9.帰省前

 

 港前にあるこの島で一番のリゾートホテル。

何処の会社が経営しているかは知らないが、基地の進出により

観光地としても栄えてきた波に乗って

本島から進出してきた最新ホテルだと葉月から聞かされている。

 

 隼人は時計を眺める。

時間は夜の22時。

つまり──葉月と真一と一緒にマンションに帰ってそう時間が経たないうちにやって来たのだ。

──『聞きたい事と、話したい事がある。二人きりになれる時間はあるか?』──

父親に言われたこの一言。

これが気になって、やっぱり彼女達の目を上手く抜けて出てきてしまったのだ。

 

 『葉月、早速だけど、親父と横浜行きについて話したいことがあって……』

マンションに付くと、真一が早速風呂にはいるとバスに籠もった時を見計らった。

室内着に着替えた葉月は……

『ああ、そうなの? 二人きりで積もるお話も色々あるでしょうね? 行ってきたら?』

一緒に出かける横浜行きを彼女に『正式に申し出』したばかりだからか?

いつもの物わかりの良い微笑みを見せてくれた彼女に隼人もホッとしながらも……

勘がよい彼女。

父親の今夜の『どんな女性であれ──』という寛容な言葉で直感を走らせていたような様子。

それを隼人が確かめに行くと、もう……心得ているのだろうか?

そこは隼人には解らないが……。

彼女の笑顔は安心できる物だった。

だから──

『すぐ……帰ってくるから』

彼女の栗毛の頭を胸に引き寄せて……そっと、栗毛に口付けて出てきたのだ。

葉月の愛車は今夜は基地の駐車場に置いてきてしまったので

隼人はまた、タクシーを捕まえて繁華街の中にある観光港前まで出かける。

 

 そうして辿り着くと──

父も何か察していたのだろうか?

息子を待ちかまえるように……ロビーの喫茶室でお茶をしている姿がすぐに目に留まった。

「親父──」

新聞を読んでいる父親に声をかける。

「ああ。やっぱり来たか……悪いな。妙な気持ちにさせて」

「いや、それよりここの喫茶、遅くまで開いているんだね。知らなかった」

隼人は落ち着いた内装の喫茶室を見渡した。

よく見ると観光客もいるようだが、基地のカップルもいるようだ。

「週末は遅くまでやっているようだね?

