々よ。

鎌倉の叔父様が感心するぐらいにね〜。」

細川には散々やられたのか、葉月はイヤに疲れたため息をこぼした。

隼人は…益々震え上がって自分がマスターするまでにその怖い雷将軍が訪ねてこないことを祈った。

「えっと。一応…練習して良いかな?」

隼人は葉月がもらってきたコーヒー豆を苦笑いをして見つめた。

「いいわよ。じゃぁ。私に普通のコーヒーを一杯入れてもらおうかしら?」

「あ。なんだか、怖いな。将軍の娘の目利き」

「大丈夫よ。私、隼人さんが入れてくれたお茶に文句付けたことある?」

(ないけど…。紅茶は俺いまいちなんだよねぇ…)

隼人は、コーヒー好みのお客で今回は助かったが…。

これは、紅茶もその内マスターしなくてはならいなと…葉月が偉く先輩に見えてきてしまった。

葉月に入れたコーヒーは『うん♪おいしい。さすがね♪』と誉めてもらえたのは良いが、

隼人は、15時の中休みが来るまで少しばかり落ち着かなかった。

時計を気にしながら葉月と事務作業を進める。30分前になった。

「おっす♪邪魔するぞ!」

慣れた風に誰かがこの隊長代理室に入ってくる。

「早いですわね。デイブ中佐。」

事務作業の手元を止めて、葉月がやや冷ややかな視線で出迎える。

隼人はついたての事務の間に現れた金髪の男を目にして思わず立ち上がってしまった。

「は・初めまして!いらっしゃいませ。コリンズ中佐!

お噂はフランス基地でも耳にしておりました。澤村です!」

デイブが声を発する前に隼人がいそしく挨拶をすると、彼の方がビックリして固まっていた。

隼人は、元の年下上官「藤波康夫」がいつも・口にして憧れていたパイロットを目の前に

頭を上げることが出来ずに、ジッと腰を曲げたままデイブの反応を待つ。

「やだな。日本人はすぐ・頭を下げる。まずは握手だろ!握手!

俺は生粋のアメリカンだ。硬いのは嫌いだね!」

その口調が、イヤにきつくて、隼人はヒヤリとして頭を上げた。

「申し訳ありません…。」と、右手を差し出すと。

ロイやジョイと同じ金髪・青い瞳なのに…ものすごい迫力を感じた。

身長は隼人の方が高かったが、その威圧感は葉月からも感じたことない物だった。

デイブは隼人が差し出した右手にもすぐには、反応せずに

その青い瞳で…腕を組んでジッと隼人を見つめていた。

ふたりの初めての対面に、葉月も隊長席から立ち上がって固唾を飲んで見守っている。

カフェテリアで初めて…遠くで見たときでも彼からは何か大きな気迫を感じた。

それが今・目の前で、隼人一点に彼のエネルギーが注がれている。

隼人は背中が燃えるように汗を感じた。

(これが…若手のチームを引っ張る注目のフライトキャプテン!)

隼人が、その迫力にけ落とされている中、デイブはお返しの握手もしないで

隼人のデスクに一歩・そしてまた一歩と近づいてきた。

そして…

制服に身を包むデイブの腕が、隼人の胸元に強打を打ち込んできた。

鍛え抜いた豪腕パイロットの力。重力に耐え抜くたくましい腕の力でだ…。

『中佐!』

デイブのいきなりの攻撃に、葉月もとうとう身を乗り出して声を上げる。

隼人は当然…キャスター付の椅子にぶつかって…そのまま床にしりもちをついてしまった。

葉月が駆け寄って、隼人の元でカーペットに膝まずく。

そして彼女は、先輩である彼に闘志を燃やすように瞳を輝かせたのだ。

「いや。中佐。大丈夫ですよ…」

隼人は、まるで喧嘩腰のようににらみ合う彼女とデイブを止めるように微笑み、

起こしあげようと腕に手を添えてくれた葉月の白い手をはねのけた。

手をはねのけられた葉月が、何かを悟ったように…スッと隼人に手を貸さずに立ち上がった。

「嬢ちゃん中佐なしでは、立てない男かと思ったぜ。」

デイブがニヤリと腕組み微笑み、隼人を見下ろした。

そしてデイブは、まだ立ち上がらない隼人の元にデスクを廻って手をさしのべてくれた。

「まずは、鍛えろ。解ってるんだろ!?メンテナンスは力仕事だ。

二年のブランクは早急に埋めてもらわねば俺達と同じ甲板にはたたせられねぇからな!

