50.女の子同士

 

 

 夕闇は徐々に美しい星を散りばめはじめる。

赤と紫のグラデーションのベールが水平線で滑らかになびいている。

庭のフェニックスの葉が優雅に潮風に踊っていた。

 

「葉月はどうしたんだろうなぁ?」

開け放している庭への窓辺で、御園亮介は溜息をつきながら

庭の風情を眺めて気を紛らわしていた。

また、どこでなにをしているのか?

いろいろ考えていると、なんだかそわそわしてきた。

 

窓辺でうろうろしている亮介を見て、キッチンから出てきた登貴子も

心配そうによってくる。

 

「なんだか。変な雰囲気ね──」

「お前も解るか?」

「ええ……」

登貴子は亮介の隣に並びながら、そっと後ろに振り返った。

振り返ったのは隼人に貸している部屋の方──。

 

夕方、御園家の庭先に黒い車が停車した。

マイクの車ではなかった。

降りてきたのは隼人と……達也。

 

『彼と帰りに一緒になったので、送ってもらいました』

隼人がそう笑って……部屋でゆっくり話したいからあがらせても良いか?と尋ねてきたのだ。

『ああ、いいよ』

『いらっしゃい、達也君』

夫妻は……少しばかり怪訝に思いつつ……。

任務で『戦友』となったこの青年達が、『ゆっくり話したい』というのも不自然ではないのだが。

 

『隼人君? 葉月はどうしたのかしら?』

登貴子がそう尋ねると……いつにらしからず、隼人の顔が少し強ばったのだ。

『いえ、突然……彼と出会ったので……。彼女は適当に帰ってくると思って……』

隼人の言葉の歯切れが悪かったので、そこで登貴子は再び眉をひそめる。

 

『ああ、マイクと何か一生懸命、話し込んでいたなぁ?

あれは何か企んでいるぞぉー』

側にいた亮介がにこやかにそういって青年達を迎え入れる。

夫がそういったので、登貴子はそこでは納得した。

 

でも──青年達が部屋に籠もっても……葉月は暫く帰ってこない。

途中で、達也が部屋から出てきた。

『どうしたの?』

『え? その……葉月、遅いなっー?て……』

『そうね?』

『……』

達也まで……葉月が気になる様子でまた隼人の部屋に戻っていった。

達也と隼人は二人揃って、葉月を『待っている』といった感じだった。

何か二人で報告したい事でもあるかのように──。

それで亮介がマイクがいる『秘書室』に連絡すると──。

『え? 一時間ほど前に……帰りましたけど?』

そんな答が返ってきた。

隼人ともマイクとも達也とも『一緒ではない』

フォスター家にお邪魔しても、何処へ出かけても……

娘自身か、もしくは一緒にいる男性から必ず夜は遅くなるの連絡はあるのだが──。

夕方の内は良い。

でも、暗闇が迫ってくると亮介がそわそわとうろうろとしはじめたのだ。

 

それで──『なんだか変だ』と夫妻は感じたのである。

 

だが──

 

『キィ!』

また──庭先に車が停車した。

今度は赤い車だ!

夫妻はその車の主が『マリア』である事はすぐに解った。

「なんだ。マリアと一緒だったのか」

「そういう組み合わせもあったわね」

夫妻はホッとしたのだが……暫くして、変な違和感を感じてお互いに顔を見合わせた。

「女の子同士なんて、珍しいわね」

登貴子の一言に亮介も思わず頷いた。

 

葉月が十代だった頃、近づこうともしなかったマリアと一緒にいることも違和感。

隼人が達也と、葉月がマリアと……。

同性同士で連れ添っていることも──。

 

「まぁな? 葉月も大人だし──。帰ってきたならよしよし」

亮介はホッとしたようだ。

登貴子もなにやら違和感はあるが、大人げなく過保護に心配してもみっともない。

彼等と彼女達も大人だ。

そっとしておこうと思い、何気ない出迎えをしようとする。

車の音に気が付いたのか、達也と隼人が揃って部屋を出てきた。

 

「おふくろさん? 葉月、帰ってきたの?」

達也が黒髪をかきながら、のんびりとした様子で出てくる。

「ええ。マリアと……一緒みたいだけど?」

この二人が現在『不仲』である事を思い出して、登貴子は躊躇いがちに伝える。

「え? マリアと……!?」

達也が驚く。

顔をあわせるのは、気まずいからだろうか?