先日、葉月君がここに宿を取ってくれたがなかなか海辺の景色も良いし。

ここの内装も落ち着いているし。スタッフも本島並み。風呂も大浴場で温泉だし。

ああ、河野君に富山君、晃司君もすっかりくつろいで喜んでいたよ。

ちょっと、休養で来るにはこれからは良いところだね。気に入ったよ」

和之はクラシックがBGMで流れる室内を見渡して満足そうに微笑んだ。

「知っていたけど。近くにあると意外と入らない物でね……」

「なるほど」

ガラス張りのロビー喫茶は、ロビーからもオープンで息苦しくもないし

夜の港の風景が美しく眺められる。

桟橋にはヨットなども揺らめいていてちょっとした南フランスを思わせると……

隼人も初めて入って気が付いた。

そこへ、蝶ネクタイをしたボーイがやってくる。

「カフェオレ、アイスで」

隼人がすぐさまオーダーすると、ボーイはニッコリ、メニューをすぐに下げて去っていく。

「なんだよ──話って……」

隼人は父親だから遠慮なく、すぐに話を振った。

と、いうのも余り彼女が気にしない程度の時間でサッと帰りたかったからだ。

和之もすぐに新聞を畳んだ。

「もう、解ったのじゃないか? 葉月君にも気が付かれたかもな?」

「…………」

だからと言って『確信』するまでは、隼人は父親であっても口にするつもりはなかった。

彼女だけのことなら、口にしたかもしれないが……。

隼人はフロリダの両親と会ってから、彼等もかなり苦しんできただろうと言う姿を見てしまっていた。

葉月の過去はすべて『御園家の事情』と考えるようになったからだ。

「……隼人、お前が横浜を出てフランスに行ったのは何年前だ?」

「え? 俺……もうすぐ31歳になるから……16年前かな?」

「その時、お前は15歳。葉月君は何歳だ」

「??……四つ違いだから……11歳かな?」

「その時──葉月君は何処にいた?」

「……アメリカのフロリダ」

そこで父がコーヒーをすすり、カップを口に付けたまま息子の様子をジッと見つめたのだ。

「まだ気が付かないのか?」

「変な質問するな? 何が言いたい?」

いや──隼人は父親の質問に……『気が付いていた』

でも──やっぱり、確信が得られないのだ!

(いや、俺も……今気が付いた。俺がフランスに行った頃じゃないか? 葉月がアメリカに行ったのは?)

と──なれば?

下宿先を紹介してくれたとか言う、鎌倉の御園叔父が父と会っていたとしたら?

その頃から、父は御園の事情は知っていた!?

いや……最近、葉月と隼人の仲を認めたフロリダの両親が父に何か連絡したか?

いやいや?……鎌倉の御園叔父がフロリダの兄亮介から頼まれて父に何か言ったか?

どれになるか隼人には解らないから『とぼけている』のだ。

「……意外と口が堅いんで安心したぞ。

それとも? 全く知らないとか? そうじゃないと見えるがね?」

(やっぱり! 知っている!?)

隼人はヒヤッとしたが……知っているなら説明する手間も省けると半ばホッとした複雑な気分になる。

和之も、まだ様子を外に出さない息子を探っていて迷っているようだった。

「全く知らないとあれば……言い含めておこうかと思ったのだが……」

「な、何を?」

「真一君の母親は……葉月君の亡くなったお姉さんだと聞いて……

それを今日……あの栗毛の坊やに会ってふと思い出してしまってね」

「思い出す?」

隼人は……『下宿を頼んだ時』の説を一番強く確信し始めたが……まだ、とぼけた。

「そう──あの頃の神奈川横須賀訓練校の校長は葉月君の叔父さんではなかったけど。

叔父さんはあの頃から、あの基地と訓練校を行き来していた教官として勤めていたからね。

昔から穏和で品が良くて、それでいて武道のたしなみがあって──

物静かな男性だったけど目立つ人であったから

私も、時々、寄ってはお話はさせてもらっていたんだよね。

特に美術の点では私にも興味深い話をしてくれて、なかなか話甲斐のある人だよ。

そういう『ご縁』で、お前がフランスの航空部隊に行きたがっていると漏らしたところ

色々と相談に乗ってくれた人でもあるんだよ」

「え!? そうなのかよ!?」

いろんな『ご縁』の巡り合わせに隼人も改めて驚き!

しかも父が息子の決心に悩んで相談していたのが御園の叔父だったとは!!

「その叔父さんがね……隼人のフランス行きで色々とお世話してくれていた時。

どうも──数年来の明るさがなくてね……。

どうしたのか? とまでは、私は聞けなかったけど……。

『京介さん』がある日、ぽつっと呟いてね……。

『兄に任されて預かっていた末の姪っ子が兄に引き取られたので急に寂しくなって』と。

なんでも? 右京君と同じで『ヴァイオリンが良くできた愛らしい姪っ子』で……

息子の右京君がヴァイオリンのお供がいなくなって寂しそうにしていると……

そういう話をしてくれたんだよ……昔の話だ」

「それ……その姪っ子って……」

「……忘れていたよ。そんな話……。

その時は『そうだったのですか。それは寂しいでしょうね』と、相づちを打っただけで……。

でも──最近、お前が葉月君と親しくなって急にそんな事思い出して……。

その姪っ子が葉月君だと解った時……私はとても不可解な気持ちに陥った」

「不可解って?」

隼人はまだ、気を緩めなかった。

「……そうだろ? 彼女がヴァイオリンを弾いていた少女だったなんて……

今の姿からは、想像が出来ないからだ。

まぁ、軍人一家だから仕方なく軍人になったとも思えるが?

