6.逃走現場

 

 「そろそろ、連隊長と約束の時間かな?」

主が出かけて不在の第四中隊大佐室。

そこで、コーヒーを片手にすっかりくつろいでいた澤村和之が掛け時計を見上げた。

「葉月ちゃん……帰ってこないね」

隼人の隣には、真一が座っていて、澤村精機メンバーと向き合っている形。

『学校ではどんなお勉強を?』

『寮生活は、どんな感じ?』

和之ばかりでなく、富山に河野も、葉月に似た栗毛の少年が物珍しいのか?

そんな質問を次々とするので……

真一も、人見知りの後はいつもの無邪気な愛想の良さでニコニコと

でも、しっかりした機転の効く言葉遣いで会話を続けていた。

『この頭かったい兄貴に虐められていないかな??』

こんな事をいうのは当然、幼なじみの『晃司』

「いいえ! いつもご飯も美味しく作ってくれて……

僕の数学の宿題も見てくれます! 買い物も一緒に連れていってくれるし!」

『隼人兄ちゃん、大好き♪』

真一がそういって、いつになく子供のように甘えて隼人の腕にしがみついたのだ。

それを見た、澤村精機メンバー……。

なんだか、皆、そこで表情が止まったのだ。狼狽えているようだった。

隼人も苦笑い。

(こらこら、そこまでしなくても大丈夫だって!)

真一がここまで子供っぽくしているのも……

『兄ちゃんは、もう葉月ちゃんと俺達の家族なんだ!』

──と、強調したいが為の……らしくない表現だと解っていた。

隼人が苦笑いしながら、真一をそっと腕から離すと……

目の前の和之がニッコリ……。

「一瞬……お前の子供かと思った」

『アハハ!!』と、笑い出したので……隼人は思わず頬が火照ったのだ。

「ああ……うん。そんな物かも?」

隼人が、さも当たり前のように簡単に答えたので、今度は真一が驚いた顔をしたのだ。

「……と、言っても真一のお父さんにはいつまでも適いそうにないけどね」

隼人がそう言うと、真一はまた穏やかな笑顔で満足そう。

「葉月君が子供を産んだら……やっぱり、真一君みたいに栗毛なのかな?」

「社長〜。ちょっと気が早くないですかぁ?」

晃司がからかい笑顔で隼人をニヤニヤと見る。

「この前も葉月君に『孫がみたいお年頃』と言ったら大笑いされた」

その話に、隼人は『ドッキリ!』

「親父!? 彼女にそんな事言ったのかよ!?」

「ああ? おかしいか? 彼女は笑ったけどな?」

そこで隼人と真一は、お互いに不安そうに顔を見合わせたが……

『葉月の幼少経験を知っている』とは、お互いに話した事は滅多にないので

二人は同じ不安を同感したと確信してもサッと素知らぬ振りで視線を逸らした。

(まぁ、笑っていたなら良いか)

隼人はそれで良しとした……。

「でも、そんな真一君のような孫が出来たらまたこれも楽しみだね……

あ。真一君も孫みたいなものかな?」

「おいおい! 隼人! お父さんはすっかりその気だぞ〜!」

「ホント、ホント! 隼人君ももうすぐ『結婚』かな?」

「あの小さかった隼人君がね! 中佐になって順風満帆だしね!」

幼なじみに、昔なじみのおじさん達に、そんな風につつかれて隼人は益々苦笑い。

(順風満帆? どうだかね? 問題はあちこちに転がっているんだけど?)

