× ワイルドで行こう【ファミリア;シリーズ】 ×

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 5.リトルバード・アクセス《3》 

 

『そういうことは、家庭内で子供に言えばいいことでしょ。それをわざわざ学校にまで出向いて、先生達の前でやるだなんて』
『だってよ。空港から帰ってきた途端、矢野じいからいちばんに聞かされて。相手のお嬢さんが怪我したって聞いてさ、あちらのお母さんがめちゃくちゃ怒ったから琴子が呼び出されたとかさ、お前が学校に行って先生に頭下げて、あちらの奥さんにも頭下げてって聞いてよー。なんで俺が留守の間に……』
『そうじゃないでしょ。小鳥ちゃんだって女の子で、ああ見えても繊細なんだから。みんなの目の前で“こんなに自分は悪かったんだ”て、お父さんから晒してどうするのよ!』
 
 龍星轟、三姉弟。両親が寝室に籠もってどうしているのかちょっと気になる。
 盗み聞きがばれたら、琴子母にも英児父にも『行儀悪い』と叱られるから、ちょっと距離を取って――。
 でも小鳥の部屋辺りから、そんな声が聞こえてきた。
 
『悪かったよ。マジで。自分でも後になって“まずい。俺も娘と一緒じゃねーか”って、先生達の前で家の中で済むこと派手にやってしまったと落ち込んだよ』
『そうでしょう、もう。ほんとに、もう』
 
 娘と一緒――、カッとなったら後先見えない。父娘、そっくり。
 そこで小鳥の隣にいる、聖児が『ぷ』と笑ったので『笑うな』と茶髪頭を軽く叩いた。
 
『なあ。そんな怒るなよ。もう二度と突然、学校に押しかけるとかしねえから。行く時はお前に連絡するし、お前といくよ』
 
 小鳥の頭の中。父がああいう声の時はどうなるか、その様子が『ぽん』と浮かんでしまう。ママに抱きついて、ごめんごめんとほっぺたにキスをしようとする姿が。
 これって我が家では日常茶飯事。小さな頃から父は母にはべったり……というか。見慣れた光景なので、とっても自然でなんの違和感もない姿。
 そして、そんな時の母もまんざらでもないようで、『もう英児さんたら』と渋々しつつも、英児父の腕の中でくったり力を抜かれてしまう……。それって父が上手なの? とか思っちゃうほどに。母はそういう父に弱いようだった。
 だから、もし。いま、寝室でもそうであれば。
「そろそろ終わるんじゃね。父ちゃんが甘えてきたら、母ちゃん弱いもんなー」
 ほら。弟の聖児まで。きっと姉の小鳥とおなじ両親の姿が『ぽん』と、浮かんだようだ。  そこで末っ子の玲児も間に入ってくる。
「じゃあ、さあ。母ちゃんが許しちゃったら、姉ちゃんの免許取得延期を取り消すように言えなくなっちゃうってこと?」
「んだな。そういうことになっちまうなあ。どうすんだよ、姉ちゃん」
 普段は生意気な聖児も、そして無垢な眼差しで心配してくれる末っ子玲児が、じっと小鳥をみた。
「お母さんが助けてくれようとしても、もう私も自分で決めたからいいの。お母さんにもそう言うつもり」
「それでいいのかよ」
「そうだよ、姉ちゃん。あんなに楽しみにしていたじゃん」
 こんな時、弟二人がいて……心強いなとかは思う。
 
『小鳥ちゃんの免許取得延期。これを職員室で言い渡したことも、まっすぐな小鳥ちゃんがそこで真意を理解して、自らそれを受けることだってわかっているはずなのに。沢山の人がいる前で、あの子がいちばん悲しい思いをするはずのことを決意させたわね』
 
