49.無防備

『嬢!後からこいよ!』

『はぁい…。』

管制塔のロッカールーム。

男子ロッカーと隣にある女子ロッカーに別れる際、

葉月はいつものようにデイブからのランチの誘いを受けて女子ロッカーに入る。

厚い鉄扉の入り口にを閉めて鍵をしっかりとかける。

『ふぅ…』

今日も激しい重力で疲労した腕の筋肉をもみながら、自分専用のロッカーに向かう。

男子ロッカーは大勢が使うが女子ロッカーは少なかった。

(後で…第三中のカーラに鍵を渡さないと…)

葉月は最近若手でメンテをしている女性隊員のことを思いながらロッカーを開けた。

女子ロッカーにはパウダールーム並に鏡がついたドレッサーのような綺麗な洗面台がついていた。

そこに『お着替えバック』を取り出して持っていく。

広い洗面台の下には銭湯のように脱いだ服を入れられる『かご』もある。

これは、数少ない現場勤務女性同士でお金を出し合って買った物だった。

彼女たちには滅多に会うこともないし、皆・それぞれ中隊所属がバラバラだった。

最近は空軍女性も増えてきたものの…やはり葉月が一番の先輩で

彼女たちと出逢えば明るく言葉を交わしたり、

機会があればはちあったティータイムで向き合って休憩することもある。

彼女たちは葉月を一番の先輩として相談を持ち込んでくることもあるし

男性の中で困ったことがあれば頼ってくることもあるが…。

現場勤務を選んだ女性達だけあってよほどのことがないと弱さは見せたりしなかった。

だから…皆・このロッカールームを使うときは『一人きり・悠々』と言ったところで…

次に使うカーラも『けっこう・無防備?気持ちがいいわよね』と葉月に漏らしたこともある。

(たしかにねー)

葉月は汗まみれになった訓練着を構うことなく脱ぎ去ってかごの中に入れた。

ブラジャーとショーツだけの姿になり、

シャワーに向かう為に輪ゴムとクリップで長い栗毛が濡れないよう結い上げる。

スリップドレスを一応身にまとってからブラジャーを取り…ショーツを脱ぐ。

バスタオル片手にスポンジとお気に入りのボディーソープを持って

『いつもここ!』と決めている扉式のシャワールームに向かった。

その時ふと…動きが止まった。

(…………)

葉月はなんだか人に見られているような気になって…

いつもならそこでスリップを扉に掛けてシャワーに入るのだが…

そのまま…ドレッサーの所に戻ってみた。

(気のせい?)

気配取りは…父譲りで自信があった。いつもと違う空気がロッカールームに漂っている気がする。

女子ロッカーは葉月が訓練に鍵を持ってゆくので訓練中も誰も入れないはずだった。

それを思い出して…大丈夫よね?ともう一度シャワー室に向かい今度こそ…

お構いなくスリップドレスを脱ぎ去ってシャワーのコックをひねる。

バスタオルをスリップを掛けた扉に一緒にかけて…

(隼人さん…格好良かった…)

彼の微笑みで空に見送ってもらえた事を思い返していた。

事務作業をしているときと同じ。

落ち着いた声で確認を取って…葉月に『行ってらっしゃい』と声をかけてくれたことは…。

顔には出さないが…女性としてかなり嬉しかったのは確かなのだ。

(なんだかんだ言って…あの赤い作業服だって似合っているじゃない?)

配給されたときかなりブツブツ言っていたが、捨てたモンじゃないと葉月はそっと微笑んでいた。

(ロベルトにも…感謝しなくちゃ)

そんな満たされた気持ちで、身体の汗だけ流すシャワータイムは終了…。

コックをひねりながら…後ろに手を伸ばしてバスタオルを手に取り

素早く拭いてスリップドレスを汗ばんだシャワー後の身体にまとう。

少しばかりシルクの生地は葉月の肌に吸い付くようだったが

細かいことは気にしない性格。

化粧をしているうちに汗も引いて具合が良くなることは解っているのだ。

バスタオルを肩に掛けて…さぁ。ドレッサーに向かおうと扉を開けたときだった。

『!!』

いるはずもないもう一人の誰かに口元をふさがれてシャワー室の壁に押さえつけられたのだ!

「一応…。終わってからお話ししようと思ってね…」

『山本少佐!』

葉月の目の前に…制服姿の彼が勝ち誇った微笑みでたたずんでいた。

(どうして!鍵は私が!)

「ふぅん。冷たいお嬢さんもさすがに動揺かい?