だけど、そこは『隼人個人の諸問題』なので、口にはしない。

元より、葉月の精神根底について口にすると父親が気にするのは目に見えている。

(でも──いつかは、良い時を見計らって親父にも御園家のことは言わないと……)

その辺の相談はいずれ、『登貴子』を頼ろうと隼人は決めていた。

まだ、その時ではないのだけれど……。

 

 「さて、フランク中将の所に行こうかな?」

「僕も行く!」

真一が和之に本当に孫の如く引っ付いていこうとしていた。

「えっと……真一? 仕事の話だし……」

隼人も自分の親になついてくれて嬉しいのだが……

心苦しいが厳しいミニママがいない時は、隼人がケジメをつけなくてはいけない。

「いいじゃないか? そうだ。叔母さんがそこに今いるらしいから、一緒に迎えに行こうね?」

和之のニッコリに、真一は『ハイ!』と、もう嬉しそう……。

『本当に孫とおじいって感じじゃないか?』

晃司がやや面食らって隼人に耳打ちを。

(うーん、まぁ。フロリダのお父さんの方が、親父より若いし。言われてみればそう見えるかも??)

和之も満更じゃないらしく、真一に手を引かれてニコニコと大佐室を出ていった。

 

 「お前も葉月さん、迎えに行かないのかよ?

彼女、連隊長に呼ばれてなんだか、神妙そうだったけどな?」

晃司も連隊長に挨拶するため……和之とその後続いたおじさん達に続いて出ていこうとしていた。

その時……彼が隼人にそう言ったのだ。

(鋭いなぁ……こうゆうところ)

まぁ──だからこそ、昔から美沙とのゴタゴタもこの親友の見解を頼って歩んできたわけだ。

(……なんだか、任務が終わってからずっとフランク中将と向き合うことにこだわっていたもんな?)

 

 隼人も実は、葉月がとうとう……ロイと向き合う時間が出来た事……。

そして、今、何を話しているかは気になっていた。

『昇進』の事だけではない事も解っていた。

それなら葉月は、帰還後の後からこだわっているはずがないからだ。

(もしかして……任務中の? 事?)

任務中……隼人は葉月に追求はしなかったが『つじつまが合わない』事を沢山感じていた。

葉月の単独行動も然り……。

父親の亮介が娘に『秘密任務を言い付けていた』

今はそうなっているし、そう浸透している。

(それなら……葉月が隠していたとしても、ある程度の様子は俺にも見抜けたはずだ)

その『勘』が働いた感触が全然ない。

もし? 亮介が知らない……本当に葉月の自己判断のみの単独潜入だったのなら……。

 

『誰が……葉月をあそこまで……サポートした??』

 

 確信できるのは、葉月にはまだ、単独独断で動かせる程の『指揮力、権力』がない事。

そして……信じたいのは『側近の俺に内緒で、前もって隊員を用意していることはない』だった。

この二点からも、葉月の単独潜入がいかに『突然』だったかと言うことだ。

『その突然を解っていた男』がいるのではないか?

そう思った時に……

 

──『例の男か!』──

 

 隼人はそこに既に辿り着いていた。

つまり……葉月は、任務中にその男と『会っていた』と言う事になる。

だけど、そこで怒りが湧かない理由もある。

何故なら……

その男が……隼人を助けたいと飛び出した葉月を思うまま送り出してくれたという事になるからだ。

そんな男……。

そんな葉月を隼人の所に送ってくれて……

隼人ばかりか『フォスター隊』を救ってくれる結果をもたらしたのだ。

そんな男……。

とてつもない大きな男が葉月の背中にいることを隼人は日々予感するようになっていた。

その……男に関することで、葉月は何かロイに確かめに行っている?

いや……その男とどう作戦を立てたのか……ロイに報告している?

──『軍人なのか? そうとしか思えない……』──

噂では聞いたことがある。

外には、プロフィールも漏れないように素性を伏せて動く海兵員や諜報部員がいる事。

そんな男と葉月が昔から軍人として接点があるのなら……

『優秀な隊員と御園家の令嬢』

あり得そうな話だ……。

(そんな男の事……忘れられないって……)

隼人はそこまで考えついてからと言うもの……とても切なくて虚しい気持ちに陥る時がある。

だから余計にここの所、『葉月独占欲』が強くなって

彼女との私生活が熱くなっているのかとも思う。

 

 だが──救いは、その男が全く持って、葉月の『側にいない』と言う事だった。

葉月の『告白の様子』を思い返しても……

 

『その人と離れてみようと思った時……怖いと思って……

私には『必要な人』だって初めて気が付いたの!