本当はもっと、良いガタイだったはずだ。早く戻せ。」

(そうゆうことか…)

いきなり突き飛ばされた真意が解って隼人はフッと微笑み…

デイブのさしのべた手を無視するように自分で立ち上がる。

「勿論です。私が一番解っています。」

ずり落ちた眼鏡をかけ直し、隼人はデイブを真剣に見つめて、

まだ彼が引っ込めない右手をやっと握り返す。

「悪かったな。嬢ちゃんがあんまり誉める物だから疑わしく思ってさ。

嬢ちゃんのただのお気に入りでは困るんでな。」

デイブのニヤリに、葉月が顔を火照らせて黙り込んでいた。

「お気に入り?とんでもない…。毎日・彼女の口にやられてばっかりですよ。」

隼人の笑いにデイブも『なるほど。俺と一緒だな♪』とやっと微笑みを浮かべてくれた。

微笑むと気迫とは対照的にワンパク坊主のように無邪気な眼差しをする男だった。

葉月は当然…いつもの如く・男ふたりの口悪にすねて『まったく!』と席に戻ってしまった。

「一応。初対面だからな。早めに来て馴染んでおこうと思ってさ♪嬢ちゃん・茶。くれ♪」

「お騒がせな方に出すお茶はありません!」

葉月はデイブの『隼人試し』に相当怒ったのか、シラっとして書類に向かっていた。

『それみろ・いつもこれだ』とデイブが呆れたように腕を振り下ろして隼人に同情を求める。

「いつもお騒がせは、嬢の方ナンだけどなぁ。」

「私も同感です。」

男ふたりでクスクスと笑い出すと葉月は益々膨れて黙り込んでしまった。

「大尉。お茶をご所望よ。不味く作って良いからね!」

一応…お返しは飛んできた。

デイブは『なんだとぅ!』とムキにはなったが隊長業務をする葉月の邪魔はすまいと

慣れたように、一人で応接ソファーに移動をして…まるで自分の部屋のように

勝手に煙草を吸い始めた。

隼人もそれを目にして、いよいよ…側近として初めてのお茶入れにキッチンへと向かった。

(濃いホットコーヒー…砂糖は…一杯…)

隼人は、呪文を唱えるようにデイブの好みを復唱する。

キッチンで、葉月が出してくれた来客用のカップを取り出し、

まずはお湯を注いで暖めておく。

豆は先ほど挽いた物を使う。それを葉月が遠野時代に揃えたというサーバーにセットする。

「嬢ちゃん所はいいよなぁ。お茶入れが評判だからな。いつも美味いから訪ねるのが楽しみだ。」

『そうですか?光栄ですわ』

そのデイブの出来て当たり前の何気ない期待が、『ドキリ』としたプレッシャーを隼人に与える。

「最近は親父さんはどうだよ。久しく、島には顔見せねぇな。」

デイブはソファーでふんぞり返りながら煙草を吹かし

事務作業をしている葉月に話しかけていた。

『いつも通り。若者相手の稽古とゴルフ三昧と母から聞いています。』

葉月も書類とにらめっこをしたまま…先ほどのどつきあいもどこへやら…

丁寧にデイブに返事を返していた。

「たまには連絡してやれよ。なんだかんだ言って親父ってヤツは『娘』が心配なんだよ。」

『さすが…可愛いお嬢様がふたりいるパパですわね…。』

葉月がニッコリ微笑むとデイブが嬉しそうに照れていた。どうやら子煩悩の娘パパらしい…。

(ふぅん…結構…情がある人なんだなぁ)

