8.母の魔法

 

 日が暮れた19時頃──。

和之は連隊長室から帰ってきて、葉月も落ち着いて本部に戻ってきた。

ジョイと小池が、本部員をまとめて動かしていたお陰で

明日の入れ替え準備も整った。

本部員の青年達は、葉月の肩に『大佐肩章』が付いていることで……

『あの? 中佐……じゃ、なくて──えっと、大佐……になられたのですか?』

滅多に葉月に話しかけない彼等が訝しそうに葉月に問いかける姿がちらほら……。

葉月もいつもの如く『平静顔』。

『そうよ。フランクと澤村も中佐に昇進したから、宜しくね』

真顔で『宜しく』という隊長に、青年達もどう反応して良いか解らないと言った様子を

隼人とジョイは目を合わせては苦笑いをこぼし合った。

 

 「本日はここまで。それでは、明日、休暇出勤で申し訳ないけれど

皆様、ご協力お願いしますね」

葉月の『終業』の合図が出て、本部員の青年達はホッとした顔で

週末の夜へと繰り出す相談を同僚と交わしながら解散していった。

 

 「さて──私達も……」

葉月がやっと、いつもの女の子の顔に戻る瞬間。

『じゃぁ♪ お疲れ〜』

ジョイとデビーは一緒に『ショットバー:ムーンライトビーチ』に行く相談をしながら退出。

『それでは、また明日』

山中は家族の団らん重視。車のキーを片手にサッと帰るようだった。

「では、社長。私達は一足先にホテルに行っていますね」

富山と河野がニッコリと別行動を取ろうとしていた。

「あ……宜しければ皆様も……」

葉月が気を遣って、和之に付いてきた営業マン達も夕食に誘ったのだが。

「ああ。葉月さん、気を遣わないで。こっちはこっちで楽しみ方があるから安心して。

それより、家族水入らずで楽しんで下さい」

晃司がニッコリ……『大佐』という扱いより『幼なじみの恋人』として扱う。

その気楽な言葉遣いに葉月も妙に心が許せる様子で

「そうですか? せっかくだからと思ったのですけど」

「その内ね! また、来る時の葉月さんのおもてなし楽しみにしているよ」

そんな晃司の屈託ない接し方に葉月も気構えをしなくていいと解るのかニッコリ。

「じゃぁ──またの機会に……ね? 中佐」

また『中佐』と言われて隼人も慣れないのだが……

幼なじみの見事な恋人への接し方にも満足、恋人の柔軟さにも満足。

『ああ』……と、笑顔で答えるだけ。

葉月も晃司という男がどういう男か既に解っているかの様……。

そんな人の見方は流石、敏感?……と、隼人は唸った。

 

 