どんな事があってもいつもその人が最後に助けに来てくれたから……

だから……どんな男の人と付き合っても……最後にはその人がいるから』

 

 この告白の雰囲気で考えると……なにやら『最後に現れる』というような言い方で

常日頃、見える場所にはいないように思える。

『それほど、ご多忙な部署にいるのかな? フロリダの男か?』

 

 任務の過程は良く解らないが、

女の葉月を『一番の成功功労者』に導いた『裏サポート力』を思うと……

側にいても『側近』であるにも関わらず、ただ彼女に助けてもらった……

いや? この推察で行くと……認めたくないが

その『男』に隼人は助けられたという情けなさが残るだけ。

 

 『あーあ。俺なんて地味な理数隊員だし……どうやら、かなりのやり手っぽそう……』

フロリダの隊員データーファイルは、メンテチーム結成の下調べで開いたことがあるので

調べようと思えば、調べる事も出来ないこともない?

 だが……今回の任務でも表舞台に影すら見えなかった所を考えても

『軍の奥の手』の様な気がしてきて、一隊員の隼人では足もつかめそうにないと

とうに諦めはつけていた。

 

 感じ取れるのは、葉月の様子からのみ。

だからと言って彼女から無理に引き出すのは嫌だ。

もっと嫌なのは、無理に引き出したからとて、隼人自身が嫌な思いをするのは解っている。

要は……『怖い』のだ。

 

 そこまで、解るとまた『劣等感・劣等感』の連続。

こんな事に今から捕らわれているようでは日常の様々な小さな事にも影響を及ぼすし

『対決』なんて出来る訳がない。

 

『今から……俺なりの枠。固めて自信つけていかないと……』

 

 とにかく……

あの難攻不落令嬢の葉月が、心から離さない男。

それは余程の男だと解っていたが……

それが『やり手の男』と解った時、どれほど自分の力なさを噛みしめた事か。

 

 でも? 隼人は一つだけ『強み』を見つけた。

 

『どんなに葉月が心から追い出せない男だと言っても……

どれだけ、葉月の小さな毎日を知っているんだよ?

葉月が夜泣いても直ぐに、来てはくれないんだろ?』

 

 隼人はまだその男がさらに……葉月の事を深く知る男とは知ることは出来なかったのだが

『側にいて見守る強み』

……だけは……自信を持っていた。

それが……隼人が誰よりも出来ることだから……。

 

 『距離』が遠距離、至近距離、

心の問題で言うと、どちらであっても関係ないことは隼人も解っている。

 でも──

ただ、最後に見届けに来るようなそんな事では

葉月はその時点で既に何かに1人で傷ついている可能性がある。

そうじゃなくて……

『私、今、哀しい』

『あのね! 今日、楽しいことがあったの!』

その時に直ぐに彼女を解ってあげられる存在でありたいのだ……。

隼人は……その男より……。

ずっと──心も耳もいち早く傾けられるように……。

 

 

 そう考えていたので……

ここ数日、ロイの帰りを待ちわびていた様な彼女が

また何かにぶつかって身動きが出来なくなる状態に陥っている様な気がしたので……

 

 隼人は、晃司のからかい話も上の空……テキトーに生返事で交わしながら

真一を横に楽しそうな和之の後をついていったのだ。

 

 高官棟の4階へと向かうためエレベータに皆で乗り込んだ。

そのエレベーターを皆で降りた所……。

 

 先日、水沢夫人が歩いて去った方向が連隊長室になるのだが……

 

 『レイ!?』

そんな男性の声がして、隼人を含めた一同はサッと視線が一緒に移動した。

声の主は……リッキーだった。

真一が『あ』と小さく声を漏らした時には……

廊下途中にある階段を葉月が駆け下りていく所だった。

 