『ある噂』もふと思い出してね。線が繋がるとはこう言う事を言うのかね?」

(噂!?)

隼人は胸が『ドク……』と、強く打ったのだ。

あの『悲惨な事件』が軍内で『噂』になっていたとしても、

民間の外から入ってきていた和之の耳にはいるほど?

子供だった隼人には遠い昔の知らない出来事だが、

大人達はそんな昔から肌で感じてきた出来事なのだろうか?

 

 隼人が表情を固めて……額に汗をうっすら滲ませていると……

 『お待たせいたしました。アイスカフェオレです』

ボーイがそっと……手慣れた優雅な手つきで隼人の前にグラスを置いて去っていった。

そして──落ち着くためにストローを入れて口にする。

息子が落ち着いたのを見計らって……和之がため息をついた。

 

 「隼人、お前……いろいろ知っているんだな」

また……隼人の鼓動が強く打つ。

ここで認めるべきかどうか迷う。

だが──父親は続ける。

「……確か、あの頃神奈川訓練校の校長が新任したばかりで……挨拶に行ったときかな?

『息子さんが航空部隊入隊希望だそうですね』と聞かれて……」

「そ、それで?」

隼人の声がうわずった。

「……『御園に相談しているなら間違いないでしょう。

軍ではしっかりした家柄で人脈もあるから』と……

その時、ふと『最近、彼は元気がないようで』と何気なく言うと……

……最近、姪御を一人亡くした。子供を産んで亡くなったとか?

その子は父親に引き取られたから良かったが

──悲しい出来事だった……と、なんだか親しい間柄だったのか

新任だった校長が悲しそうにそう言ったよ。日本人の校長だったけどね。

その時はそれだけだったのだけれど……うちの他の営業が噂を聞きつけたと。

私に報告してくれてね……」

隼人は……手に汗を握って膝の上で拳をキツク握りしめた。

「その噂……嘘じゃないと思う」

俯いて……小さな声での返事だったと思う。

だが……父が解っていても驚いたようだから、隼人も恐る恐る顔を上げた。

父がどんなに容認的でも……御園との関わりに対してどういう心構えであるのか?

それがまだ計り知れないから。

だけど、父親がそれを思い出して、息子が何も知らない場合……

『投げ出す男に育てた覚えはない』と息子に言い聞かせ、葉月を安心させようと

それとなくほのめかしたのだと解ったから……。

隼人は顔を上げて真っ直ぐに父親の目を見つめた。

「葉月はその亡くなったお姉さんとその時……一緒にいたんだ。

……お姉さんだけでなく、暴漢に左肩をやられて今でもハッキリ傷が残っている」

「……なんと……姉妹揃って襲われた噂は聞いたが……そんな傷を? 葉月君が??」

和之は……途端に眉間に皺を寄せて、瞳を悲しそうに揺らした。

「だから──それ以上、噂について言葉にしないでくれ。詳しくはまた別に……」

「……解った」

それで通じ合ったようだ。『御園事情』については……。

「だが、私はその時は部外者だったので、

有名な一族をやっかむ噂だろうと部下にも言い含めたし

今までだって……そんなに心に残していなかった」

「葉月と対面して急に昔の記憶が?」

「──だな」

「それで? 俺が全く知らなかった場合、どうしようと思ったんだよ?」

「これから、御園とお付き合いしていく上で心得て置かねばならぬだろう?

ショックが大きかった場合は……私もどうしようかとね……。

そう思って……今日は母さんの話もした訳だが……」

「ああ、うん。そう思って俺もいつか親父にも話しておこうと思ってはいたけど」

「──先は、ともかく……お前、『その気』なんだろう?」

「その気?って?」

「馬鹿者! お前、何考えて葉月君と一緒に住んでいるんだ!?」

(あ、もしかして?)