 「こんばんは! 女将さん、大将!」

飲酒をするとあって、基地に葉月の愛車は置いて、

タクシーにて『小料理屋:玄海』に辿り着く。

真一が元気いっぱい暖簾をくぐって、もう、客で一杯になっている店内に入った。

「っらしゃい!」

相変わらずな大将の威勢の良い、だみ声。

「いらっしゃませ……まぁ、真一君、また大きくなったわねぇ」

美しい着物を着た女将に迎えられて真一もニコリとかなり嬉しそうだった。

「こんばんは。女将さん」

「こんばんは。おじ様」

葉月と隼人が揃って暖簾をくぐると……

女将は眼差しを曇らせ……大将はカウンターから出てきた。

「葉月ちゃん……聞いたぞ? 任務で怪我したと……こんな姿になって……」

「まぁ──葉月ちゃん……その腕……あんなに綺麗だった髪は? まぁ、どうしちゃったの?」

制服姿の女性がやっぱり珍しいのか? 店内の客が葉月に視線を運ぶ。

その上、店の主人と女将が哀しそうに寄ってきた物だから……

葉月が気まずそうに俯く。

「いやー。いい雰囲気のお店ですな。初めまして、澤村の父です。

今夜は、こちらの『大佐嬢』のお勧めのお店と聞いて小笠原の料理を楽しみにしてきました」

若い二人の後ろから、アスコットタイの三揃えスーツの男性が暖簾をくぐって現れる。

その品の良い紳士の姿を確認して……

そして紳士の口から出た『大佐嬢』を耳にして……

大将と女将は二人揃って口を開けたまま……唖然としたのだ。

二人の視線は葉月の肩章と隼人の肩章へ。

今度は二人揃って葉月と隼人は顔を伏せた。

「なんだ! おい! これはめでたいなぁ!」

『おじ様! 声大きい!!』

大将が『大佐』と叫ばないうちに葉月が大将にしかめ面を送る。

「まぁ! こちらが……澤村少佐……いえいえ? 中佐?の、お父様??」

葉月の痛々しい姿も、『昇進』という祝いで大将と女将の顔色が一気に明るくなった。

『親父──サンキュー』

隼人が場をそれとなく明るくしてくれた父に片手で拝むと和之もニッコリ。

「大将〜今日は、どのお魚食べさせてくれるの〜?」

真一は大人の挨拶はそっちのけ……。

側にある水槽を子供のように覗き込んですっかりご機嫌だった。

「おお! シンちゃん。今日はおじさん腕ふるって横浜のお父さん喜ばせないとね!」

「頼むよ! おじさんの腕にかかっているんだからね!」

真一の言葉に……

『まぁ──生意気。まるで自分が席を作ったみたいに』

葉月がクスリと笑うと、女将が揃って『本当ね』と笑い合ったのだ。

それを確認して隼人と和之もホッと胸をなで下ろす。

「ねぇねぇ! 僕、女将のところてんも食べたい!」

「こら! シンちゃん? お行儀悪いわよ!」

葉月がたしなめても真一はいつもの愛想の良さですっかり女将に甘えている。

「もちろんよ。澤村中佐のお気に入りですからね。張り切って今日は作ったのよ」

「本当ですか!? 嬉しいなぁ。僕のために女将が作ってくれたなんて……

初めて彼女と来たときに食べさせてもらったあの磯の香りが忘れられないんですよね〜」

着物姿の女将がニッコリ……隼人に微笑むと、隼人も訳もなく上機嫌。

葉月がその横で毎度の如く、しらけているのは言うまでもないがいつもの展開だった。

「やぁ。ところてんを手作りですか! 楽しみですね!

そう言う物は、海の側に来ないと食べられませんからね!」

和之もすっかりその気のようだった。

「まぁ……やっぱり親子ですわね……。今日はお父様が来られるとあって私も頑張りましたのよ」

『さぁ、どうぞ、どうぞ……』

優雅な女将の案内で一行は階段を上がって二階の席に通される。

その時……和之が隼人に一言。

「素敵な女将だねぇ。沙也加に雰囲気似ているかな?」

この一言に葉月はドッキリ、表情を固めていたし

隼人は『ふーん』と生返事。

(ええ!? 俺ってやっぱり女将とおふくろ重ねていたのかな??)

内心、隼人もドッキリだった。

 

 

 いつもの客間に通されると、そこでも和之は部屋の趣に大感激。

女将が活けた花を床の間でひとしきり眺めていた。

葉月は葉月でいつも以上に女将に何か重ねようとしているのか目で追っている。

隼人はそんな彼女が、見ることもない恋人の母を確かめているようで

可笑しくなってそっと笑いを噛みしめながら父親の隣の席にあぐらをかいて座った。

 

 最初に突き出しが出てきたところで、葉月が『冷酒』を頼んで

先ずは『乾杯』

「お父様、お疲れ様です」

「親父、ご苦労様」

「お父さん、ゆっくりしてね!」

三人に声をそれぞれかけられて、和之も楽しそうにガラスのお猪口を手にして先ず一口。

その一口を飲み干すと……

「葉月君……そして隼人」

和之が隣にいる息子と向かいに座る葉月のお猪口に勝手に冷酒を注ぎ始めた。

「?」

二人で視線を合わせて首を傾げると……

「任務、ご苦労様……そして、昇進おめでとう……」

和之が一人でお猪口を掲げて、二人にニッコリ微笑みかけたのだ。

「葉月君……うちの息子を助けてくれて有り難う。

君のその姿は、私、一生忘れないよ。勇敢な女性だ君は──」

『親父!』

任務については、そう触れるなと来たときに釘を刺したのに……

父親がそうして葉月にお猪口を掲げたので隼人は横でつついた。

しかし──葉月がやはり俯いても和之は続けた。

「葉月君──自分が任務中に選んで決めて前に進んだこと。

『誇り』に自分で思わなくてはいけないよ。

その誇りを自覚せずしてどうして大佐になれようか?

自分が選んだことで、振り返って、顔を背けては駄目だ」

和之の瞳が真っ直ぐに葉月に注がれる。

隼人の父親は……任務中に傷ついた葉月が、それに触れる度に顔を背けること。

父親は知らないが……

葉月が男姿になったのも『自分のしたことに顔を背ける』と言う事になるのか?

