23.お忍び歩き

 

 「食べた気がせん……」

 「よく言いますよ? 全部、平らげていたではありませんか?」

 やっぱり、落ち着いているのはマイクの方だった。

パパは、パパとしてかなりの衝撃と供に沢山の不安を抱えてしまったようだ。

マイクが落ち着いているのは……まぁ……、葉月の心中を知っている分だけ

パパほどの不安がないという事でもあるだろうから

亮介の不安は仕方がないだろう? と、マイクはちょっとだけ微笑んだ。

ジェームスとの会話も程々に切り上げて、二人はなんとか中将室に戻ってきた。

亮介の広い将軍室と秘書室は続き部屋になっているが、廊下からの入り口は別々。

だけど、マイクはパパ将軍と供に先ず、将軍室に一緒に入室した。

なんだかげんなり疲れ切った表情で、亮介がトボトボと

立派な彫刻が施されている中将席に座り込んだ。

「マイク……登貴子に連絡してみるよ……。

工学科に向かっているなら……もしかすると、ママの科学室に行ったのかもしれないし」

(いや〜……そうじゃないと思うけど)

と、マイクは思いつつも、規律正しく中将席の正面に立ち

「ああ……そうですね? ドクターも驚くでしょうけど」

そう一言答えて、続き部屋の秘書室へと下がった。

 

秘書室の上座にある自分の席に戻るなり……

 

「あの……中佐」

部下の一人が、また困ったようにマイクに向かった。

そして……一枚のメモ用紙を差し出した。

「なんだ?」

マイクはそのメモ用紙を受け取りながら……説明をしようとする部下の口元に視線を馳せる。

「……また、『レイ』という女性から……内線がありまして……。

中佐が呼ばれてお出かけになった程ですから用件をお伺いしておきました」

「やっぱり──!!」

マイクはメモ用紙のメモ内容を確認して……

フランク大将が『幻』を見たのではない!と、確信した!

「今度は……理数系棟のカフェで休憩をしているから……

レイ=ジャッジで呼び出して欲しいと……」

部下が本当に困ったように、それでいて不思議そうに当惑していた。

「レイ=ジャッジ!?」

マイクは葉月の『やり口』に、力が抜けそうになった。

こういう事を思いつくから……マイクも『敵わない』のである!

 

「中佐……妹様がいらっしゃったのですか? 私、中佐は男兄弟だけだとお聞きしておりましたが?」

「それとも……ご親戚が、訪ねていらっしゃったのですか?」

部下達が訝しそうに……次々と尋ねてくる。

秘書達は……今日は一日この謎の女『レイ』の出現で、落ち着きなさそうだった。

「まったく……」

マイクは力が抜けて……席に座り込んだ。

部下がメモをしてくれた、工学・科学科棟にあるカフェの内線番号を確かめて

受話器を手にする。

 

「……お前達もいっぱい食わされたな」

マイクのふてくされた声に、部下達が顔を見合わせて首を傾げる。

「これから……『レイ』とは名乗らないように言い付けるから。

『レイ』というのは彼女のアメリカでの『愛称』であって……

俺達は、彼女が小さい頃からそう呼んでいたんだ。

本名は『御園葉月』……これでわかっただろう? 中将のお嬢様、大佐嬢だ」

マイクが受話器に耳をあてて、プッシュボタンを押し始めると……

途端に部下一同が『ええ!?』とざわめいた!!

「葉月と名乗ると……上官の娘であるとか……大佐嬢であるとか……

お前達を驚かすと思って、素性を隠したんだろう?