 姉弟が気にしている『問題』を、ついに琴子母が持ち出した。
 親父さんの『琴子〜、悪かったよ〜、なあ、なあ。ちゅっ』といういつもの甘えっ子も効かなかったようだ。
 
『だから。それも、周りが見えなくなって――』
『カッとなって? それで?』
 
 そこから会話が途切れたよう。父が何も言い返さない様子が伝わってくる。
 
『お願い。小鳥ちゃんの免許取得延期。取り消して。もう充分でしょう』
『だめだ。それは父親として譲れねえ』
 
 カッとなって、周りが見えなくなって、大人げない行動を取った。筋は通した。だけど、やり方がちょっとまずかった。それでも譲れないものは、譲れない。小鳥には親父さんのそんな気持ちが、我が事のようにわかってしまうから困ったもの。
 
「クソ親父。融通きかねえな」
 小鳥の隣で、茶髪の聖児がちっと舌打ちをした。
 そんな弟の横顔とか雰囲気が、こちらも違う意味で親父さんに似てきたなあと小鳥は感じている。
 そして、またそこで両親の会話が途切れた。二人が互いの思いを譲れずに無言で牽制している姿がまた目に浮かぶ。
 
『わかりました。英児さんのことだから、きっと貫くだろうと思っていました』
『……琴子。だから、悪かったと思っている。けどよ、学校だろうとこの家だろうと、俺は同じ事を小鳥に言ったしさせたと思う。だから』
 
 あー、母ちゃんが折れちゃった。
 弟二人ががっくり項垂れる。我が家の最終大型堤防でもあるママが合意してしまったら、それ以上はどうにもならない。
 弟たちまで気の毒そうに姉の小鳥を見る。でも小鳥本人の気持ちはもう決まっているから笑ってみせる。
「いいんだって。これで」
「俺だったら、絶対に折れないけどな」
「そうだよ。姉ちゃん」
 だけど小鳥は頭を振る。
「本当にいいの。その代わり、じっくり車でも選ぶよ」
「ぜってえ、ハチロク以外な」
 聖児とは『父のハチロク』を狙っているライバルでもある。だけれど、父は絶対に譲らないと言い張っている。いつか譲ってくれる気になったとしても、おそらくずっと先だろうと小鳥は思っている。
 
『なあ、琴子。もうそんな顔するなよ。俺、今朝、帰ってきたばかりなんだぞ。帰ってきてお前が笑ってないって寂しいだろ』
 
 また父が大好きな母に甘える声。
 
「はいはい、終了〜」
 今から『お馴染みのべったり』が始まるので、聖児が呆れた顔でそう言ってリビングに戻ろうとする。
 玲児も『まただ、もう』とぼやきながら、そして小鳥も『いつものこと』と溜め息をつきながら――。姉弟三人、盗み聞きがばれないよう廊下から去ろうとしたのだが。
 
『離してください。私、今日は母のところで休ませて頂きます』
 
 そんな琴子母の毅然とした声が聞こえ、去ろうとした三姉弟は振り返る。
 
『おい、まてよ。なんでだよ』
『なんでって! 小鳥ちゃんはしっかり受け入れたのだから、英児さんだって考えてよ!』
 
 なんでも筋を通せばいいってもんじゃないわよ。
 
 あの大人しい、いつだってにっこりその場を和ませてくれる琴子母が勢いよく言い捨てる声が聞こえたかと思うと、両親寝室のドアが開いた。
 三姉弟は慌ててリビングへと走った。
 リビングでテレビを見たり、雑誌を見たり、ソファーに座ったりして元の姿に戻る。リビングに琴子母だけが戻ってきた。
 ものすごく不機嫌な顔……。黙ってまたキッチンに立って家事を始める無言の母だが、ものすごい鬼気迫るなにかが子供達がいるところまで漂ってくる――。
「盗み聞きはだめでしょ」
 静けさの中、鋭く届いた声に三姉弟は震え上がる。
 その中、聖児がふっと自室へとさりげなく消えてしまい、そんな兄を見た玲児もふいっとリビングを出て行ってしまう。
 小鳥はひとり、リビングに残る。そして思った。あーあ、私が問題を起こしたせいだ。そうでなければ、今日、半月振りに帰って来た親父さんはまっさきにママを抱きしめたかっただろうし、そしてママはそんな親父さんの帰りを待っていたはずだし。『お前がいなくて寂しかったよ』とか『おかえりなさい、英児さん』と仲睦まじかったはずなのに。そう思うと、本当に自分が情けなくなる。
「お母さん。本当にごめん」
「言ったでしょう。小鳥ちゃんは気にしない。自分で自分のことをちゃんと考えて、自分で決めて、動いたでしょう。もう終わり」
「でも。お父さんと、お母さん……」
 そう言った時だった。シャツとデニムパンツに着替えた父がリビングに現れる。こちらもすっごい不機嫌な顔――。
「走ってくるわ。メシ、いらねえ」
「はい、どうぞ」
 引き止めてもくれない母の即答に、強面で不機嫌な父の眉間にさらなるシワが寄ったのを小鳥は見てしまう。
「とうちゃ……ん」
 小鳥が呼び止めようとした時には、もう英児父は玄関へと消えてしまう。
 二階から龍星轟ガレージへと見下ろすと、この日の親父さんは、長年の愛車である黒いスカイラインGTRで出て行った。
 この夜、父は遅くまで帰ってこなかった。そして、母は一階にいる鈴子祖母の部屋で一晩を過ごしたようだった。
 