ところが……

「兄さん? マリアと一緒らしいぜ?」

「え……」

隼人の顔色が変わった。

 

娘とマリア嬢が今、一緒である事に『恐れ』を抱いた様な顔だった。

登貴子は勿論……横にいた亮介も眉をひそめる。

達也とマリアが顔をあわせずらいのはともかく……

葉月と隼人とマリアは、数日前から一緒に仕事もしているし

御園家で一緒に食事もした仲になっている。

それなのに……葉月とマリアが一緒であることに隼人が何の恐れを抱いたのか?

それがまた違和感だった。

 

「ただいま……マリアさんも一緒だけど、あがっても良いわよね?」

玄関ではなく、庭先に帰宅してくるのも葉月の一つのクセのような物。

「こんばんは……お邪魔いたします」

すっかり暗くなった芝庭に栗毛の女性が二人……寄り添うように姿を現した。

 

「ど、どうしたんだい? その恰好は!?」

二人の娘を見た亮介が驚いた。

「本当よ? 何をしてきたの!?」

登貴子が叫ぶと、ダイニングテーブルの側にいた青年二人も

驚いたように駆け寄ってきた。

その姿を見た隼人と達也も驚いて顔を見合わせる。

 

そこには、上着を脱いだ二人の娘が……。

カッターシャツを泥まみれにして、髪まで潮にまみれて濡れた姿だった。

 

「ええと……浜遊び」

葉月が気まずそうに微笑んで俯いた。

「浜遊び──!?」

亮介がまた声をあげる。

「そうですの。葉月を見つけたので送ろうと車に乗せたのですけど

あんまり夕日が綺麗なので、浜に降りて涼んでいたら、子供のように遊んでしまいましたの」

マリアがにっこりと微笑んだ。

 

二人ともカッターシャツも濡れているので、うっすらと着けているランジェリーが透けていた。

「ややや……」

亮介がそれに気が付いて、頬を染めながら手で目を覆った。

「マ、ママ! タオル──!!」

「は、はい」

登貴子がすぐさまに動く。

「は、葉月! マリアと一緒に部屋で身を整えなさい!」

「そのつもりよ……パパ」

目を覆ったままの父親に葉月はちょっとだけおかしそうに微笑み

ブーツを脱いでリビングにあがる。

「行こう。マリアさん」

「うん……」

マリアは濡れた身体で遠慮がちであったが、葉月が彼女の手を引いてあがらせる。

 

「あら? 達也……。どうしたの?」

ひどく驚く訳でもなく、葉月はただきょとんとした様子で、目に付いた達也に尋ねた。

「……え? えーっと、兄さんに誘われて」

「ああ、そうなの……。ごゆっくり」

いつもの淡々とした様子なので、達也は逆に首を傾げた。

達也とマリアの視線が合う。

 

『お前、葉月に兄さんにばれた事を話したのか!?』

目をつり上げて達也は無言で訴えると──

マリアが『NO』と首を振る。

その変わり……ナチュラルなマニキュアをしている指が……

左肩から胸の上までスッと走った。

 

『──!!』

 

マリアはそのまま……葉月に手を引かれて二階へと上がっていってしまった。

 

「兄さん……今の解ったかよ?」

「解った」

二人でこそっと耳元で囁き合う。

「……なんだ、葉月に『小笠原行き』の事、相談しようと思って待っていたけど

それどころじゃなさそうだな。今日は……」

達也の顔が引き締まる。

「そうだな……きっと、話した葉月より、聞いてしまったマリア嬢の方が戸惑っているだろうな?

少し様子を見て待ってみるか?