鍵なんて作ろうと思えばどうにでも作れるんだよ?」

そこで山本がどう鍵を作ったかは…だいたいは解ったが…

そこまでしてでも入り込もうとした執念に葉月はゾッとした。

「しかし…無防備な姿を見せてくれるかと思ったけど…

さすがに全裸にはならないところがお上品だなぁ…。

シャワー中は近づくと気配を気取られると思ってね。

そんなに怯えなくてもいいさ。なにも『犯し』に来た訳じゃないんだからな」

山本の無精ひげの顔はいつになく…落ち着いて平静だった。

もう少しで…彼の言葉を信じそうになる。

『そう。向き合って話たかっただけよね?』そう思った…。

しかし…葉月はすぐに我に返った。

『易々男に気を許すな!』

久しぶりに『黒猫の義理兄』の声が頭の中にこだました。

『おにいちゃま!』

襲われたくない…今置かれている立場を認めたくない現実逃避だと。

葉月は動揺はしたが口元をふさいでいる山本のカフスを両手でつかんだ。

しかし…

「おっと!武術達者だったけかな?お嬢さん…」

葉月がやっと我に返ったことを察した山本の方が素早かった。

葉月の腕は逆にひねられて身体を反転させられまた…壁に押さえつけられた。

『う!』

突然のことで動揺していた自分を葉月は呪った。

本当だったら山本に襲われた時点で攻撃的になるのが『プロ』

義理兄ならこの失敗を知ったらかなり憤慨するだろうと…。

山本は全裸にならない葉月の警戒心の事を言っていたが

葉月にしてみれば…『女子ロッカールーム』と言う場所に

あのカーラが言っていたように『無防備』だった!と唇を噛みしめた。

「大声を出すわよ!隣にはコリンズ中佐がいるんだから!!」

そこでまた口元をふさがれた。

「フフ…。男子禁制のロッカールームに入ってこれる度胸はあるのかねぇ?」

瞬時に男にねじ伏せられては…葉月もすぐには反撃が出来ない。

「知っているか?このロッカールームは…

良い『密会』の場所で目を付けられているって。

ここでこうして楽しむ隊員がいるらしいぜ?

おそらくここなら…さすがのお嬢さんも気を抜くだろうとね。」

山本の声が耳元まで聞こえてきた。

後ろにいる彼がどんな顔をしているかも…何をされるかも葉月には予想できない。

しかし…彼は葉月をねじ伏せても…何故か押し切ろうとしなかった。

でも…彼の息が自分の栗毛を『堪能』しているのが解った。

「それで…何もしないから…交渉だ。」

『交渉?』

「今夜。誰にも言わずに俺に付き合うこと。」

それにひとまず首を縦に振れば…この状況は回避できる。

『バカな男。後でなんとでも覆してやるわ』

葉月は山本がふさぐ手の中でそっと…唇を緩めた。

葉月はとりあえず…首を縦に振った。

「いい子だ。お嬢ちゃん…

最初からそう素直になってくれれば俺もここまでしなくて良かったんだよなぁ。

おれはな。空軍管理の内容が変更しても何も痛くもないんだぜ?

お嬢ちゃんはそれで俺との縁が切れたと思ったみたいだが?

仕事で接すチャンスがなくなれば…別の方法を考えるまでだったのさ。」

山本がやっと…葉月の口元から大きな手をのけてくれた。

しかし…腕の戒めは解いてはくれない。

すると…葉月の目の前にスッと…何かが差し出された。

「悪いが。撮らせてもらったぜ。だから…シャワー中は襲わなかったって事。

とりあえず首を振って…了解してトンズラじゃこまるからなぁ…。」

葉月の目の前に突き出されたのは…『ビデオテープ』だった。

カメラはシャッター音で葉月が感づく…だからのビデオテープか!?

と葉月は山本の思った以上の用意周到さに再び動揺を走らせた。

ここで彼の腕をねじ上げて奪う行動に出るべきなのに…

『何もしない・交渉だ』と言う言葉にだまされて…

『後で何とか出来る』と油断させられて、その間に彼にすっかりねじ込まれていた。

葉月のとっさの反撃もこの男の『心理戦』に封じ込められていた。

動揺している隙に山本はそのテープをどこかにしまったようだった。

身体のどこかだと言うことは解ったが後ろ向きにされていて解らなかった。

『胸ポケットか?』

音的にそうとれたが確信は得られない。

「返してほしくば…今夜必ず来るはずだ。来ないと…影で高く売れるかも知れないからな。

お嬢ちゃんの…この…白い肌が欲しくて見たくてしょうがない男はたくさんいるんだぜ?」

葉月は頭の中が急に真っ白になるのが自分でも解った。

『オオバカヤロウ!俺があれだけ言っていたことを!』

黒猫の兄に…『叱られる!』その恐怖感が先に走った。

こんな不手際は…初めてだった。

このロッカールームが『密会』の場所にされるほど無防備な場所だったとは…。

(しまった…。迂闊だった!)