 まさか。自分が起こした問題のせいで、あの仲が良い両親が不仲になるってことないよね?
 これが毎晩とか続かないよね? 

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 翌朝、いつも通りの食卓――だけど、どんよりとした空気感。
 弟たちも耐えられないのか、いつもより食べるスピードが速い。この場から一分でも早く去ろうとしているのがわかる。
 親父さんは眉間にしわを寄せたまま、食卓で朝食を食べている小鳥の正面で新聞を読んでいる。琴子母は眼鏡をかけた朝のスタイルで、もう出勤しなくちゃとエプロンを解いてリビングを出て行った。
「ごっそうさん」
 いつもは母の顔を見ていう父が、この日は母が出て行ってから誰に向かう訳でもなくぼっそりと呟いただけ。新聞をたたむと父までリビングを出て行った。
「すげえ険悪。朝一番に父ちゃんが母ちゃんに抱きつかないってさあ、異常事態だろ。父ちゃん、昨夜は走って帰ってくるの遅かったしなあ」
 聖児も父が帰ってくる気配を自室で感じ取っていたよう。
「すぐ仲直りするよ。いつもじゃん」
 玲児は今までの両親の姿を信じて疑っていない。でも居心地悪そうだった。それは小鳥も同じなのだが。あの母が『実母のところで寝ます』なんて一晩でもこの婿宅を出て行ったのは初めてだったから。
 こういうことって。意地を張って幾晩も続くとこじれるような……。そこが心配。ましてや自分が原因だなんて。心が痛くて仕様がない。
『小鳥ー、先に行くぜー』
 同じ高校の聖児が先に出て行った。
『いってきまーす』
 玲児もさっさと自転車に乗って近くの中学校まで。
「はあ、憂鬱だなあ」
 弟たちより支度がかかってしまうところ、ここはちょっとだけ女の子の小鳥。今日は綺麗に結い上がらなかったポニーテールのトップに大好きな青いラメ入りゴムを使ったのに、テンションが上がらない。
「でも、」
 あることを思い出し、小鳥は鏡の前で自然とにっこり、頬が緩んでしまっていた。
 昨日は代休で出勤していなかった『翔兄ちゃん』に、今日は久しぶりに会える。親父さんについて、スーツ姿で出かけていった翔兄。
 スーツを着込むと、キリッと凛々しいビジネスマンそのもの。お兄ちゃんは三十を目の前にして、すごくすごく素敵な大人の男性になってきた――と思う!
 その翔兄が『土産を買ってくるからな』と小鳥の頭を撫でてでかけていったこと、半月の間、毎日思い返して待っていた。
 それがあるもんねー。そう思うと、やっと気分がノッってきた! よし、これで学校へ行こう! 小鳥も部屋を飛び出す。
 リビングへの廊下を歩いていると、背後からなにやら両親が話す声がまた……。
 気になっていた小鳥は振り返ってしまう。
「もう、コンタクトがつけられないから離して」
「離さない。半月振りに帰ってきて、俺がなにを楽しみに帰ってくるか知っているくせに。随分と意地悪いな」
「意地悪いって……。離して、もう。時間がないの」
 琴子、琴子。
 そんな親父さんの熱く一生懸命な声。
 小鳥は眉をひそめる。あの親父ったら、ほんとうにどんだけ女房のことが好きなんだと。
 目に見えないけれど、眼鏡の母に後ろから抱きついて、またあちこちキスして母を困らせているんだなーと。たぶん、子供達が出かけていったと思って、二人きりだと思って、ちょっと……もしかすると小鳥が見ては大変なことになっていそう。
 だけどもう小鳥は笑っていた。
「ほらね。一晩だってもたないんだから。家庭内別居でさえー」
 声をかけると二人ともびっくりして離れるかな。母はそれで助かるかな? 
「琴子、俺を見てくれよ」
 なあ、琴子。
「私、怒っているんだから。怒って……いるんだから……」
 見えないけど……。あーあ、ママも結局、パパが大好きなんだよね。琴子母が怒っているといいながらも、直球な男にあっさり折れちゃう時の甘い声になっちゃった。
 聞こえないけど……。そろそろ、ちゅっちゅっとした音が聞こえてきそうなので、小鳥はさっと静かにそこを去った。
 やっと『日常』に戻ったようで、小鳥も一安心。一度、小学生の時に、やっぱり影で二人が思いっきりキスをしているのを目撃してしまったことがある。もちろん、二人とも知らない。本当の大人のキスをしていたのを見てしまったのは、その一度だけ。やっぱり朝。あれも喧嘩した後だったのかな?
 