隼人には、父親が葉月にそうして前に向かそうとしていると感じられた。

葉月は勘が良い。人をサッと判断する見当観察力が優れているところがある。

それで……和之には男姿を見せられないと悟ったのではないか?

隼人も父親のいつらしからぬそんな輝く瞳に驚いて……つついている手を引っ込めた。

「君はそれで大佐になった。たとえ、自分の力だけでなくてもだ。

『結果』がすべてだ。これはビジネスの世界では大切な事なんだ。

それと……一緒だと私は思うよ? それに……大変なのは『これから』だ」

葉月がそこでそっと顔を上げて……和之の瞳の輝きを反射させるように見つめ返した。

「はい……お父様。先程、フランク連隊長にも同じ事を言い含められました。肝に銘じます」

そうして……葉月も和之が注いでくれた冷酒のお猪口を掲げた。

「君の今後の活躍に……」

「お父様のお言葉に応えるために」

そこで瞳の輝きを交わし合う『二人』は……初老の男と若娘ではなかった。

『一介の社長』と『一介の大佐』

そこに『社会』という世界で同等の立場を持った者同士の『誓い』に見えたのだ。

隼人も──自然とお猪口を手に持ってしまった。

この二人に置いて行かれたくなかったのかもしれない。

「大佐の栄光に──」

隼人も真顔で葉月を見ると……

「叔母の活躍に♪」

真一が固まった空気を少しだけ和ませてくれたせいか、葉月と和之の顔が一緒にほころんだのだ。

そして、父が今度は息子にお猪口を向ける。

「澤村中佐……も、肝に銘じてな」

「……ふん、言われなくたって」

いつもの天の邪鬼……。

だが、葉月の瞳の輝きは隼人にも向けられた。

「中佐の飛躍に……乾杯」

その瞳は女の瞳ではなかった……。

葉月のその凛々しい顔つきに和之が隣でフッと微笑んだのが聞こえる。

「では──もう一度、乾杯!」

和之の音頭で大人三人の杯が『カチン!』と一緒に音を鳴らした。

「俺も〜!」

そのすぐあとに真一が置いてかれまいと、烏龍茶が入ったグラスをカチン……と、引っ付けてきた。

そこで……大人三人はドッと大笑い。

「お待たせしました……」

それを見計らったかのように、女将がニッコリ……ふすまを開けて次の料理を運んできた。

『わぁーい! 美味しそう♪』

真一のウキウキした声でその場が急に和み始める。

食事を進めていく内に、和之も上々のご機嫌で箸を動かしていた。

 

 そんな中──

「……お父様? 本当に有り難うございます……。

私、本当に澤村中佐、いえ……『隼人さん』に出逢えた事、感謝しています。

お父様はやっぱり、彼のお父様ですわね……。彼に出逢えたから……お父様にも出逢えて……

私、今日は知らず知らずの内に、お父様にお気遣いさせていたようですわね……」

葉月がなにやら感慨深げに、そういって和之のお猪口に冷酒を注いだ。

おそらく──任務中に触れまいとしてくれた和之の気遣い。

だけれども、それだけではいけないと『前を向かそう』とした和之の言葉で……

『気遣わせていた』と葉月は気が付いたようだった。

「いやいや! こちらこそ──こんな出来の悪い息子をここまで導いてくれて」

「…………」

和之が上機嫌に葉月を持ち上げても、葉月はなんだか納得いかない顔をするのだ。

隼人もそれを確かめて……箸を降ろしてしまった。

真一はいつもの如く、元気良く食事を進めているだけ。

でも──叔母の雰囲気に気が付いたのか……そっと箸の速度を落としたのが隼人にも解る。

「あの……私」

葉月が何か言いたげに……でも、口を閉ざす。

「どうしたんだい? 楽しくなさそうだけど?」

「いいえ!……楽しくて、その……つい」

葉月がまた俯く。

「えっとね、えっと! 澤村のお父さん! 僕がサザエ取ってあげるよ!」

真一が何か悟ったのかサッと明るくなって和之の小皿をとろうとしていた。

隼人には……真一が叔母が何を言いたいのか解ってワザと明るくなったように見える。

(まさか……)

隼人は葉月が和之には『すべて』を語りたい衝動が働いているのだと悟った!

だが……今、話すのは『無茶』だ。

なんと言っても……真一が側にいる。

真実は知っていても……まだ、お互いにその事について話していることはないのだろう?