 『あ……』

リッキーも、澤村社長の一行に気が付いたらしくて……

そこで、いつもの落ち着きを取り戻して、起立正しく背筋を伸ばした。

そして、和之に向かって優雅にいつものお辞儀をしたのだ。

和之もそこで、落ち着き払ってリッキーに頭を下げ……一同も揃って……一礼を。

 

 『葉月ちゃん……泣いていた』

真一が独り言のようにそっと呟いて、サッと顔色を変えながら

階段へと走っていったのだが……

『ダメだよ……1人にしてあげた方が良い』

『どうして? 何かあったの? ロイおじさんに叱られたの??』

そんな会話が階段上で繰り広げられて……

澤村社長一行は……そこから身動きが出来なくなった。

でも……

 

 「隼人……行ってあげなさい」

父親が……隼人の背をスッと押したのだ。

「……」

どうしてか躊躇った……。

何故、葉月が泣いて飛び出したのかが解らないと対処の仕様がない。

 

 『別にロイとレイは喧嘩なんてしていなよ……ロイは怒りもしないよ

ただ……レイが教えて欲しいと尋ねたことに対して……

ちょっとレイが混乱する事をロイが大人として教えただけで……』

『それだけ? それに何の話なの? それ??』

真一に詰め寄られて、リッキーが困り果てた顔をしていた。

しかも──

いつも律儀な側近の彼が……

『ロイ、レイ』と……上司と葉月の事を親しげにそう呼んでいる。

 

 『やっぱり……昇進云々じゃなかったのか!』

それが解って、隼人は確信した!

 

「親父──行ってくる」

「早く行け! 馬鹿者! 遅いわ!」

何があっても感じても直ぐに動くべき所を、

躊躇った事に対して、父が『馬鹿者』と言ったことが隼人には解った。

「そうだった……」

隼人が笑って歩き出すと、父がその肩を押し出すようにもう一度叩いてくれた。

 

 隼人は一目散に、階段を駆け下りる!

リッキーが止める声はしなかった……。

送り出してくれたようだった……。

 

 階段を駆け下りる──隼人が下る中、葉月はすぐに曲がって一つ先の階段を駆け下りる!

不自由な左肩をかばう様子もない必死な姿に見えた。

チラリと栗毛の横髪から垣間見える瞳が……

いつになく強く何かを秘めているように険しくも彼女はそこから涙の筋を描いている。

 

 『何があったんだ!?』

それが解らなくても隼人は彼女を追いかけた。

 

 葉月が1階の廊下にたどり着こうとしていた。

高官棟の一階は、この基地の『正面玄関』と言っても良い。

美しく整えられた廊下だった。

来賓が多いので一般隊員はあまり通らない空間だ。

学校で言うと校長室付近と言う雰囲気だろうか?

そこで、葉月が一端立ち止まったのだ。

 

 「……」

隼人も一つ上の階段から彼女の様子を眺めて立ち止まる。

そこから、彼女がどうするのか手すりから気配を殺して見下ろした。

 

 今すぐ、側によって肩を叩いて呼び止めたいのだが……

そうすると彼女が逃げるような気がしたのだ。

そこで、そっと見下ろしていると……。

葉月はスカートのポケットから大判のハンカチを取りだして目元を拭いていた。

その姿を見て……隼人は一端ホッと胸をなで下ろした。

自分が側にいなくても……一人で立ち直れることなら、

余計に声をかけるのは、逆に彼女に取っては余計なお世話になるから……。

でも──隼人はまだ何処か安心できずに、だたジッと彼女を後ろから見守った。

 

 『!!』

見守っていると……葉月はシャンと背筋を伸ばして一階の廊下を歩きだしたのだ。

その顔──。

いつも隼人が知っている『冷たい横顔』

それに驚いた。

人の目に触れる場所では、あんな顔がすぐに出来る彼女。

あんなに涙を流して……ロイから逃げるように鬼気と走っていたように感じたのに。

こんな時にそんな『感情コントロール』が上手くできてしまう彼女に感心出来ることもあるが

それは仕事の時の話で……

葉月個人を見ている場合はそれが痛々しくてならない時がある。

泣きたい時に思い切り泣けないから……

はけ口を見放して自分の中で殺してしまうから……

だから──色々と抜け出せないのではないか?