隼人は父親が『結婚』の事をほのめかしているんだと解って苦笑い。

「う……うーん。でも、そんな状態じゃなくて……」

「葉月君は……普通の女の子にも見えるが、大人びているのはそう言うワケなのかと急に納得した」

「結構……傷、深いんだけど」

「だろうな。まぁ──決断は先だろうと私は思っているが……

そういう姿勢なしで付き合っているなら、かえってあちらの一家に迷惑がかかるから念を押しただけだ」

「解っている……その覚悟で彼女と一緒に住むことに決めたんだ」

意外と冷静な父親の反応が腑に落ちない隼人。

「親父。反対するかと思って……彼女との付き合い

なんと言っても……資産家の娘だし。それにそんな事情が一家を取り巻いているし」

「そんなの何処も一緒ではないか?」

『我が家もそうだ』と言ったように聞こえて隼人は少し申し訳ない気持ちになる。

「だけど、御園の事情は『格別、特殊』だから……

なのに……親父、今夜の食事で『すぐに投げ出す男に育てた覚えはない』と言ってくれて……」

「…………さぁな。お前、母さんに感謝しろよ。

母さんという女性がいたから、私もそういう痛みが僅かながらに共感できるわけだから。

そうでなければ、私は普通の父親として反対はしていたかもな……。

ありきたりに、息子の為に……そう思うと、なんだか人間は勝手な物かもしれないな」

「本当だな。俺も……そう思った」

ストローをグラスの中でクルクル回して隼人も感慨深げに呟くと

父も、そっと微笑んでコーヒーカップを手に取る。

「俺……親父に感謝するよ。今日の彼女、嬉しそうだったから」

「なぁに……こうして息子とまた向き合わせてくれた事を考えると……

『感謝』すべきは私の方かもしれないからな……。

それに……彼女は優しいよ。本当に──。

私を小笠原に強引に引っぱり出したり、

隼人と私が向き合わないと怒って無理矢理車に乗せて『スピード違反』

ああやって、一生懸命なところが沙也加にも似ているのかな?

ムキになって怒るところなんて、ホント、身体は弱くても気は強かった沙也加にそっくりだ」

「うわぁー。やめろよ! それ以上、彼女とおふくろ並べるなよ! 変な気持ちになる!」

隼人が手を突き出してのけ反ると、和之が大笑いをする。

「本当……あの子のお陰だな。隼人とこうして話せるのも……」

しみじみとコーヒーを味わう父親に……隼人もそっと頷いた。

「まぁ──聞きたい事、話したい事というのはそれだけで……。

私も一応心得てはいるから、気にせずにと言う意味でね。

その内……あちらのご両親から話があるかもしれぬがそれまでは知らぬ振りだ」

「……そっか」

(なんだ、家の事は大丈夫なのか……)

隼人は父親がそこで話を終えたので……ホッとしたのだが。

「和人、その後どうだよ? この前電話した時は結構明るかったけど」

「ああ。お兄ちゃんから電話があったと、その後は妙に神経質にはならなくなったがね?

反抗期は……治らないようだな。美沙が手を焼いている」

「ああ。まぁ──男はそんなモンかもね。

あの素直な真一だって時々、葉月の口うるささを鬱陶しがっているからなぁ

美沙さんも、息子に構い過ぎなんじゃないの?

いつだったか……帰国した時も塾に行く行かないでもめていたじゃないか?