それでいて……ちゃんと俺に取り次いでもらえるようにね? そういう……女性だよ」

マイクは内線の呼び出し音を聞きながら、独り言のように呟くと

部下達は、また一斉に顔色を変えてざわついた。

「ったく……俺の名前まで使うとは……なんて事だ!?」

マイクですら……こうして振り回される。

まだ若い秘書官達には『上手くやりこめろ』なんて無理な話であって……

そのざわめきも仕様がないことだとマイクは、喝を入れる気も湧かなかった。

 

『レイ=ジャッジさんですね? お待ち下さい』

カフェのカウンターに備え付けてある内線電話を食堂員が取ってくれたようだった。

待ちかまえているマイクの耳元受話器の向こうから、呼び出しのアナウンス音が聞こえた。

暫くして、カウンターで受話器を手に取る音が聞こえる。

 

『ハァイ? マイク』

「レイ? やってくれたね?」

マイクはまた、精一杯の微笑みを浮かべつつ呟いた。

部下達が、固唾を呑みつつ、葉月と会話をするマイクを見つめている。

『ごめんなさい。フォスター中佐のお宅にまず行きたかったんだけど……。

まだ、時間が早いと思って……ショッピングモールに行ってもね?

こっちが気になって先に来ちゃったの』

「ああ、そうなんだ──。さっき……パパに報告したよ」

『……ビックリしていた? 夕方には戻るから気にしないでと……』

マイクはフランク大将に目撃された事や、亮介が動揺している事を告げたかったが……

部下が聞き耳を立てている手前、そこは今は言わないことに決めた。

「それで? レイ、用件は?」

簡潔に済まそうかと、マイクは落ち着いた口調で葉月に尋ねる。

『マイクだって私が何故ここにいるか解っているんでしょう?

ロイ兄様から頂いた報告書、マイクが調べてくれたんでしょう?』

「…………」

そこまで葉月が気が付いているだろうとは……マイクも予想はしていたから

「ああ、そうだよ」

否定はせずに、さらりと答える。

『だったら──私が何をしに来たか解るでしょう? マイク、安心して。今日は偵察だけ』

「そう、それで?」

『マーティン少佐の……本日、今からの……時間割を教えて』

「かしこまりました。大佐」

マイクが……若娘に対して急に低姿勢になったので部下達は顔を見合わせていた。

その上……マイクがデスクのノートパソコンを広げてなにやら調べ始めている。

「その隊員が詰めているオフィスは解りますか? 大佐」

『確認したわ』

「では、申しあげます」

マイクはマーティンの夕方までの時間割、講義場所などを告げる。

『有り難う、ジャッジ中佐』

「いいえ……御園大佐。ご健闘をお祈りします」

『パパには言わないで』

「勿論ですとも」

『パパには迷惑かけないように努めるから』

「そうですね……ですが、お困りの時は是非、わたくしまで」

『勿論、頼りにしているわ。兄様……』

葉月がウィンクでもしたような……妙な悪戯っぽい顔がマイクの中で浮かび上がった。

葉月は用が済んで、調子よく内線を切ってしまい──

それがなんとも『レイ』らしくて……マイクは笑いを堪えていた。

ふと気が付くと、部下達が……唖然とマイクが受話器を置く姿を眺めている。

マイクも一つ咳払い。

「彼女なりの極秘の業務もあるらしいから……今の内容は絶対に口外しないように。

わかるな? 彼女は私よりも高官であることを忘れずに」

部下達はもっと戸惑った顔で……

「将軍はご存じなのですか?」

「俺から説明するから、お前達は……

『内容は確認していないジャッジ中佐に聞いて欲しい』と、口を揃えてくれるか?」

『何故!?』

と……部下一同が益々困惑したようだ。

マイクは『面倒くさいなぁ?』と渋い顔をして……さらに一言。

「父親というものは、娘が何をしているか気になるものなんだろうね?

彼女がしっかり自分の力でやりたがっていても、パパは心配で堪らなくて

いまだって……悶々としているだろうから、確かじゃない一言で動揺させてはいけないからな。

だいたいにして、パパが首を突っ込むとややこしくなるかもしれないだろう?