それに……俺達は素知らぬ振りをして、それでも小笠原行きは早めに葉月に言った方が」

隼人は『明日に引き延ばすなんて出来ない』といった風で、女性達が消えた階段を見上げた。

「もうちょっと待ってみようかな」

「うん……」

 

そうして二人はダイニングの椅子に腰をかけようとすると

登貴子がバスタオルを持ってバタバタと階段を上がっていった。

 

『まったく浜遊びってなんだい???』

亮介はブツブツといいながらリビングのソファーにと座り

テレビのチャンネルをリモコンでチカチカと変えていた。

 

隼人と達也はお互いに顔を見合わせて、ため息をつく。

「気晴らしにカフェオレでも飲もうかな」

隼人が立ち上がってキッチンに向かう。

「わお。兄さんのカフェオレ、俺も飲みたーい」

なにはともあれ『待つしかない』と解ると、変に深くは落ちない達也の明るさに

隼人は救われるように微笑んで『いいよ』とキッチンに入った。

隼人はソファーで落ち着きない『パパ』にも入れてあげようと心に決めた。

 

 

 部屋に入った葉月は、自室のバスルームをまずマリアに使うように勧めた。

マリアは『葉月が先よ』と遠慮がちだったが、無理にバスルームに押し込めてやった。

 

今は彼女がシャワーを使う音が聞こえる。

葉月は濡れたシャツとスカートとソックスを脱いで下着姿になる。

 

取り乱した時の事をあまり覚えていなかった。

思い切り泣いている自分が、気が付いたときにいた。

そして──その上にマリアが覆い被さるように葉月を抱きしめていたのだ。

 

『わ、私──!』

ハッとして起きあがると、マリアがとても疲れた顔をしている。

『ご、ごめんなさい……』

我に返った時には遅かった。

かなり想像を絶する事を叫んでいたようだ。

 

俯きながら葉月の上からそっとのいたマリアが呟いた。

 

『あなたの心には……鬼がいるのね。それを必死に押さえているのね』

『!!』

あまり覚えていないと言ったが、ほんとうの所は自分が何を言ったかは解っている。

だけど『意識外』で叫ぶと言う事は、葉月の『感情司令塔』には組み込まれていない。

いかに自然であることだったか──。

葉月はサッと血の気が引いた!

今度は『意識内』で取り乱しかけた!

 

『嫌!』

マリアの絶望にあふれた眼差しに耐えられずに……

葉月は波の中に飛び込んでしまったのだ。

『葉月!?』

葉月はしばらく海水の中に潜った。

夕闇の中でヒンヤリとした海の水は火照った頬を瞬時に冷やしてくれる。

暫く、そのまま……海中で泳いでザッと頭を出すと

マリアが慌てたようにして波に揉まれながら葉月を捜していた。

 

『……』

『葉月! びっくりさせないで!!』

マリアが半泣き状態で叫んだ。

頭を出した葉月は肩まで水面がある位置にいた。

マリアは、胸の所だった。

彼女の長い髪は、潮にまみれてしまっていた。

葉月は頭のてっぺんまでぐっしょりだった。

『もう、大丈夫』

葉月がポツリというと……マリアが水をかき分けて葉月の所まで来た。

『……もう、何処かに行ってしまうかと思った』

そういってマリアがまるで母親のように葉月を抱きしめたのだ。

『……もう、大丈夫』

それしか言葉が出てこなかった。

『ごめんね。葉月……何も知らないでよけいな事ばかり』

マリアが葉月を抱きしめながら泣いていた。

でも──

『謝らないで……。上手に接することが出来なかった私が悪いの。

マリアさんは何も知らなかっただけで、普通のこと、あなたらしい事をしていただけだもの』

誰も彼女を責める事は出来ないのだ。

だけど──彼女の行為は、今までいわれのない『否定』をされてきたに違いない。

そう思ったから。

本当は葉月も、こうなりたかったから。

だから……それが出来なくて、彼女を避けて……

そして、やっぱり『彼女』という『忘れ物』を取りに来てしまった。

『どうしてかしら……とてもすっきりした』

葉月はふと気が付くと……あんなに取り乱したが、意外とすっきりしている自分に気が付いていた。

『……ねぇ? 葉月……今まで自分から話したことはないの?