葉月は暫く…自分の愚かさに呆然としてしまった。

『これじゃ…おねぇちゃまと…一緒!?』

いつもの強気の正義感もトラウマを揺さぶられてかなりの放心状態だった。

姉ほど手荒には扱われていないが…

コレをネタにこの男は何度でも葉月を強請ってくる。

今夜この男の言うことを聞けば…何をされるか解ったモンじゃなかった。

そんな風に…暫く放心状態でいると…

「解ったら…大声は出せないはずだな?」

やっと山本が戒めを解いて力任せに葉月を正面に向かわせてまた壁に押さえつけた。

「ふぅん…」

妙に落ち着いた顔の彼。しかし葉月の肌をなめるように見つめていた。

その顔。葉月は目を背けた。何処かで怯えている自分に葉月は動揺する。

「傷があるのか。」

その一言に今度は身体が強ばった…。

しかし山本の長い指がその傷を下まで覗こうと…スリップドレスの肩紐にかかった…。

「意外と胸は小さいのか。まぁ。俺はこだわらないけどな。それにしても…」

葉月は何とかして彼をやりのけようと…テープを奪おうと…頭を混乱させていると…

初めて…落ち着いた顔をしていた無精ひげの男が…ニヤリと微笑んだのだ。

「それにしても…割と華奢だなぁ。こんなに動揺するとも、大人しいとも思わなかったぜ。

男が側についていないと…何もできないお嬢ちゃんだったのかな??

まぁ。あの…すました奥手そうなアンタの側近よりかは…俺の方がいいかも知れないぜ?」

そういって急に力一杯抱きつかれたのだ。

「い…いや!離して!今じゃなくてもいいでしょ!!」

山本の手は葉月のスリップドレスの上を這う。

大きな手は葉月の栗毛をまとめていた髪留めを取り払って

櫛のように指に通していた。

ざらついたヒゲの顎が…葉月の白い首に吸い付いた。

「アンタ。男の事は良く知っているだろう?遠野大佐にだいぶ教えてもらったんじゃないか?

あんな女性経験がなさそうなサワムラなんかじゃ物足りないだろう?

俺が…大佐の事思い出させてやってもいいんだぜ??」

妙に自信たっぷりの山本に葉月はいいように触られてしまっていた。

たった一枚のスリップドレス…。

その肩紐を引きちぎられた!

白い足に彼の大きな手が伸びる…。

葉月は…やっと気が付いた!

『もう…この男は暴走している!今夜のことなんかもう関係ない!』

葉月の脳裏に…思い出したくない場面がフラッシュで蘇る。

『パパ!どうして助けてくれないのー!ママァ!!』

『おにいちゃまのバカ!どうして来てくれなかったの!』

(おねえちゃま!!)

何かがはち切れるように…意識が遠くに退いてゆくよう…頭がしびれるよう…。

「はぁ…やっと終わったねぇ」

空母艦から管制室まで戻ってきて…ロベルトが一言。

隼人は彼と一緒に汗まみれにも油まみれにもなった顔を赤い作業着の袖で拭った。

「小笠原はいつまででも暑いねー。」

隼人は朝晩は冷え込むようになっても日中の夏日和のような気温には

外に出るようになってからかなり驚いている。

格納庫の車庫からのびる、ロッカールームへ向かう鉄階段を…

『本当に機体ガタガタにされるかと思った』などと言いながら

ハリスチームと笑いながらあがってゆく。

ロッカールームがあるフロアに出ると…

『おう!サワムラ♪格好良かったぜ!』

コリンズチームがメンバーを引き連れてロッカールームを出ていこうとしてた。

どうしたことか、気の良いメンバー達が…隼人に向かって口笛を飛ばす始末…。

葉月のチームメイトだけに…皆・隼人との恋仲はお見通しって意味の『からかい』だと解った。

隼人は苦笑いしつつも…『お疲れさま』と落ち着き払ってキャップを取り挨拶。

『これからも宜しくな!!』

若い青年達がからかいも程々にデイブの背中についていった。

その明るさが憎めなくて。

隼人もからかわられた悔しさとか天の邪鬼が出てこないのが不思議に思った。

(本当…いいチームだなぁ)

「さて。僕らも早くカフェに行こう♪」

「そうだね。」

隼人もさすがに今日は体力消耗…。空腹だった。

「コリンズチームが出ていったけど…葉月はまだ隣を使っているって事だね?

僕らが出る頃と一緒になったらいいね!」

「まぁね…」

「まったく…ハヅキが君のこと『冷たい人』って言っていたけど…本当みたいだね!

ハヅキも素直じゃないけど二人そろってそんなんで…どうやって恋をしているわけ??」

ロベルトがいつもの隼人の調子に業を煮やして顔をしかめた。

(ふーん『冷たい人』ね。良く解ってるジャン。葉月のヤツ)

隼人は自分の天の邪鬼を棚に上げて

元恋人にそんな風にいっていた葉月にちょっと不満。

(どうやって恋をしているかって…お互いこんな素直じゃないから進展遅いんだけどね…)

隼人は黒髪をかきながらため息をつく。

(隣を使っているか…)

男子ロッカーにはいる前に…ふと…隣の女子ロッカーに視線を止め

ハリスチームのメンバーと一緒に男子ロッカーに入る。

女子ロッカーの扉はシン…としていた。