お前達も『大佐嬢』のお手並みを噂で聞いた事があるなら……

変な邪魔になって迷惑にはなりたくないだろう? 俺の言うことを聞いてもらおうか?」

いや? 『変な邪魔になる』とは建て前で、マイクは心で『変に巻き込まれる』と言い直した。

そして──

『解ったな!』

マイクが一睨みきかすと……

『なるほど』と……中には結婚して子供もいる秘書官もいるので亮介の親心を理解したらしく

でも、ちょっと躊躇いがちに皆……答える。

「イエッサー!」

なんとか……マイクに協力してくれそうだった。

 

「マイク! 私は帰る!!」

そうまとまった途端に、亮介が秘書室の扉を開けて叫んだので

マイクを始めとする秘書官達は皆、びっくり硬直した。

「葉月は、登貴子の所にも顔を出していないそうだ!

ジェームス先輩が見たのは幻だ! 家に確かめに行く!」

「あ……そうですか? それが宜しいかもしれませんね?」

娘が確かに基地内にいるのをマイクは隠すことにした。

そういう手段を側近筆頭のマイクが選んだので、他の部下も頷き合う。

「では、誰かに送らせましょう……」

部下を見渡して、手が空いている者を指名しようとしたところ……

「いや、登貴子のフィアットで帰る! 科学科の駐車場で待ち合わせだ!」

「そうですか……。それなら、お気をつけて……。

何かあったらご自宅へ連絡いたしますから、後はこちら秘書室にお任せを」

「うむ! 頼んだゾ!」

亮介は上着を羽織って意気揚々と……秘書室の出口から出ていこうとしていた。

「あ、マイク。お前も今夜はうちへおいで! 登貴子がご馳走を作るそうだ!

おお! 諸君! お先に♪ 実は娘が突然帰省してきたのだ♪

明日にでも娘を紹介する。グッラック♪」

亮介が二本指の敬礼にて笑顔で飛び出していった。

 

「中佐? なんだかんだと…結局中将も嬉しそうじゃないですか?」

「本当ですよ? あんな嬉しそうな顔して……。

あの様子だと、ジャッジ中佐の仰るとおり……

何も知らないパパにしておいてあげた方が『幸せ』という事でしょうかね?」

部下達が途端にクスクスと笑い始めた。

「だろ? 本当に……」

 

マイクはとりあえず一息ついて、詰め襟制服の襟元を緩めながら

椅子に深々と身を沈め、やっと人心地──。

(さて──レイがマーティンを見て……どう判断するかだな?)

マイクが今、一番気になるのは……大佐嬢の判断である。

きっと……彼女なら……。

 

 

その頃──。

工学・科学科の各研究室や講義室が並んでいる理数系棟を

葉月は徘徊していた。

マイクに教えてもらった『少佐』の講義が終わって……

その後、彼がカフェに行くのなら……そこを尾行しようと決めていた。

勿論──上着は羽織っていない。

葉月ほどの年齢で、大佐の肩章を付けていれば

それだけで『御園大佐嬢』とばれてしまうからだ。

若い隊員なら……葉月の顔をハッキリと記憶している者も少ないだろう。

肩章さえなければ、葉月もただの女性隊員でいられる。

 

「そろそろ講義が終わる頃ね?」

葉月のその言葉を待っていたかの様に……

辿り着いた講義室から……一斉に研修中の隊員達がザッと出てきた。

『お疲れ様、マーティン少佐』

『ご苦労様』

金髪で青い目……そしてちょっとくせ毛。

緩やかなカールをしている短めのくせ毛をかき上げながら

その男がテキストを小脇に抱えて一人で歩き出した。

(ふーん。結構、好青年?)

隼人ほどの年齢と葉月は見定める……。

一昔のロイを思い起こさせるほどの『美男』だったが

(でも──兄様の方が一等ハンサムで、良い男だわ)

と……葉月は鼻で笑った。

何故なら──マイクの素行調査により、葉月にとって今回の

一番『いけ好かない男』であるからだ。

まずは自分の目で確かめておきたい。

葉月は窓際で景色を眺める振りをして……自分の背後を少佐が通り過ぎるのを待った。

「ロジャー=マーティン!」

「ああ、ブルース。どうした?」

葉月は肩越しにチラリ……と、彼に駆け寄ってきた栗毛の男を確かめる。

 

『マリアが……』

『なんだって?』

 

(んん!?)