自分の口から言えたから……すっきりしたんじゃないの?』

『……自分から言ったのは達也が初めて、次は澤村……。マリアさんは3人目。

後は周りの大人達が、必要なときは周りの人に上手く説明してくれたから』

『アンドリュー達も?』

『彼等にはマイクが説明してくれたの。自分から説明しようとすると……』

先程のように、声が震えて指が震える。

何処かで聞くことを差し止めてくれないと……あんな風になるのだと葉月は初めて気が付いた。

達也と隼人は途中で察して『もう、いい!』と聞くのをやめた。

話した後は気分が悪い。

今回は初めて感情が外に出た気分だった。

『……』

何故だろう? と、葉月はマリアを見つめた。

 

『とにかく、もう暗くなるわ。浜辺に戻りましょう?』

マリアが葉月の肩を抱いて『無理矢理』の様に強引に渚へと押し進める。

そんな彼女の声も震えていた。

何処かに葉月が行ってしまわないように『連れ戻す』かの様に。

砂浜にたどり着くまで、マリアはずっとすすり泣いていた。

『信じられない』

時々、そう呟いては彼女は手の甲で目元を拭っていた。

彼女が慕っていた『姉様』の本当の最後の姿。

それを悔しがっている涙だと葉月は思い黙って……彼女の力任せに波の中を歩く。

 

そうして、浜辺で少しだけ昔の話を交え

暫くお互いが落ちついたのを見計らって車で帰ってきた。

その時はすっかりあたりは暗くなっていた。

この恰好ではマリアをブラウン家に帰すのは気が引けたし

もう少し彼女に落ちついて色々と言いたいことがあった。

葉月は『うちに行こう、そこで身を整えましょう』と誘ったのだ。

マリアはその時は、何も考えられない様子で、葉月が言うように

フェニックス通りへと車を素直に発進させてくれた。

だけど……マリアはハンドルを回しながらずっとすすり泣いていたのだ。

『きっと、十代の私が聞くより、今聞いた方が良かったのだわ』

マリアは泣きながら独り言のようにそういった。

『お節介な私は、きっとあなたを無理矢理に前に向かそうと逆に傷つけたわ』

葉月も実際『彼女はそういう人』という『勘』があったので

近づきたくても近づけなかったのだ。

でも……『標準』であるのはマリアの方なのだ。

マリアだけでなくて皆が『標準』であって……そこを上手にあわせなくてはいけないのは葉月なのだ。

それが出来ず……達也にしろ隼人にしろ……マイクにしろジョイにしろ……

皆が葉月を『標準』にして接してくれているのだ。

そこは葉月も自分で『甘えている』と解っている。

『このままではいけない』と思いつつも、どうしてもそれが出来ないのだ。

葉月に対して『絶望』や『じれったさ』を感じる人は葉月の元から去って行く。

それで『良し』の人生を歩んできた。

だけれども『失いたくない人』がいる。

だから……何とかしようと思って少しだけ勇気をだしてフロリダに帰ってきた。

故に……少なくとも一番側にいる隼人にいつまでも負担をかけている自分が嫌だったから。

いっぺんでなくて良い。

少しずつなれるのなら……。

『こんな自分は嫌! 壊れたい、消えたい!!』

隼人の前にああして取り乱した時から、何かが変わったのかも知れない。

隼人は『壊れる葉月なんて望んでいない、そのままの葉月で良いのだ』と言ってくれたから。

壊れたくもなく、消えたくもないなら……葉月は『勇気を出して前を向き、変化する』

その道しかない事を隼人に教わったのだ。

あれがあったから? マリアの前でも取り乱す事が出来たのだろうか?

 

葉月は不思議な感触のまま、家に辿り着いた。

『なるべく、落ちついてね』

『私達は浜遊びをしていたのよ』

お互いにそうして落ち付き合って頷いて、両親が待っている庭先へと

何食わぬ顔で帰宅した。

 

葉月はそこまで思い返して、ずぶ濡れになったカフェオレ色のスリップを脱ぎ捨てた。

そこへ登貴子がドアをノックして現れた。

 

「ママ、有り難う」

「まったく、何をしているの? レディ同士で!」

ママが呆れたようにバスタオルを広げて、優しく葉月の頭に被せ拭いてくれる。

ママの優しい手を久し振りに感じた。

葉月は嬉しくて微笑んでいた。

そして──先程から迷っていたが……告げることにした。

『さりげなく』──。

 

「ママ? マリアさんと『姉様』の想い出話をしていたの」

「──!? 葉月……?」

鋭い母は、それだけで『ある不安』を抱えたようだ。

「彼女、姉様にすごく可愛がってもらっていたんだって……。

姉様は横須賀基地にお勤めで帰国した時、言っていたわ?