親父は『好きなようにさせろ』って言っていたなぁ? 俺も賛成だったけど」

「さぁな。美沙には美沙なりのやり方があるだろうからね」

「……」

父親の妙に素っ気ない返事に隼人は違和感を覚えた。

「お兄ちゃんからも言ってあげてとか言われたな。

だから、俺も親父と同じ事言ったら、美沙さん、拗ねるんだモンな。

『フランスの学校とは訳が違うのよ』とか怒り出しちゃって……。

俺にどうしろっていうのかな?」

「兄貴として頼っていたんだろ?」

また、素っ気ない返事……。

隼人はまた違和感に襲われて眉をひそめた。

「……美沙さんと食事とか出かけないのか?」

「お前には関係ないだろ。それに仕事が忙しい」

「また、そんな事言って……ま、男の常套句だな」

「……」

そこで父親が黙って新聞を広げたのだ。

(……突っ込みにくいなぁ)……と、苦笑い。

歳の差が……ここに来て出てきてるのだろうか? と、やっぱりそう思えてくる。

そして、頑なで頑固な年寄りになりつつある父の素っ気なさに美沙は不安を抱えて……

だから……『お兄ちゃん、なんとかしてあげて!』……

そういう『頼り』はよく言われていた事だが……

これが本当の母親からの言葉なら素直に腰は上げられるが……

隼人としては……

『そう言うことは、俺に懇願せずに親父に懇願しろよ』

今まで、惚れていた立場からもそういう気持ちが自然に湧いたし……

それに……やはり、歳が近い男を頼るよりかは夫を頼って欲しいと父に遠慮してのことだった。

 

 父も隼人もその辺の感覚は、父子として言葉無しにバランスが取れていた。

今も……そう、お互いの『男』として美沙という女性がどう感じているかは

薄々解っていながら触らないのも、やはり『父子』だからであって……

口が裂けてもぶちまけられないところなのだ。

 

 新聞を広げて黙り込んだ父親を眺めながら、隼人はカフェオレを味わっていると

「お前、話は終わったぞ。早く、葉月君の所へ帰りなさい」

「えっと、横浜に行く話だけど……彼女もついて来るって、うちに泊まるって言っているけど」

隼人がそう言うと、父が新聞をまた畳んで向き合った。

「そうか! それは楽しみだな! あの部屋に泊まってもらうか!」

「そうだな。横浜の夜景が綺麗に見えるからな」

「いつ来る!」

父親の即突っ込みに隼人は思わずのけ反ってしまった。

「え? うーん、昇進後どうなるか解らないから様子見だけど。

遅くても……5月の連休には……と、俺は頭に描いているけど?

その頃になったら、彼女の怪我もだいぶ良くなっているだろうし……」

「ゴールデンウィークに来るのか!」

「あ、皆で何処か出かける計画でも?」

隼人もハタと我に返って、父親に尋ね返すと……

「そんなモン、ここ数年ないわ!」

「あっそ」

隼人も苦笑い……

(何処の家庭も子供が大きくなるとそうだろうけど──)

 

 ──『我が家も色々ありそう』──

隼人はそう思ってしまった。

 

(あー。急に億劫になってきたけど……)

 

 でも? やっぱり放っておけないところが『実家』なのだろうか?

何か新しいものを見てしまいそうで急に隼人は不安になったのだ。

弟が高校に上がって以来の『帰省』だから……

息子が親離れを始める中で、隼人がそっと置いていった『美沙風家庭』がどうなっているのかと

黙り込んで渋い顔の父親を眺めてため息をついた。

だが……

「葉月君は何が好きかな? どんなご馳走しようかな?

いつかは……そのヴァイオリンを聴いてみたいね! さぞかし綺麗だろうね? あの子が持つと!」

と──、父が葉月一つで急にご機嫌になったので、それで隼人は『良し』としておいたのだ。

 

 

 「ただいま──」

丘のマンションにやっと帰ってきた。

昇進から葉月の逃走から……何から何まで続いて長い一日……。

隼人は、肩をグッタリ沈めながら革靴を脱いでいると……。

 

 「おかえりなさーい!」

栗毛のウサギがお揃いで、廊下の曲がり角からニッコリお迎えで覗きに出てきた。

「ただいま」

そのお揃いの無邪気な笑顔に、隼人もホッと心が和む。

 