隼人はこの時は、葉月と真一が既に

『真実を語ることが出来るオチビ同盟』を組んでいることは知らなかったが。

「ああ、そうだ! 親父、この前泊まったとき、ホテルの温泉どうだった??」

それとなく話を逸らそうとしたのだが……

父親は葉月の戸惑う瞳をジッと見つめていて……相手にしてくれなかったのだ。

(おいおい……せっかく場が盛り上がっていたのに何だよ!?)

ハラハラしてしかたがない。

その上、なんだろうか?

葉月と和之がこんなに通じ合おうとしているこの真剣さ!

妙に嫉妬してしまう自分がいたりする。

所が……

和之の方から、そっと葉月から視線を外して、また僅かに微笑んで冷酒を一口。

「ええっと。昔の話になるかな? これの母親がね?」

和之が照れくさそうに息子の顔をそっと見つめたが、すぐに視線は葉月に戻された。

「沙也加……お母様が?」

「おふくろが……何?」

若い二人はお互いに違う意味で興味津々、真一まで箸を加えたまま静止してしまった。

 

「……私の所に嫁に来て欲しいと言った時だね……」

『プロポーズの話!?』

隼人と葉月は驚いて、思わず二人一緒に視線を合わせて固唾を呑んだ。

「……身体の弱い女性だったからね……。彼女、それを気に病んでいたんだよね。

迷惑がかかるから……うちには嫁にいけないって断られた。

まぁ……あの頃は、うちの会社は会社と言うより町工場だったけど、自営業一家だったから

身体の弱い自分は邪魔になると……」

「……沙也加お母様が? 気に病んで??」

「それで? 親父は何て言ったんだよ!?」

二人揃って和之に突っ込んで……隼人と葉月はお互いに顔を見合わせた。

何故なら──!

『似ているから』だった。

葉月は……相手に気に病む過去がある。

隼人は……それでも彼女を手元に引き寄せたい。

だから……

すると和之がニッコリ。

「病気なんて関係ないとかじゃなくてね……

もし? 沙也加が健康だったらどうだったなんて考えた事ないよ。

沙也加が弱い身体を押して頑張って前向いている姿が気に入ったんだから……。

私達のご縁は隼人から聞いたことあるかい?」

和之がそう葉月に尋ねると……当然、葉月は首を振った。

「なんだ隼人。伯父さんが専務だって事、話していないのか?」

「ああ、ん、まぁ──」

父が呆れた顔をしたが……葉月は少し驚いた顔をしたのだ。

「伯父様って? 沙也加お母様のご兄弟が? お父様と一緒の会社に?」

隼人は家のことはそう話したことがないので、葉月が驚くのも無理はないだろう?

「そう。私と沙也加の兄は昔から一緒の技術を学んだ仲でね?

その兄貴が大学を卒業後、一緒にうちの工場を手伝うって来てくれてね……。

兄貴と沙也加は……早くに両親を亡くして兄妹二人で支え合って生きてきたんだよ。

その兄貴の元に、かいがいしく弁当持って来たりしていたのが沙也加でね……。

仲の良い兄妹でね……私は羨ましかったよ。昭雄が……。まぁ、それがご縁かな?」

「わぁ♪ 沙也加ママって思った通りの女性だね! ね! 葉月ちゃん!」

「本当──!」

兄にかいがいしくお弁当……というだけで真一と葉月は妙に嬉しそうだった。

隼人は……しんみり、お猪口を持って亡くなった母の話を聞くだけ。

その『エピソード』は何回か親戚から聞かされたが、父の口から聞くのは初めてのような気がする。

いや? 幼い頃、それなりに父から聞かされたかもしれないが……記憶になかった。

「その昭雄兄貴までもがね……沙也加は諦めてくれって。

これは『親友』からの言葉でもあったから、ショックだったかな?

『澤村精機の為だって』言われて……」

「それで? 澤村のお父さんは……どうやって沙也加ママに『ウン』て言わせたの!?」

真一もすっかり話に引き込まれたのか、テーブルから身を乗り出す始末。

「ああ、えっとね。その時、その伯父さんと殴り合いの大喧嘩したかな?」

和之が照れくさそうに『アハハ!』と笑って白髪混じりの黒髪をかいたのだ。

『ぶ!』

隼人は口に付けていたお猪口から冷酒を吹き出しそうになり……

『喧嘩ぁ!?』と、真一と葉月は一緒に声をあげた。

「そうそう、若かったからねぇ──。ええっと、その時確か……

『沙也加が楽するぐらい会社大きくしてやる! それでも駄目か!!』って叫んでいたって

昭雄兄貴は今でも言うねぇ。アハハハ!」

「カッコイイ──!」

「素敵!」

葉月と真一は、同じように茶色の瞳をキラキラさせて拍手喝采!