葉月の耳が『ツン』と立ち上がる。

彼がマリアの直属の上司であることは……当然知っている。

ここへ来て……カフェまで尾行せずとも彼の口から早速『マリア』という

キーワードが出来てきて葉月は神経をとがらせた。

葉月は耳がよい。

ちょっと離れた距離にいても、集中力にて遠くさざめく彼等の会話を聞き取ろうとする。

 

『ジャッジ中佐からも……ランバート大佐からもサインをもらったそうだぞ!?』

『まさか!?』

『ああ。彼女……ランチが終わって教官室に帰ってきた時、俺にサイン書を見せてくれたよ』

 

(マイクと……隼人さんがいるメンテ本部大佐のサインって?)

その事については……葉月はマイクからは何も聞いていない。

マリアと隼人の接点をぼんやり探し、葉月は胸がざわついた。

が、今はそれどころではない!

さらに耳を澄ませる。

 

『お前の作戦、失敗かもな。諦めな』

栗毛のブルースがそう言った。

『だけど、彼女の父親がまだ許していないんだろう?』

マーティンが何故か? 余裕で言い放った。

『わからないぜ? 娘の強引な説得にサインするかも知れないし。

マリアの話だと、あのサワムラ中佐も硬化させていた態度も柔らかくなってきていたとか?』

 

(なぁに!? 彼女と隼人さんの間で何があったの?)

葉月は二人の接点がどうしても思いつかなくて、暫く唸ったが……

(……帰ったら隼人さんにも会えるし……解るわね)

そう言い聞かせて、余計な邪念は捨てる事とする。

 

『あんな無茶な計画をお前が許可した裏で、

負けて帰ってくる彼女を……慰めようって寸法……ダメかも知れないな?

むしろ……おかしな方向へ行くかもしれないぞ。お前、大丈夫かよ?』

 

ブルースの言葉に葉月の頭に『ピン!』と何かが閃いた。

(ははぁ〜ん……そうして彼女の弱みにつけ込んでいるって訳?)

葉月は報告書の一説を思い出す。

『上司と供に頻繁に、夜、職務後は帰宅せず外出。

ほとんどが酒場であり、親密とも思える様子である』

離婚後……彼女が独り身になった事で葉月が一番気にしていたのはそこだった。

あれだけ、男性達の間で注目される有名なお嬢様、二世隊員だ。

葉月も嫌と言うほど味わった。

それに近づきたがる妙な下心の男達。

これで彼女が結婚前の独身ならば、ある程度は他人事と捕らえて気にしないが……

いや? 今現在だって彼女は『独身』だ? そして離婚後であろうが本当の所は『他人事』だろう?

それでも葉月は……ここまで来たのである。

それもこれも──。

 

また──

マーティンの声が聞こえて、葉月の集中力はそちらに傾いた。

 

『ふん。慌てるな……。彼女の父親が許可するはずない。

あのサワムラとか言う中佐は立派だよ。そこを解ってブラウン少将を指名したのさ。

こちらには好都合だ』

『どうかな? やっぱり彼女の“色気”に敵う男はいないかもなぁ〜?

ちょっと可愛い顔したり、微笑んだり? 泣きそうな顔してみたり……。

それであのジャッジ中佐もコロッと許可して、

サワムラ中佐も結局、美女と一緒に仕事がしたくなったんじゃないのか?』

 

隼人がどのように関わっているかは解らないし

マリアが隼人に対して何を計画したかは解らない。

でも──これだけは『断言』できる!

『彼女の職務に対する姿勢に、間違いはない!』

葉月はマリアという女性をいつもそうして高い位置に置いていた。

だからそこ──近づけなかった……と言う事にもなるのだが……。

そうではなくて!

そういう女性の『一生懸命何かをやりたい!』という純粋な向上心を

上官、男……というだけで、足元を見るかのように『弄ぶ』

それが許せなかった!!