フロリダに葉月にピッタリのお友達がいるって。

それはフロリダに遊びに行った時のお楽しみっていつもはぐらかされていたの」

葉月が子供のような口調で話しても、登貴子は暫く固まっていた。

「きっと彼女の事だったのね? 彼女、もしかして姉様にならって

『赤』が好きなのかもしれないって今回、思ったの」

「そ、そう……」

「彼女、綺麗で頭が良くてスタイルが良くて、優しくて……。

私には勿体ないお姉様だと思っていたけど……今回、一緒にお仕事が出来て良かったわ。

素敵な姉様が……出来たかもしれない」

葉月はそんな母が見ていられずに、誤魔化すようにバスタオルで顔を隠して

微笑みながら一生懸命に栗毛を拭いた。

「葉月?」

バスタオルで覆われている中、母の声だけが聞こえた。

「なぁに?」

「あなた、本当は昔からマリアとお友達になりたかったんじゃないの?」

「……ママ」

親の目は誤魔化せない……葉月はそう思ってバスタオルを頭から除けた。

「……ママの目は誤魔化せないわね」

それだけ言って笑ってみる。

「……遠回りしたわね」

母は、ちょっと致し方なさそうに笑っただけだった。

「良かったわね。あなた、もしかして『忘れ物』を沢山、取りに来たんじゃないの?」

「あは……やっぱり、ママには適わないわよ」

葉月が明るく笑い飛ばすと、登貴子もクスリと微笑んだ。

「……時々ね。マリアとあなたが並ぶと思い出すのよね」

登貴子は葉月が無造作に脱ぎ捨てた潮まみれの服を床から拾い集める。

「マリアは皐月に似ているわ。すごく似ている訳じゃないけど……。

あなたとマリアが並ぶと……二人の娘がいたことをね……」

「私も……そう思うこといっぱいあったわよ」

「それでも、皐月とは違うけど」

「でも……似ているから、私は怖かったのよ。

姉様はいないことをきっと目の当たりにするだろうし……。

そして……いっぱい『姉妹』であった事を思い出したに違いないわ」

「……それで? 今回は?」

「彼女は彼女だし、姉様は姉様よ。彼女はマリアという素敵な女性であるだけよ。

そして、私と彼女は、二人だけでしか作れない関係を始めるのよ」

葉月のサバサバとした顔に、登貴子はニコリと微笑んだ。

 

「ママにお願いがあるの」

「なに?」

「彼女に姉様のお洋服、一枚でもあげても良い?」

「──!?」

登貴子がちょっと恐れを抱いたような表情に固まった。

そこに葉月が言うところの『目の当たり』を同じように恐れている母を葉月は悟る。

「ママが辛いなら、やめるけど」

「……」

「彼女、姉様と『約束』していたんですって」

「皐月と……約束?」

そう……マリアが素敵な女性になったら姉が黒いドレスをプレゼントしてくれる。

その話を浜辺にあがった後、教えてくれたのだ。

その話を聞いて、強引に自宅に連れてきた。

別にドレスをあげたいからではなく、葉月なりに思い出した事があったから二の次なのだが。

葉月はその『約束』の話を母に教えた……。

そして──

「だって、姉様自身が約束した事だもの……良いでしょう?」

「……葉月」

「姉様が残した約束だもの。叶えてあげても良いでしょう?」

母の目に涙が浮かんでいた。そして……葉月も。

「そうね……」

「私が着なかった、姉様のおさがりが幾つかあるでしょう?