和之は照れくさいのか自分が言った事は忘れたが、兄貴がそう言うと言い放つので

隼人も口元を拭きながら思わず父を茫然と見てしまった。

「それで会社を大きくしたとか!?」

「とは、別だけど、まぁ……それくらいの気持ちだったって事かなぁ?

ああ、それで、沙也加がね……

『じゃぁ、私もその仲間になるわ。それなら良いでしょ』ってね。あっさり。

嫁に行く云々は関係ない、とにかく、先ずそういう気持ちから始めようよってね。

昭雄兄貴と、三人で大きくしていこうって……沙也加は夜勤をする仲間に良く夜食作ってくれてね。

それを見て、私の母も許してくれたというか……。

身体が弱くてもあそこまで一生懸命に会社の為にやってくれる子はそうそういないって……。

その時、母にも言われたかな?」

「ばあちゃんが?」

「ああ、身体が弱いがなんだ。要は心じゃないか?

お前と同じ方向を見てくれる子だよってね……」

「ばあちゃん……そんな事、おふくろに……」

隼人は久し振りに優しかった祖母を思いだした。

「その母の言葉をそのまま伝えると、沙也加、泣きながら……うちに来てくれたんだ……」

「そうでしたの」

葉月もそんな和之の遠い目を、やや潤んだ瞳で見つめるだけ。

真一も……何かそっと噛みしめているようだった。

隼人も……。

「それで……私と沙也加の息子が、同じ方向を見据える女性を側に置いて……

それで、その女性が……どんな女性であってもどんなに傷ついている女性でも

すぐに捨てるそっぽを向く、すぐに投げ出す……そんな息子になるはずない。

私はそう信じているが、ここに沙也加がいて葉月君を見たら

隼人にもっと厳しく言い含めているだろうね?」

和之がニッコリ微笑むと葉月がもの凄く驚いた顔をしたのだ。

隼人も『ドッキリ』した!

 

──『親父、御園の事情を知っている!?』──

 

 そんな直感が走った。

きっと、葉月も一緒だろうと思った。

だけど──それを悟っても、和之の今の数々の言葉は……

その『事情』を受け止めている言葉ばかりだった。

だから──葉月が驚いている。そして……戸惑っている。

 

 でも──次には葉月はニッコリ……極上の微笑みを浮かべたのだ。

「どうりで……どうりで……」

葉月が笑いながら……でも、嬉しそうにまた、和之のお猪口に冷酒を注いだ。

そして……

「隼人さんも」

彼女がニッコリ……笑顔で隼人にも冷酒瓶を差し向ける。

「親子ですね……本当に、本当に──」

最後の声は少しくぐもっていたようだが、葉月はそこは涙は堪えたようだった。

 

 「私も忘れません。今日は素敵な日。お母様がここにいるみたい……そんな気になりました」

 

葉月の輝く瞳。

少し空かしてある障子窓から、そっと潮の香り。

そこから垣間見える星空に向かっていた。

 

 隼人も振り向く。

その星空に……。

 

 『おふくろ? まさか今、側にいるのか? 

なんだか親父が言っている事、俺が言った事、似ているよ? 魔法かけた?』

 

 そう思えてしまった。

和之と隼人の言葉で、彼女の瞳が輝く。

そして──和之という父親に初めて誇らしさと尊敬が生まれた。

それもやっぱり、葉月という女性とこうして食事の席を持ったお陰なのだろうか?

 

『与え合うってこう言うこと? ね? おふくろ??』

 

 いつだって、問いかけても母の声は聞こえないけど……。

今日は『そうよ』と、どこからともなく聞こえたような気がしたのだ。

 

 