それと供に……

『マイクは厳しい一流秘書官だし、隼人さんも職務第一になると女性にも冷たいの!』

葉月はムッと拳を握りしめた!

 

『ガン!!』

 

廊下に窓ガラスを叩き付けたような音が響き渡った。

 

「なんだ? アレ?」

栗毛のブルースが……あっけにとられて指さした。

ロジャー=マーティンも振り返る。

 

白いシャツ姿の……栗毛で、おかっぱ頭の女性が……

背を向けてスタスタと廊下を歩いている姿が見えただけだった。

 

「さぁね? 試験の成績でも悪かったんじゃないのか?」

去って行く栗毛の『女の子』が自分より若い隊員と見て……

マーティンはしらけた眼差しでブルースと歩き始めた。

 

 

「もう! 何アレ!!」

葉月はあんな男が『少佐』なんて! と、プリプリしながら……

階段を降りて、階下の廊下を訳もなく突き進んでいた。

「だいたいにして! あの様な感覚でしか物事判断できない程度の男が!

業務を絡めて人の足元みるような、ああいう事思いつくのよ!!」

今度は日本語でブツクサと呟きながら突進する葉月に

すれ違う隊員達が訝しそうに振り返るが……大佐嬢だとは誰も気が付いてはいない。

 

葉月は頭に血が上っていた為……自分が何処を歩いているかも自覚していなかった。

 

そんなうちに……あるエレベーターの前に差し掛かった。

猛然と歩いている葉月が差し掛かった途端にエレベータが辿り着きドアが開いた。

 

「何するのよ! やっていること解っているの!? 上司に言い付けるわよ!」

女性の声がして……彼女が逃げるように扉から飛び出してきた!

「あっ!」

ただ突き進んでいた葉月は、その女性とぶつかってしまった!

「きゃっ!」

彼女の手元から……テキストにペンケースが床に落ちて

バラバラと散らばった!

彼女がぺったりと……床に座り込んだが、なんだかもの凄く脱力しているようだった。

 

「おや? 気を付けないとお嬢さん!」

葉月の目の前……。

エレベータ内にいた若い教官らしき男が数名……。

ニヤニヤと笑いながら閉まるエレベーターの扉の向こうに消えていった。

 

「ソーリー……私、ぼんやりしていて」

葉月はすぐに床に跪いて、一言英語で詫びる。

ペンケースから散らばったボールペンにサインペンを、ゆったりと拾う彼女を

見下ろしながら……葉月も慌てて一緒に拾い集めた。

「大丈夫ですか? なんだか……顔色が悪いみたいだわ?」

葉月は触れ合った彼女の白い手が、ヒンヤリとしているのに気が付いた。

自分よりぺったりと床に座り込んでしまった彼女の顔は

葉月より下に俯いているので確認は出来ないが……変に頬が青白い気がした。

葉月より少し明るめの栗毛を……彼女はシックな黒いバレッタでまとめいて

そして……大人っぽい黒いハイヒール。

葉月から見るととても大人のキャリアウーマンに見えた。

「サンキュー……こちらも突然飛び出してしまって……突き飛ばしてしまったわね?」

『大丈夫?』

彼女がやっとニッコリ微笑んで顔を上げた。

 

二人はお互いにニッコリ微笑み合ってやっと顔を顔を向け合う

そして、お互いに拾った物を手と手に握り合って……

「!!」

「!!」

二人揃って笑顔が消える!

息も止まる──!!

 

「マ、マリアさん!」

「……ハ、ハヅキ!?」

 

暫く……葉月の涼やかなガラス玉の茶色い瞳と

マリアの輝く琥珀色の大きな瞳が見つめ合ったまま静止した。

 

動き出したのはマリアの方で、葉月はまだ茫然としていた。

エレベーターの中で何があったか……頭の中がカチカチ動いていたのだ。

マリアが飛びだしてきた時の言葉。

にやけた男達の顔。

彼女の顔色の悪さ……そして、葉月がずっと『予感』していた事!