ワンピースを一枚、着替えにあげようと思うの。だって姉様のお洋服って

胸元がぶかぶかなんだもの。彼女なら着こなしてくれるわ」

「あら、いいじゃない?」

母も……葉月と同じように『自分が哀しむ事を守る』より『皐月の約束』を実行する

『決意』をしてくれたようだった。

 

「葉月?」

シャワーを終えたのか、マリアがバスルームの扉から

チラリと顔だけを出してきた。

「あ、ごめんなさい。これ、タオルよ。使って?」

「サンキュー。あなたのシャンプー良い香りね? 何処で買ったの? 教えて?」

マリアがにっこりとバスタオルを受け取り、またスッと扉を閉めて消えていった。

 

「あら? 女の子らしいお話が出来そうね。

落ちついたら降りていらっしゃい。彼等が待ちくたびれているみたいよ?」

登貴子が嬉しそうに微笑んだ。

「うん。二人には、『私達』は和やかで大丈夫と伝えておいて。

きっと……『察している』と思うから……」

そこで『傷のことは話した』とさらに母にほのめかした。

でも……

「リチャードご自慢のお嬢さんは、さすがね」

登貴子は納得したように微笑んで、静かに出ていった。

 

葉月はクローゼットを開いて、床の籐かごにたたみ重ねていた服を探り出す。

『これじゃない、あれじゃない』

どれが良いかとウンウン唸って、一枚を選び出す。

 

「おまたせ。すっきりしたわ」

マリアがバスタオルを巻いて出てきた。

「好きな所で休んでいて? ドレッサーも自由に使ってね? じゃぁ、私が入ってくるわ」

今度は葉月がバスルームに向かう。

そして──

「良かったら、そのワンピースに着替えてね」

ベッドに開いて置いたワンピースを指さして葉月はバスルームに籠もった。

マリアがその服を目に留めて……ちょっと驚いたように振り返ったが

葉月は構わずドアを閉めた。

 

そしてシャワー後。

 

葉月もバスタオルを巻いて、部屋に戻ると……。

 

マリアは葉月のメルヘンチックなドレッサーでしっとりと髪を乾かしていた。

そして……

黒地に大輪の薔薇が描かれているワンピースを着込んでいた。

その後ろ姿──。

しっとりとした指先に、大胆な体つきの線。

突きだしている大きな胸がこちらに向いた。

「……どう? 似合う?」

マリアの優雅な微笑みに葉月はハッと我に返った。

 

「うん……とても……」

ちょっと茫然としていたせいか、それしか言葉が出なかった。

 

「葉月はカボティーヌを使っているのね?」

ドレッサーに置いていたライトグリーンの瓶。

ジンジャーリリーの花が付いている瓶をマリアが手に取っていた。

「うん……『彼』がくれたの」

一年経っても葉月はそのオードトワレを無くなっては買い足してきた。

それでもそのトワレをプレゼントしてくれたのは隼人なのだから

自分で買い足してきても、ずっと隼人からの贈り物だと思って使っている。

「あら……中佐も疎そうに見えて結構、やるわね」

マリアが目を細めて、瓶を見つめ……そして可笑しそうに笑ったのだ。

「そうね」

葉月も『本当は選んでくれたのは雪江さんだけどね』と、クスッと笑う。

だけど、隼人が『その香り、好き』というので使い続けている。

「マリアさんは……『グッチ』を使っているでしょう?」

マリアが通り過ぎると、職場では人気があると言われている香りがしたのだ。

小笠原の女性隊員も着けている女性が多い『グリーンノート』

『エンヴィ』だろうと思っていた。

葉月はクローゼットに向かいながら呟くと、マリアが驚いたように立ち上がった。

「なんで解ったの!?」

「え? 職場では着けている女性が多いからよ」

「葉月! 勿体ないわ! あなた、そういう事、ちゃんと身につけているのに

なんで自分に反映しないの!?」

先程の『シビラ』といい、葉月のその手の『知識』は女性的だった。

「反映って?」

「もっと……自分の為に……」

マリアはそこで力説の姿勢を弱めて、側のベッドに座り込んだ。

「……いけない。また、やるところだったわ」

マリアは喜怒哀楽がハッキリしていて、ただ単に思ったことはすぐに言いたいだけなのだ。

葉月はそれも解っているから、彼女は責めない。

「……パイロットをしていると、結構……余裕がないのよ」

葉月がそうしてマリアが気にしないように言い流すと

マリアも『それもそうね』と、そこで終わらせてくれた。

葉月は、母が買ってくれ、隼人が色を選んでくれた紺色の水玉ワンピースを選んで着替えた。

「それもあなたらしいわね? 清楚で──」

マリアはそういって誉めてくれたが……

「でも、もうちょっと大人っぽい服もチャレンジできるかもよ?」

そうして……女性としての新しい『チャレンジ』をほのめかすのだ。

「そうね……。その気になったらね」

葉月がそうしてまた流すと、マリアはちょっと残念そうにして俯いた。

葉月も髪を乾かそうとドレッサーに座る。

その前に──。

ベッドでちょっと疲れ気味に休んでいるマリアに振り返った。

 