 玄関をそっと出て、一階への階段を下りる。事務所へのドアがもう開いていて、光が漏れている。
 開いているドアを覗くと。
「専務、おはようございます」
 ネクタイ、シャツ姿の眼鏡のおじさんが、もうデスクに座ってパソコンに向かっていた。
 親父さんの高校時代の後輩で、龍星轟の経理事務担当の武智専務。
「おはよう、小鳥。なあなあ、昨夜、親父さんとオカミさんどうだった?」
「ちょっとやっちゃったかな」
 眼鏡のおじさんがそれを聞いて困った顔に。
「やっぱりー。タキさんはともかく、琴子さんが絶対に怒るだろうと思っていたからさあ」
 長年の付き合いで、こちらのおじさんも何がどうなったら滝田家がどうなるかなんてお見通し。
「お父ちゃんは夜遅くまで走りに出ちゃって、帰ってくるのが遅かったよ。お母さんはお祖母ちゃんのところに行っちゃうし」
 そう言うと、武智専務がとても驚いた。
「それって、家庭内別居みたいじゃん」
 なんていいながらも、武智専務はけらけら笑っている。
 それもこれも、小鳥同様にこちらのおじさんは両親を長く見てきただけに、小鳥以上に良くわかっているから。
「無理無理。どっちかが寂しくなってすぐに仲直り。一晩だってもたないよ。心配することないよ小鳥」
「うん。もうそこで濃厚な仲直りしていたみたい。見てないけどね」
 するとそこは武ちゃんは顔をしかめて呆れた顔。
「まったく。子供がいるんだから、気付かれないように……」
「無理無理。とくに父ちゃんが。毎朝、お母さんに触らないと気が済まないんだから」
「だよね、だよな! 滝田ジュニア達にとっては今更か!」
 また専務がおおらかに笑い飛ばす。だけど小鳥はひとこと。
「父ちゃんがカッとなって止められないのは仕方ないなと思ったけど、私、矢野じいにちょっとひとこと言っておきたいよ」
「あー、それも無理無理。矢野じい、あれでけっこうパニックだったんだよ」
 パニック? 小鳥は目を見張る。今はともかく、矢野じいは以前は誰よりも冷静で、カッとなる父をいちばんに抑えていた大人だったのだから。
「小鳥は知らないだろうけど、あれで矢野じいと親父さんはそっくりだよ。そこのガラスを割る大喧嘩をしたのは知っているだろ?」
 それはもう伝説だか武勇伝みたいに龍星轟で語り継がれているので、幼い時より耳にしてきた小鳥もこっくり頷く。
「つまり。矢野じいは、もう爺ちゃんだから、今はカッとなる代わりにパニクっちゃうの。小鳥が心配で心配で、きっとタキさんと同じ事を考えていたと思うよ。あちらのご両親が許してくれても、それでいいのかと。きちんとあちらとわだかまりが残らないよう、小鳥が学校で孤立しないよう、もう一度ちゃんとケジメつけて来いよ。琴子が行った、親父のお前も行っておけてね」
 小鳥は言葉が出てこなくなる。なぜって……。止めてくれなかったことにはひとこと言いたいけど。そんな生まれた時から見守ってきてくれたおじいちゃんが、そこまで小鳥を心配してくれていたから。
「あとで。矢野じいにありがとうっていっておく」
「心配で心配で、父親であるタキさんが帰ってくるのを矢野じいも待っていたから。つい、だったんだよ。俺達も止められなくて、ごめんな。小鳥」
 小鳥は首を振る。なにもかも自分は発端。そして、両親だって、龍星轟のみんなだって、こんなに心配してくれていたのに――。