すべてが繋がった!

 

「お帰りになられていたのですか、大佐」

マリアはスッと立ち上がり、テキストを胸に抱え込んで背を向けた。

「たまたまね。上が許可してくれたので休暇で」

「サワムラ中佐が気になって?」

葉月の頭に、まだ確信できない自分の側近との接点について

彼女が何か気にしていると直感したのだが──。

「休暇だから……別に」

結局──葉月も立ち上がりながら……昔のように短い返事しかできない。

 

「失礼いたしました」

マリアはそれだけ言うと、スタスタと階段の方へ歩き去っていってしまった。

(あ……)

だけど──葉月も彼女を追いかける『理由』がそれ以上見つからない。

足元が固まった。

マリアがすぐ側の階段を降り始めて、やっと足が動いた。

すぐ下の階がマリアの所属する『教官室』があるところだ。

葉月は階段を少しだけ降りて、手すりから下を覗くと……

スタスタと降りていた彼女の足が……何かに恐れたように立ち止まった。

『?』

葉月はさらに……手すりから身を乗り出す。

 

『ヒュゥ〜♪ また、一緒に乗ろうぜ!』

マリアが階段を使って降りてくるのを待ちかまえていたかのように……

先程、エレベーターに乗っていた男達がそこにいたのだ。

マリアは顔を真っ赤にして……なんとか男達の前を通り過ぎようとしていたのだが……

『寂しいならいつでも相手するぜ〜♪ 元・ミセス!』

男達はマリアの前進をワザと遮ろうとしている!

 

葉月の脳裏にまた──報告書の一節。

『男性隊員から、離婚をした事独り身になった事が彼女への冷やかしとなっている……。

一部の情報によれば……冷やかしでは済まない状況もあると聞く』

 

葉月の頭の中で……何かが弾ける!

 

「ちょっと、いい加減にして……」

マリアが弱々しく……でもめげずに呟いている。

「上司に言い付けるんだろう? どうぞ、どうぞ」

男達はなんのその──ただ、困るマリアを弄んでいるようだった。

 

困っているマリアの前に……何かが立ちはだかった!

 

「そこのお兄様方、レディが困っているのに随分ね?」

 

白い長袖シャツ姿の葉月が、腕を組んで仁王立ちしているのだ!

マリアは驚いて、葉月の背中をただ眺めるだけ。

「なんだ……お前は?」

男達の顔が歪んだ。

「ふん……そっちから名乗りなさいよ」

葉月の冷淡な表情……そして、何も恐れない生意気な売り言葉に

男達の表情は益々強ばって行く。

「おい、いいのか? お嬢ちゃん? そんなちっこいなりで俺達に喧嘩売って?」

「そっちこそ。人を見かけで判断するところなんて

一片通りの論理しか味方に出来ない『学者男』って訳ね?」

葉月は人差し指で『ベッ!』と、片目下を引っ張った。

「なんだと!? この!!」

向かってきた男の一人の手が葉月の襟元に向かって行く。

その瞬間──冷淡な葉月の表情が……『ニヤリ』と輝いたのをマリアは見た!

 

「いてて!!」

男の手首は見事に葉月に掴まれ……葉月はその手首を高々とねじ上げていた。

「ほら──論理だけじゃ世の中通用しないのよ」

葉月は他の男達にも『ニヤリ』と微笑んだ。

「ブラウン! お前の知り合いか!」

他の男が焦ったようにマリアに問い詰めた。

「そういう質問は私にするべきではなくて?」

またたくまに冷たく平淡な表情に戻った葉月が叫んだ男に呟く。

「私に文句があるなら……『ランバートメンテナンス本部』へ来ると良いわ。

大佐に報告するなり、クレームを付けるなり、『上司に言い付けるなら、どうぞ、どうぞ』」

葉月はまたニヤリと微笑む。

マリアはただ……あっけにとられて茫然としているだけだった。

「その代わり、この手が何をしたかと言う事は……大佐にハッキリ報告するわよ」

「いって、いてて! そんなの『言いがかり』だ! そうだろ? ブラウン!!」

マリアは……騒ぎが大きくなる事を恐れて、思わず男の言い分に頷いた。

「そ。それなら──私が暴力を振った事についてだけ、言い付けたらいいわ!」

葉月はもう一度、男の手をねじ上げて思いっきり振り落として突き放した。

男はねじ上げられた手首を押さえて、頬を引きつらせながら葉月を睨み付けた。

 