周りの人間が彼女のその上手いほどの『感情コントロール』のせいで

彼女が今考えて噛みしめなくてはいけない時を見過ごしてしまう、見落としてしまう。

隼人は今──彼女を見てそんな風に感じた。

きっと、今までも隼人は沢山『見落としてきた』のだと思った瞬間だ。

今だって……父親の後押しで追いかけなかったら……

涙を拭いてあの顔に整えた彼女が大佐室に戻ってきたら……

何もなかったものと隼人は安心していたに違いない!

 

『親父──良かった……有り難う!』

隼人はそう言って……その顔で葉月が何処を求めているのか見届けようとした。

でも! 向かう先が四中隊棟ではなく……逆方向。

このまま真っ直ぐ先へ抜けると医療センターに出てしまう。

そんな所……真一も側に来ているから用はないはずだった。

 

 階段の壁から隼人はそっと──それでも葉月が廊下を凛と歩く姿を見守った。

廊下の窓……中庭の緑がそよいで爽やかな風が彼女の栗毛をそっと揺らしている。

その中庭は日本基地らしく鯉が放たれている日本庭園風。

その庭池に注がれる水の音が静かな高官棟1階の廊下に響いていた。

最初の角で葉月が立ち止まった。

隼人もそれを確かめる。

立ち止まって……そっと曲がり角の先を見つめていた。

いつもの冷静な顔。

隼人には何処を見つめているのか解らない……。

葉月が見つめている曲がり角の先は……渡り廊下。

中庭に出られるよう、壁のない外の廊下だった。

そよ風に吹かれ栗毛を揺らして彼女が角を曲がった。

隼人も……やっと階段の壁から抜け出して、葉月が歩いていた廊下を足早に抜ける。

曲がり角に辿り着くと──

『!?』

曲がったはずの葉月がいない!?

『え? 何処に行ったんだよ!?』

渡り廊下を渡ったにしては時間が早すぎる!

『もしかして──』

隼人は、少し広い日本庭園風の中庭を見渡した。

 

 『!! いた!』

沢山の樹木が茂っている中庭。

四季折々の花が楽しめるように沢山の植物が植えられているのだ。

桜に、紫陽花、百日紅《サルスベリ》……芙蓉に紅葉に銀杏に木蓮……。

その葉桜の下、紫陽花の植え込み……その陰に気配が……!?

そこから……僅かにすすり泣く声が聞こえた。

まだ──近寄れなかった……。

 

 隼人は場所を変えて角度を変えて葉月の姿が少しでも見えそうな場所に

足音を立てないように移動……。

 

 紫陽花の葉が茂り始めた季節だった。

その植え込みの影に無理矢理隠れるようにして葉月がしゃがみ込んでいた。

泣き声は耳を澄まさないと……意識しないと聞こえない程度。

庭池のせせらぎにかき消される程度のものだった。

そこで葉月が……子供のようにしゃがみ込んでハンカチを目元に覆って……声を殺して泣いている。

『どうして!?』

葉月が『ほろり』と涙を見せることは今までも何度も見てきたが……

最近、彼女が涙をボロボロ流した記憶と言えば

任務の際、亮介が彼女を現場に迎えに来たとき……彼女が喜んだときだ。

それとは違う大泣きを彼女は、たった独りぼっちでしているのだ。

何があったかなんて……もう、関係なかった。

隼人は……側に行ってあげたいと思った。

それしか思い浮かばなかったのだ。

そっと土が敷かれている中庭に……隼人は革靴で踏み入れる。

そっと……葉月が逃げないよう……気配を気を付けて……。

植え込みの影から見える横顔が……ものすごい見た事ない顔をしていた。

そこに──初めて『哀しみの感情を刻んでいる葉月』に出逢った様に感じた。

ある意味……『可愛い』とさえ、隼人は思った。

それだけ……彼女が素で、子供のような顔をして泣いている。

 

 『パキ──』

そこで……隼人は落ちている桜の枯れ枝を踏んでしまった!