 『あー! 美味しかったね♪』

食事を終えて、隼人達は一階に降りる。

勘定は隼人が当然名乗りを上げたので、葉月が花を持たせてくれた。

「お前に奢ってもらうようになるとはな」

和之がお勘定の場を覗きにやってきた。

「なんだよ。少しも誉めてくれないんだなぁ」

本当は葉月が予約してくれた席だったが、隼人はいつもの調子の父にふてくされるだけ。

「あら、親孝行が出来るご子息で羨ましい限りですわ」

女将の誉め言葉に、隼人も和之も思わず照れ合ってしまった。

女将がレジを打つ最中。

「楽しかったよ、隼人──つい、母さんの話をしてしまうなんて……

あの子は……どうも、私にそうさせる女の子だね」

「そうか?」

父親から『楽しい』と言われて、隼人も内心、満足。

「似ているんだよ、あの子の瞳が本当に……沙也加に似ているんだよ」

「潜在意識は親子って言いたいのか?」

「……」

父親がそっと黙り込んだので、隼人は背中にいる自分より小さい父に振り返った。

「あんな小さな男の子もいて久し振りに楽しかったぞ。

こんな家族みたいな食事なんて……」

「──??」

「あ、いやいや」

(なに? 横浜ではもしかして??)

父親がそんな風に、お揃いのお食事が『久し振りに家族のような食事』という言葉。

隼人は、すこしばかり『ヒヤッ』とした。

まぁ……弟も来年は大学生。父親と出かける歳でもないのだろうが……。

横浜では……そんなに冷めているのだろうか?? 横浜の実家は……。

そんな風に感じた瞬間だった……。

 

 「可愛らしいね。ああやって二人並んでいると」

葉月と真一が揃って無邪気に水槽を覗き込んでいたのだ。

それをみて和之が隼人の背中で、それを微笑ましく眺めていた。

「ああ、彼女も甥っ子といるといつも明るいよ」

「あの真一君という子は、両親、どちらも他界しているそうだね?」

父親が隼人の目を見ずに、穏やかな視線は崩さずにそっと漏らした。

「ああ、うん……それが?」

「なかなか、ああはなれないね。でも、どうだろうか?

あの無邪気さは、おそらく残った大人達がとっても愛してくれた証なのだろうけど……

あの子は、なかなか鋭いね。食事の席でも叔母さんの様子はすぐに悟ってワザと明るくなって。

あの歳でなかなか出来る事じゃないよ。たぶん、あの無邪気さは彼の使い分けできる『武器』かも」

それを聞いて……隼人はまた『ドッキリ』

「そ、そうかな? 時々、俺もそう思うんだよね。頭が良くて察しがよすぎて」

「考えすぎかも知れないが、そこもお前は良く見守った方が良いよ」

「ああ……うん」

「それからな。隼人」

父が葉月と真一に悟られないように穏やかな視線を彼女達に送りながらも

口元からは真剣な言葉ばかりが出てくるので隼人は緊張した。

「聞きたい事と、話したい事がある。二人きりになれる時間はあるか?」

「──!!」

隼人は『やっぱり』と、思った。

父は……『御園事情』を知ってしまったのだと。

それとも? 『横浜の実家の事』だろうか──??

「解った。今夜、彼女達がマンションで落ち着いて時間が出来たら……

もしくは明日の朝早く、見計らってホテルに行く」

「そうか」

 

『お父さん! 帰りにBe My Lightにデザート買いに行こう!』

真一が叫ぶと和之はまた、デレッと顔を崩して真一に寄っていった。

『ああ、いいねぇ。おじさんも先日、そこで食事してすっかり気に入ったからね!』

『ほんと! マンゴーシャーベットさっぱりしていて美味しいよ!』

 

 「もう、シンちゃんったら……すっかりお父様に甘えちゃって……」

葉月が勘定を終えた隼人の側に寄ってきた。

でも──甥っ子と恋人の父親が楽しそうに戯れているのを嬉しそうに眺めているのだ。

「なんだか──『孫』でも出来た気分でいるみたいだよ」

「ええ!? お父様のお歳であんな大きい孫なんて……」

「いいんじゃないの? だって、フロリダのお父さんは親父より若くてお祖父さん歴16年だもんな」

「あ。そうかも……でも、シンちゃん楽しそう」

「親父もね」

「良かった。お父様、お料理も凄く喜んでくれて。ところてん、やっぱり気に入っていたわね!」

『親子ねぇ』と葉月も楽しそうに笑うのだ。

「俺も、楽しかった……おふくろの話が聞けて……良かった」

隼人がそう言うと、葉月も嬉しそうに微笑んでくれた。

「私も──素敵なお話聞いちゃった……。益々、お父様もお母様も好きなったわ」

 

 タクシーを拾って二次会はBe My Lightで、デザートだった。

そんな一時を終えて、和之をホテルまで送って……

隼人と葉月、真一の3人はいつもの如く、週末を一緒に過ごす丘のマンションに戻ったのだ。