「ったく、自分が言いだした事忘れるなよ!」

男はそう言い捨てて、その場を去ろうとした。

「そっちこそ。逃げないでよ。私、待っているから」

『なんだと〜!』

再び男が向かってこようとしてたその時──。

 

「ブラウン──どうした?」

階段の上に……あの金髪のマーティン少佐が颯爽と現れたのだ。

その途端に──男達がサッと退散した。

勿論! 葉月も……!

「マリアさん……心配しないで、悪いようにしないから……」

『ごめんなさい!』

葉月は手で拝んで、サッと階段を駆け降りた。

駆け降りたのだが……また、今度は下から上を覗くように……

マリアと少佐が並んだ所を確かめようとした。

 

「また……男にからかわられたのか?」

マーティンが頼もしく……そして、本当に心配そうな表情で、マリアの頬にそっと手を当てた。

「いえ……大丈夫です」

彼女の気丈な言葉が聞こえたが……声は震えていた。

それに──彼女が、葉月が知っている気丈なはずの彼女が……

あの少佐の前でいとも簡単にすすり泣き始めたのだ。

「本当に困った奴らがいるもんだな……さ、帰って話を聞くよ?」

「有り難うございます……少佐。ですけど……なんでもないんです」

マリアが葉月が首を突っ込んだことを伏せようとしているのが解った。

 

葉月はちょっと……余計なことをしたかと……俯いた。

だが──

(なーにが、話を聞いて上げるよ? 『好都合』って訳じゃない!?)

葉月は腕を組んで鼻息を荒くした。

だが……気丈なあのマリアが泣くという事は……

(かなり……めげているみたいね? 限界ってカンジだわ?)

葉月はそう思った。

そこもつけねらって……ぬけぬけとあの少佐は!!

 

『葉月……お前は解っていたんだな……俺もだ』

ロイのあの時の言葉が……葉月の脳裏に蘇った。

『お前は彼女を良く知っているから予感して……お前は思ったんだな?』

ロイは……報告書を見つめる葉月に滅多に見せない哀しそうな眼差しを向けた。

『皐月を……思い起こさせる。そう思わないか?』

葉月の身体は……金縛りにあったように固まった。

『お前は……見過ごせないだろうな。俺も一緒だ。それなら……お前が行け!』

そして──兄様は言いだした。

『休暇をやる』

 

そう──。

マリアの輝きも……

そして強気も……

 

葉月にとって、何処かで『姉』を思い起こさせる存在だった。

そして──離婚をしたと知って……どうしても気になった。

この点の問題では『達也』は関係ない。

だが──やっぱり自分との『関わり』は否定出来ない。

そんな中での『マリアの状況』を知って……ジッとなんてしていられない。

 

これは──むしろ『大きなお世話』かもしれないが……

それでも葉月は『二の舞』は嫌なのだ。

聞きたくないし、見たくもない!

 

『お前の“獲物”が沢山いるのだろうな……』

ロイが『ニヤリ』と笑った。

『お前は俺の分身……行って来い!!』

 

葉月は……裏返して腰に巻いている上着を結んでいる袖を『道着帯』の様に締め直す。

 

「ま。今日はこの辺にしておこうかしら?」

気持ちはまだムシャクシャするが……

事は『機が熟してから』……。

それがロイ兄様のお言葉でもある。

 

葉月は気分を切り替えて……ポケットのウサギをまた指で弾く。

「さて──もう『学校』が終わる頃ね?」

 

時計を確かめて、次なる上陸へ……。

葉月は愛車の元へと一直線──!