『!!』

その音に合わせるようにして、葉月の声が止んだ。

しかも……葉月はまた、スッと立ち上がって顔を背けて……去ろうとしたのだ!

 

「葉月?」

 

慌てて隼人が声をかけると、紫陽花の植え込みの中……立ち止まった。

そして……また、しゃがみ込んでしまったのだ。

今度は……何故か? 隼人と解っても、声をまた漏らして泣き始めたのだ。

 

 『逃げなかった……』

隼人と解っても逃げられると思ったのに……葉月は逃げなかった。

しかも──『泣きたい続きを続行』させたので……隼人はそれだけでホッとした。

それはある意味、隼人にはその姿を許してくれている事。

それとも? 感じた事を隼人に聞いてほしい、見て欲しいと欲しているのだろうか??

 

 葉桜がそよぐ……勤務時間が終わった基地の中庭……。

隼人は紫陽花の植え込み前にある、庭池前の手頃な岩に腰をかける。

 

 「……ひ……ひ」

葉月のしゃくり上げる声……。

それを背中でずっと聞いていた。

誰にも見られないよう……気配に気を配って……背中で彼女を隠そうとする。

彼女と向かい合わず……ただ、ずっと背中でその声を聞いた。

 

 暫くすると、少しずつその声が小さくなってきた。

『どうしたの?』

心はそう問いかけていたが……言葉にする気はなかった。

彼女にも言いたくないことはあるだろう……。

近い内にこの訳は話してくれるだろう……。

そう信じることにしたのだ……。

 

 でも──

「全部……全部……」

葉月が声をしゃくり上げながら小さな声で何かを呟き始めた。

振り向きたいが……隼人は堪えて岩に座ったまま……背を向けていた。

葉月に空気に話しかけるような感触を与えようとしたのだ。

「全部……あの日がいけない。憎くて堪らない。悔しくて堪らない」

『あの日って……もしかして襲われた日のこと!?』

隼人は心が『ヒヤ』としたのだ……!

この話に関して葉月が口にするのはあまりない。

ハッキリ話題にするのは……おそらく昨年のフランスのカフェで『告白』を聞いて以来だろう?

その日に向き合う彼女を余り目にしたことがないから!

今!? 彼女がその日に向き合っているとしたら……

それはかなりの感情を携えての事に違いない!!

隼人も心構えがいきなり整わなくて……一瞬、茫然と泳ぐ錦鯉を眺めていた。

 

 「あんな事がなければ……なかったら……私、こんなにならなかった。

隼人さんを……幸せに出来ない……困らせてばかりの私が憎い。

自分を壊したくて……壊したくて……、憎くて消えたくなる。

でも、壊れるのが怖くて……だから、今までも……今までも

耐えてくれている隼人さんに甘えてきた……。

それじゃ……いけないと思っていたのに……やっぱりダメ!」

 

 「……葉月? お前。何考えて中将の所に行ったの?

俺──そんな事、望んでいないのに……」

隼人は、やっと葉月に振り返った。

 

葉月は、薄闇の中……まだ植え込みの影にしゃがみ込んで

隼人から隠れるように背を向けていた。

 

 「それに……その考え、間違っていない?」

隼人がさも当たり前に、冷静に呟いたせいだろうか??

葉月がやっと……振り返って……

青々と茂る紫陽花の葉の隙間から……泣きはらしたガラスの瞳を

驚いたように隼人に向けたのだ。

 

 

 夕暮れ……日が傾いて薄闇になってくる中庭。

空を見上げると、空はまだ夕焼けで輝いている。

ウサギさんの逃走現場をやっと捉えた探偵の気分の隼人だった──。