口調はキツイが、そんな素朴なことを言うデイブに隼人はそっと微笑みながらお茶を入れる。

『サラは?彼女にも最近会っていないわ』

「ああ。元気だぜ。たまにはハヅキに遊びくるようにって、いつも言っている。

お前からも顔見せてやれよ。金網の外は出ずらいらしいからな。

嬢はアメリカ育ちだからキャンプ内は怖くはないだろう?」

『その内に…と伝えてください…。』

「だよな。嬢は今一人で切り盛りしているって伝えているよ。

サラはいつもお前のこと心配しているが頑張っているならそれでいいだとさ。」

『私は元気で大丈夫と言っておいてくださいね…。』

どうやら…デイブの妻の話のようだった。葉月ともかなり親しいらしい。

デイブは家族と共に金網の中…アメリカキャンプに住んでいると言うことだった。

葉月は『無感情令嬢』と言われているかもしれないが…

付き合いが長い者にはこうして心配してもらい

親しくしてもらっているのを耳にすると、隼人もホッとする。

いつもあの丘のマンションで仕事以外では一人きり…

成長途中の甥っ子を待つだけの生活のようだと…隼人はふと。気にはなっていたのだ。

葉月は、年頃の女性のように華やかな二十代女性らしい生活はしていないし…

元より…仕方がないのだが女性の同僚はいないに等しかった。

だから女性の親しき者がいると解ると安心する。

26歳と言えば。お洒落もして女友達同士で食事に出かけたり…

愚痴をこぼしあうお茶に出かけたりしてもいい年頃。

本島へのショッピングや旅行…そのようなことは勿論・していないようだった。

強いて言えば。真一を鎌倉に連れて帰るとき、甥っ子とショッピングをするとか…

一人でするとかそれぐらいだと…『週末の他愛もない話』の時に聞かされていた。

真一も高校生と同じ立場の訓練生になり、保護者なしで本島に帰れるようになったからと

葉月はここの所、鎌倉にも滅多に行かなくなったと言うことだった。

フロリダの親元に帰るのも、遠いから年に一回帰れればいいほうで

どちらかというと両親が仕事で島に来る方が多いからその時に会っていると言うことらしい。

葉月がフロリダに帰ったのはもう…二年も前だという。

父親に最後に会ったのは、今年の春。母親に最後のあったのは去年の夏と言うことだった。

その代わり。鎌倉の叔父にちょくちょく会い、良くしてもらっていると言うことだ。

そうきくと…女独り身で若いながらして自立が早い葉月に隼人は少しばかり違和感を感じた。

彼女が今の歳でないと味わえないこと…

どんどん置き去りにしているのじゃないか?仕事ばかりにかじりついていて良いのだろうか?と…。

だからといって、葉月が急に仕事程々で、女友達とはしゃぎ出すのも似合わないような気がする。

隼人が何となく…致し方ないため息をつくと…

『お!良い薫りだな。さすが。元・祐介大佐室♪』

デイブのその声にハッと隼人は我に返って、サーバーに集中を戻した。

「コリンズ中佐は本当に日本語お上手ですね…。」

そんな言葉を添えて、隼人はふん反り返っているデイブにそっと…

トレイに乗せたソーサー付のカップを丁寧に差し出した。

隼人の品の良い礼儀正しさにビックリしたのか

デイブは、急にかしこまって姿勢を正し、灰皿に煙草をもみ消した。

葉月もその隼人の品の良さを見てニッコリ満足そうである。

「お砂糖は入れておきましたが、お好みで調節してくださいね。」

隼人はシュガーポットと…使われないだろうフレッシュミルクを一応テーブルにおいておく。

デイブは早速…カップに口を付けた。

隼人も緊張の一瞬。

「………」

葉月もペンを止めてデイブの反応を見守っている。

「美味いな…。さすが『祐介』の後輩だ。」

デイブが…豪快に笑い飛ばしてくれるのを隼人は待っていたのに…

彼はなんだか急にうつむいてしまった。

「あいつはさ…。もういないけど…。こうしていい男は残していったようだな…。」

あろう事か…『豪快男』のうつむいた金色のまつげに滴がまとっていた。

隼人が困惑して葉月に助けを求める眼差しを向けると…

彼女もしんみりうつむいていた。

「中佐は…大佐と同い年の同期で…フロリダ訓練生の時親しかったらしいの。」

葉月の声も心なしか震えていた。

隼人もビックリ…この空の男と、走る陸男が友人と知って言葉を失った。

「サワムラ!あいつの残したこと…嬢とやり遂げろよ。俺もいるからな!」

デイブがやっとイメージ通りの豪快な微笑みで隼人を見上げて腰を叩いてきた。

「ハイ! 中佐!」

隼人が元気良く答えるとデイブも満足そうだった。

「やぁ、お嬢! 来たよ」

「ヨシローの付き添い。お、良い薫り! 来て良かったあ」

丁度良く源と葉月が言った通りにフランス人のブロイもやってきた。

隼人はまた気合いを入れてキッチンに戻る。

葉月とデイブが軽やかに動き出し、二人の先輩を迎え入れる。

海が見えるこの隊長代理室にひときわ賑やかな空の人間の会話が高らかに響き渡った。