 「お父様、どうだった?」

葉月が、隼人の制服の上着を後ろから手添えして脱がしてくれる。

「ああ、横浜行きをね。報告したらいつ来る、いつ来るってうるさいのなんの」

「そう、良かったわね」

葉月はニッコリ微笑んで……それ以上は何も聞かなかった。

 真一は──何をしているのかというと……

「隼人兄ちゃん! また、触ったでしょ!!」

「ああ、だって、真一が来なかったから俺が水換えしておいたよ?」

そう、葉月のお見舞いで買ったとか言う『熱帯魚』の世話だった。

任務から帰ってきて、早速、リビングのサイドボードの上に水槽を設置したのだ。

「シンちゃん? 隼人さんね、シンちゃんが学校が忙しくて来られないときも

ちゃんと世話してくれているのよ? そんな言い方ないでしょ?」

「…………」

真一は葉月のその言葉を聞いて、珍しくプイッとそっぽを向けて

テレビ前のソファーに陣取り、大人しくテレビ鑑賞を始めた。

『真一も反抗期かな?』

隼人はソファーで大人しくなった真一の栗毛を見つめながら

とりあえず、ダイニングチェアに腰をかける。

 

 真一は熱帯魚の世話は……『俺、一人でやるからね!!』と豪語するのだが、

隼人としては危なかしくて見ていられない。

真一がマンションに来るのは不規則になっていて、真一の言うとおりに触らずに置いておくと……

なにやら……魚二匹、急に弱っている様子──。

隼人は慌ててネットで調べて情報を掴んでなんとか盛り返したのだ。

それで真一が『兄ちゃん、触らないでって言ったじゃない!』と怒る。

別に怒られるのを覚悟でやっているのだ。

真一は『世話する事』に『使命』を燃やしているようだが

やっぱり、生き物を飼う事に慣れていないのだ。

隼人も独りが長かったので、熱帯魚を飼った経験がある。

だが──結構、難しい物なのだ。

真一がもの凄い『執着』をしているので、彼が使命感を燃やしていても

絶対に放っておくと失敗するだろうと思って、拗ねるのを覚悟で手を出したのだ。

だが……葉月は……。

『……死んじゃっても、構わないのよ』

いつになく冷たく、しきりに世話する隼人にそう呟いた。

『なんだよ? お前らしくないな?? 真一がガッカリするのも元より、魚も可哀想だろ?』

『…………』

甥っ子がせっかく見舞い品に入手した物だというのに

その素っ気ない態度が隼人は腑に落ちなかったが。

『昔……』

葉月が何か言いにくそうに……でも、言葉は一時止めたが続けた。

『昔……誕生日にもらった小魚はすぐに死んじゃったわ。

その時……お兄ちゃまが言ったの、『そんなものだろう』って……』

『お兄ちゃま? 右京さんの事』

すると葉月はウンとも違うとも言わずに、話を続けた。

『また欲しいと、ねだったけど……お兄ちゃまは二度と捕ってきてくれなかった。

私が泣くから、もう、捕ってこないって──魚も可哀想だって。

その時、初めて……生き物を閉じこめるって可哀想な事だって知ったわ』

『そう思うなら……捕った手前、飼う手前、魚の為に俺も世話して正解だろ?』

隼人が益々訝しそうに問いかけると、葉月が俯く。

『隼人さんがする事ないのよ。シンちゃんにやらせてあげて』

それだけ言うと……サッと葉月は部屋に入ってしまったのだ。

『…………』

そう、隼人はこの魚の送り主を知らないから……

知らずして、その男の想いが込められた見舞い品を一生懸命手がけていたのだ。

だが──それでも世話する隼人に、その後、葉月は何も言わなくなった。

そして──

真一が拗ねると、そうして隼人を立ててくれる。

(あの時──何が言いたかったのだろうなぁ?)