「それね。姉様のお洋服──。昔の服だけど、レトロチックで良いでしょう?」

「──!! やっぱり、そうだったの!?」

マリアは着てしまったものの、改めて畏れ多くなったのか

胸元のブイカットのラインをつまんでシゲシゲと眺め始めた。

「サイズが合わないの。私は薄型体型だから」

『ピッタリね』と葉月が微笑むと、マリアは恥ずかしそうに俯いた。

「……こういってはなんだけど。葉月らしくない柄だと思ったの」

「やっぱり? だって、姉様のお洋服って大胆なんだもの」

「サイズ、ピッタリだわ」

マリアは着心地が良いのか、満足そうだった。

「あなたのスタイルに合うと思ったの。良かったら……もらってくれる?」

「え──!? いいの??」

葉月がにっこり頷くと、マリアの顔から輝く笑顔。

「嬉しいわ! 有り難う」

「それからね……」

葉月はドレッサーの引き出しを開ける。

一段、二段となっていたが、それを両方開けた。

「ちょっといい?」

葉月に呼ばれて、マリアが首を傾げながら立ち上がって寄ってくる。

 

一段目には、少女らしい髪飾りやアクセサリーが沢山、並んでいる。

二段目には、それに反してシックなアクセサリーが並んでいた。

二段目には髪飾りは少ない。

 

「一段目は姉様が私に揃えてくれた髪飾り。この前まで髪は長くしていたけど。

昔も……ずっと長かったから。

二段目は……姉様の形見なの」

「……」

マリアが神妙にそれらを覗き込み。

そして……葉月は二段目の引き出しから何かを手にした。

「これを見つけて……違和感があったけど」

葉月が手にしたのは『赤いシルクリボン』

つやつやと照り輝く、レエス調のリボンだった。

「姉様は私に『赤』は絶対に選ばないわ。そして姉様は髪が短かったから……

髪飾りはあまり持っていなかったし、ましてやリボンなんて使わなかったから……」

葉月はそのリボンを愛おしそうに手のひらの上に乗せて撫でると……

マリアにスッと差し出した。

「本当の所は解らないわ? でも……あなたへのプレゼントだったんじゃないかしら?」

「──!!」

 

『今度、会うときにマリアにもリボンあげるね?』

『ほんとう!? 楽しみ!』

『だから、髪は切っちゃ嫌よ』

『うん!』

 

マリアの瞳に涙がドッと浮かんだ。

 

「……皐月姉様が日本に帰るって言うから……寂しくて駄々をこねた時……。

そんな事、話したわ」

そういえば……と、マリアは急に鮮烈に思い出したのだ。

「そう……さっき、あの『約束』の話を聞かなかったら……思い出さなかったわ。

早くにあなたとああして姉様のことを話せたら……

もっと早くに姉様の代わりに手渡せていたかも。姉様にも悪いことをしたわ」

葉月もそっと俯いて、瞳を潤ましていた。

だが──マリアの目の前で先程のように葉月はもう取り乱さない。

姉を話す姿は『自然』で、そしていつもの涼やかなお嬢様だった。

 

「有り難う……。大切に取って置くわ」

「有り難う……。姉様も、喜ぶわ」

 

本当に皐月がマリアのために取って置いたかどうかわ解らない。

でも──二人はそう思うことに決めたのだ。

 

「あなたは姉様のフロリダの『妹』だったのね」

葉月は笑っていたが、マリアの瞳からは涙が止まらなかった。

そのリボンを頬に宛て……皐月の名を呟いた。

 

白いカーテンの向こうから、今夜も月が昇ってこちらを覗いていた。

そんな女同士の夜──。