「専務、ガレージ開けておきました」
 その声に、小鳥はドキッと固まる。
「今日の整備スケジュールに合わせて、顧客の車の入れ替えをしておきます。本日のスケジュール表、見せてください」
 龍星轟のジャケット、そして作業ズボン姿。だけどスッとした落ち着いたたたずまいを醸し出す男性が事務所に入ってきた。
「わかった。これが今日のスケジュールだよ、翔」
 憧れのお兄さん。翔がそこにいた。
「翔兄ちゃん、おかえり」
 大学を卒業して専門外のこの業界に『諦められない』気持ちひとつで飛び込んできた翔兄。すっかり整備士の姿になったけれど、元ヤン族の雰囲気いっぱいのこの事務室の中で少しだけ違う品良い雰囲気を持つ人。
「ただいま。小鳥」
 来た頃は初々しい青年らしい短髪だったけれど、いまは少しだけ伸ばして、ちゃんとイマドキ風味を忘れずに整えているところがまたお洒落で大人っぽいお兄さん。黒い前髪から覗かせる普段は涼やかな目元がにっこり緩んで小鳥を見てくれる、そしてなんといっても翔兄らしい笑顔は愛嬌ある白い八重歯。その笑顔を見ただけで、小鳥はもう胸いっぱい、なにもかも翔の笑顔以外はすっとんで真っ白になってしまいそう。
「い、いってきます、学校……」
 久しぶりにときめきすぎて、どうにかなりそうだったから、せっかく会えたのに小鳥はさっと事務室を後にして裏口を出た。
 歩いて近くのバス停まで。
「小鳥――!」
 翔兄の声が聞こえ、制服姿の小鳥は立ち止まり振り返る。
 龍星轟整備士姿の翔兄が走ってくる。
「兄ちゃん、どうしたの」
「これ。約束していただろう」
 彼の手に、銀色のリボンがしてある黒いショップバッグ。
「東京みやげ。時間があったからじっくり見て回って選んだ。兄ちゃんの自信たっぷりのみやげだからな」
「ありがとう、お兄ちゃん」
 待っていたおみやげ。でも、想像していたものとは違う雰囲気のものだった。黒くて大人っぽいペーパーバッグ。お土産ってなにか小物とか雑貨だと想像していたから。
「小鳥も来年は大学生だろ。今からちょっとだけ背伸びしてもいいじゃないかと思って」
 そして小鳥はショップバッグの中をちらっと覗いてびっくりする。
 黒い洋服だった。しかもなんだか大人っぽいかんじ!
「え、これ。私に?」
「ああ。あちこち見て回ったんだ」
 ウソ、私のために? こんな女らしくない私のために? お兄ちゃん、東京にいる間、空いている時間は私のためにあちこち見て回って探して選んでくれたの?
 言葉にならなかった。何故って――。とっても嬉しくて! 小鳥はただ彼を見上げるだけになってしまう。
 だけど、そんな大人の彼がまた。いつものように大きな手で小鳥の頭を撫でた。
「昨日……。大変だったみたいだな」
 従業員にさえ隠しきれない、社長のロケット出撃。翔兄も一緒に帰って来たのに、帰るなりスーツ姿ですっとんでいった親父さんを見て、何事かと思いつつも事情を知ってしまったのだろう。
「専務から聞いた。昨日のことで、親父さんからのペナルティが免許取得延期――だって?」
 小鳥はこっくり頷く。
「いいの。私、父ちゃんがいいたいこと良くわかったから」
「そうか。それでいいんだな」
 そこで二人の言葉が止まってしまう……。この人の前だと、せっかく自分で納得したはずのことでも、やっぱり辛いから素直に泣きたくなってしまう。