まだ、解るはずもない隼人だったのだ。

 

 「お茶、飲む? ラ・シャンタルのハーブティ」

葉月が真一が拗ねたので、その場を和まそうとそう言いだした。

「俺は今、親父とお茶したばかりだし……」

「俺もいらない」

隼人が断ると即、真一まで……。

だけど葉月は別に全然平気のようで、『仕方ないわね』と隼人に向かっておどけて笑った。

葉月もため息をついて隼人の向かいに腰をかけた。

「あ。おじさんからメール来ているかな?」

真一も気まずくなったのか、テレビ前のソファーから、すぐ側にある林側の部屋へと入ってゆく。

その隙を見て……

「俺、やっぱり──魚から手を引こうか?」

葉月と真一が魚を挟んで何を感じてるのかが解らないが

真一があんなに拗ねるならと隼人も諦めようとした。

だけど、葉月はニッコリ……。

「ううん。シンちゃんだって本当はお世話してくれて助かっているのよ。

だけど……自分一人の力でまかないきれないから、もどかしくて拗ねているだけよ」

「……なんの使命感なんだろうね?」

それとなく──葉月にカマを掛けてみる。

「さぁ……ね」

「葉月の『さぁね』は怖いってジョイがよく言うけどね?」

隼人が頬杖、しらけて葉月を見つめても、葉月はそっと水槽に視線を運ぶだけ。

「…………」

その熱帯魚を慈しむ瞳……『死んでも構わない』とかいいながらも

魚の世話に手は出しはしない葉月だが、彼女もそれなりに愛着があるようだった。

『あ!』

林側の隼人の部屋からそんな声が響いた。

「ねぇ? 葉月ちゃんは5月の連休は……横浜に行くんでしょ?」

真一がそっと部屋から頭だけ出して聞いてくる。

「あ、そうだけど? 右京兄様は? 何て言っているの?」

『兄様からメールが届いた』と解って、隼人もドッキリ!

「うん! 瑠花ちゃんと薫ちゃんが『ディズニーランド』に行くから真一もどうかって!

行ってもいい?? 徹君も、美音ちゃんも来るんだって!」

聞き慣れない名前が沢山出てきて隼人は眉をひそめた。

「るか? かおる?? とおる君にみおんちゃんって誰?」

「ああ。私の従姉、兄様の妹よ? ピアノが上手いの。

徹君と美音ちゃんはその子供。真一より歳は下だけど従弟妹みたいな物ね。真一には」

(ええ!? この上、姉さん軍団までいるのかよ!)

と……隼人は絶句! しかも従姉は『ピアノ』と来た!

「もうとっくに結婚して鎌倉出ているの。

川崎に住んでいるんだけど姉妹で教室しているのよ。

しかも二人とも音楽隊の隊員さんが旦那様なの!」

『鎌倉御園家は音楽一家か!』

隼人は益々……鎌倉に心構えが出来てしまった。

 

『残念──できたら、横浜一緒に行きたかったけど』

『右京兄様のお誘いだから、皆で行ってきなさいよ』

『おばさん達、葉月ちゃんに会いたがってるみたいだけど』

『宜しく伝えておいて……暇が出来たら連休中に顔出すって……』

『うん! じゃ、返事出しておくね!』

 

 ウサギ達の会話中も隼人の頭はもう鎌倉一族で一杯だった。

 

『ど、どんな人達なのかな〜』

 

栗毛のクウォーターが、並ぶ姿がまだ隼人には想像できなかった。

 

 その後──本部の端末も無事に入れ替えが終わり、和之も本島に帰ったが

しばしば、葉月の自宅に和之から電話連絡が入るようになった。

それとは別に、真一の所にも右京からのメールが頻繁に届き、

時には葉月が返事を打ち込んでいる姿が見えた。

 

 昇進の衝撃が基地中に走っても

葉月と隼人の勤務態勢は以前とそうは変わらない。

呼ばれ方が変わったぐらいだったが、暫くは、何処に行ってもまた声をかけられるようになった。

 

 5月の連休間近。

小笠原基地の中庭では紫陽花がほんのり色づき始め、サルスベリがちらほら咲き始める。

連休すべての日は休めなかったので

ジョイや山中と交代で日程を組んで隼人は葉月を連れての初めての本島旅行……

いや──帰国して初めての『帰省』をハッキリと決めたのだった。