 でも小鳥より背が高いお兄さんをちょっと見上げると、優しい眼差しで見守るように見つめてくれている。
「小鳥はやんちゃだけど、いつだって自分だけでは終わらなかっただろ。だから今までちょっとやらかしても丸く収まってきた。今回だって、小鳥がそうして自分のケジメはつけたから、きっと笑い話で終わるだろう」
 その大きな手がそっと黒髪を撫でてくれる。それだけで……。小鳥は、抑えていたものが溢れ出しそにうなる。
 目尻にちょっぴり滲んでしまった涙――。それを見られまいと小鳥は翔から背を向けた。
「小鳥、だからって。我慢しすぎも良くないからな」
 背中から聞こえたその声にも、小鳥は崩れてしまいそうになる。長女で親父さんに似ていて、いつも親父さんのようにまっすぐ実直であろうと頑張りすぎてしまう小鳥のこと……翔兄ちゃんはよく知ってくれている。
「なにも社長のように格好良くあろうとしなくていいんだからな。……その、本当に我慢できなかったら、ちゃんとオカミさんには甘えて良いと思うんだ」
「……うん、わかってる」
 だけどそこも小鳥は頑張ってしまう。ママが小鳥の立場になって助けてくれようとするから、だから……。そして小鳥が甘えたいのは、ママじゃない。今はもう、ママじゃない……。
 でもまだお兄ちゃんにはまっすぐに甘えられない。だって、お兄ちゃんは。
「小鳥。今日、帰ってきたらいいことがあるから、早く帰って来いよ。待っているから。じゃあな、元気に行ってこい」
 翔兄に向けている背中をポンと押される。
 いいことってなに? 待っているから早く帰ってこいってなに? 振り返ると、翔兄はもう龍星轟へと走り去ってしまった。
 龍星轟キャップのつばを目元まできゅっと引き下げ、従業員の横顔を見せて――。
 親父さんと違って、学歴があって落ち着きがあって、冷静。頭脳明晰なところは、元天才(?)とか言われている武ちゃん専務とがっちり話も渡り合えて『なんとも使い勝手万能の男』と専務もお気に入り。近頃は、お客さんからもタキタの秘蔵っ子と言われている。どこに行くにも社長が連れていくほど、親父さんも翔のことは信頼して、なくてはならない補佐になってきてる。
 こいうい男はきっと。どこで仕事をしても『できる人』なんだろうなと、小鳥は感じている。
 本当なら、大手企業のエリートだったかもしれない人――。
「はあ、なんか急に遠くにかんじた」
 元ヤンが親父の、やんちゃ娘なんて。十歳も年下の勤め先の上司の娘なんて。翔兄は大人、立場も節度もわきまえている。それだけならともかく。大学を卒業して龍星轟に来た時、翔兄には彼女がいた。
 それはいまも続いているみたいだった。だけどそのプライベートすら職場だから必要以上に匂わせない。そういう徹底している人だった。それに翔兄も実直で誠実だから、ひとりの女性をまっすぐに愛してきているんだろうな――。
 まだ子供の小鳥なんて。どんなに頭を撫でてもらえても、気にかけてもらえても『妹程度』に違いない。
「うまく髪が結えなかった日って、良いことあっても、プラマイゼロなんだよねー」
 また、ため息が出た。これ以上良いことなんて、あるの? 

 

 

 

 

Update/2012.6.25
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